バレンタインにさようなら
ちょっと聞いて欲しいんだけどさ。
『この世界に魔女がいる』なんて言ったら、信じてくれるかな?
古来の伝承より世界には魔女という言葉があるけど、ちゃんと魔女ってのは存在するんだよ。
え? 信じられない?
まあそうだよな。でも実在するんだ。
殆どその力を持つのは女子。
何故なら、女子だけが魔力を受け継ぐから。
だから魔女って言葉があっても、魔男なんて言葉は聞かないだろ。
だけど、哀しいかな。
どんな世界でも、変異種っていうか、レアっていうか。
そんな奴も現れるんだよ。俺みたいに。
魔男って語感の悪さが嫌だから、自分で魔男子なんて名乗ってるけど、これも微妙にダサいよな。
まあ使う機会も殆どないし、どうでもいいんだけど。
ま、こんな俺だけど、男だからノーカンって訳にもいかないらしく。ある魔女の掟に従って生きないといけないんだけど。俺にとってこれが最悪だった。
掟はたったみっつ。
ひとつ。
人前で魔法を使ってはいけない。
ふたつ。
人に魔法を知られたら、ある呪いをかけねばいけない。
そして、みっつめ。
その呪いにかからない者としか、結ばれてはいけない。
高校に通う思春期真っ盛りの俺にとって、一番最後の掟さえなければ良かったのに、なんて何時も思ってる。
でも、どうにかする術もなくって。
だから毎日こうやって、学校から帰る通学路を歩きながら、ため息だって吐きもする。
呪いにかからないのは、魔女か、魔女と同じ潜在的な力を持つ人間の男だけ。
俺の場合は魔男子だから、逆が適用される。
つまり、好きな娘ができても、その呪いにかからない相手。結局魔女か、魔女と同じ潜在的な力を持つ女子じゃなきゃ付き合えないって事なんだけど。
魔女のコミュニティって陰キャばかりなのか。人間にバレるかもしれないからって、お互い誰が魔女だなんて知ろうとしないし。大体互いに魔力とか持ってる癖に、見ただけで相手が魔女だ、なんてのも分からないんだよね。
結局、相手が魔女か調べるには、呪いにかけるしかないって訳。
魔女って、魔法とか使えて便利で万能……なんて小説なんかでよく見かけるけど。
本当は全然凄くないし、この呪いのせいで、むしろマイナスしかないってずっと思ってる。
よっぽど普通の人間で生まれたかったよ。人を好きになってる俺からしたらさ。
「疾風君。何か今日はずっとため息吐いてるよね」
「え? あ、そう?」
突然掛けられた声に、俺は黒髪を掻いて苦笑いするしかない。
ってまあ、さっき話したような、それだけの理由があるんだけど。
「何か悩みとかあるの?」
不安そうにこっちを覗き込む、清楚を絵に描いたような彼女にじっと見つめられたのが気恥ずかしくて。胸の高鳴りと顔の火照りを誤魔化すように、俺は視線を逸らすとあらぬ方を向いて、
「いや、何でもないよ」
なんて強がった。
本音は……正直、悩んでいたんだけど。
彼女は舞華ちゃん。
俺の家のお隣さんで、幼馴染。
長い黒髪。整った柔らかい顔立ちの美少女。
誰にでも人当たりがよく、健気で、優しくて、笑顔が素敵で。手も綺麗だし。こっちを見る瞳は綺麗で吸い込まれそうだし。唇も柔らかそうで、それこそキスしたらどんな感じなんだろう……って。
何昂まり過ぎてんだよ俺。キモ過ぎだって……。
ゴホン。
まあ、その……一言で言えば、俺は彼女が好きって事。
何時からって言われたら……もう忘れる位前。多分物心ついた時には一緒だったから、ずっとかもしれない。
本当にずっと一緒にいてくれて。いたら当たり前で。いてくれて嬉しい存在。
だから、何とか同じ高校一緒に入れて、今日もこうやって一緒に下校できてるのも嬉しいんだけど。
とはいえ掟もあるし、彼女に呪いをかけたくないから、結局ずっと片想い。
それでも、この距離感でも一緒にいられれば幸せだったし、これでもいいかなって思ってた。
だけど。
高校生になって初のバレンタインを明日に控え、俺は今までで一番不安を感じてたんだ。
小学校くらいからかな。
彼女は毎年、バレンタインの時にチョコをくれた。
基本的には市販品。だけど毎年バレンタイン前日に「今年はどんなチョコが良い?」なんて聞いてくれて、リクエストしたチョコをわざわざ渡してくれたんだ。
中学くらいからは同級生のバレンタイン事情なんかも見てきたから、市販品だし義理だろって分かってた。
それでも俺にとっては、母さん以外から貰える──何より、好きな人から貰える貴重なチョコ。
だから毎年すっごい嬉しかったし、今年も期待してたんだけど……。
今年は、そんな問いかけが全くなかった。
それどころか、バレンタインを匂わせる素振りすら見せてくれない。
それが本当に不安だった。
「そっか。もし悩み事とかあったら相談してね」
俺を見上げ優しい笑顔を返す舞華ちゃんに、目だけで視線を合わせて「ありがとう」なんて返してたけど。
そりゃ、チョコの話なんて言える訳ない。
微粒子レベルの情けないプライドも理由にはあったけど。何よりそれを聞く事で、別の真実を聞かされてしまうのが怖かったんだ。
誰か好きな相手ができたとか。
もう、愛想が尽きたから、義理すらあげる気はないとか。
流石にそれはネガティブ過ぎるかもだけど……。
結局その日の帰りは、明日の事などないかのように、普段通りに別れて互いの家に帰り。
俺は自分の部屋で、彼女の前では見せなかった不安に苛まれた顔をしながら、じっと待った。
明日という、運命の日を。
◆ ◇ ◆
翌日。
今年のバレンタインは土曜日。しかも学校が休みの日。
俺は朝からずっと、そわそわしっぱなしだった。
互いに家は隣同士。チョコを渡しに来るならすぐ来れる。普段だって顔出したりするんだ。
来るならさらっとやって来るだろって。
最初はどこか楽観的だった。
空元気だったけど。
だけど……来なかった。
昼になっても。夕方になっても。
舞華ちゃんは、家に来なかった。
連絡すらも。
緊張していた心が、時間と共に落胆に変わり。
日が沈みかけた頃には、諦めの気持ちに変わるのなんてあっという間。
そりゃそうだよな。
あんなに可愛い子だ。
俺が彼女を好きになるのと同じで、彼女だって誰かを好きにもなるだろうし。
それこそ、誰かが彼女を好きになって、告白だってされるかもしれない訳がない。
俺なんて、ずっと告白もできない、ただの幼馴染ってだけ。
何期待してたんだか。もう俺達高校生だろ。
部屋で独り鬱々とし、落胆が生み出す胸の痛みに耐えきれなくなった俺は、気づけば夕闇の中、駅前のゲームセンターに繰り出していた。
辛さを忘れるかのよう、。俺は得意な格闘ゲームで、相手を寄せ付けない程に勝ち続けてやる。
相手が決して上手くないのもあったけど、安易に勝とうと強キャラでワンパターンの攻撃された所で、やりこんだ俺のキャラには敵わない。
数度対戦を勝利で飾った後、突如人相の悪い不良達が、座っている俺を囲んできた。
さっきまで俺の対戦相手だった奴らだ。
「お前、ちょっと顔貸せよ」
露骨に機嫌の悪さが顔に出てるし、随分と気が立っている。
付いて行ったらどうなるか。容易に想像できるな。
俺も正直その反応にイラっとする。
だけど喧嘩が強い訳じゃないし、魔男子だからって人間相手に魔法なんて使えない。
だから、俺は言葉に従い席から立つと。
『さよなら』
それだけを告げて、不良達を無視してゲーセンの外に歩き出した。
反応が気に食わなかったのか。慌てて俺を呼び止めようとしたその時。
「お前達。何やってる!」
俺と入れ替わるように店に入り、彼等に向け迫る大人達の集団があった。
「あ、いや。先生。これは……その……」
「ここは学校で立ち入るなって言われてるだろ。停学処分にでもなりたいか?」
先程までの勢いは何処へやら。
彼等は学校の見回りの教師達だったらしい一団に阻まれ、萎縮して俺を追えなかった。
これで、あいつらは一生俺に声を掛けられないし、側に寄ることもできないけどさ。
こういう時、この呪いは便利だ。
魔法は詠唱しないといけないし、何より目立つけど、呪いは自然だし、周囲にばれる心配もない。
『さよなら』
これを魔女に口にされた相手は、一生呪いを与えた魔女と関係を持てなくなる。
別に魔女を忘れる訳じゃない。けど話しかけようとしたり、顔を合わせようとしたら、誰かや何かに割り込まれ、阻まれる。そんな偶然が、永遠に続くんだ。
大した呪いじゃないじゃないかって、笑う奴もいるかもしれない。
だけど俺からすれば、これは本当に便利で、その癖怖くて不憫な呪いだって、ずっと思っている。
一応、呪いにかからない父も、魔女である母もこれにかからないのは救いだけど。
そうじゃない相手──例えば親しい友達に間違って言おうものなら、その縁がいきなり一生切れるんだから。しかも、一生戻らない。
俺はずっと、小さい時からこの魔女の呪いが怖かった。
間違ってこの言葉を舞華ちゃんに使ったら、俺はもう彼女と逢えなくなるんだって分かってたから。
とはいえ。
バレンタインも何もなく終わったし。きっと彼女とも疎遠になっていくんだろうと思うと、それもありなのか、なんてふっと思ってしまう。
ま、気の迷いだけどさ。
どうせ俺と結ばれる選択肢なんてないし、彼女が誰かと幸せになって、それを見守れればいいか。
そんな気持ちをずっと持ってきていた癖に。
いざ現実になると、意外に辛いんだな、やっぱり……。
俺って女々しいな、なんてちょっと気落ちしながら、既に夜の帳に包まれた商店街を歩きながら、時間を確認するために何気なくスマートフォンを見る。
ロック画面に表示されていた通知にあった、MINEのメセージの受信を示す通知。
その相手の名を見た瞬間、俺ははっとして歩みを止めた。
相手は──舞華ちゃん?
時間は一時間前。って事は、ゲーセンに入った矢先か!?
瞬間。
俺は完全にやらかした事に気づいた。
普段もゲームを始めたら、勝つために集中しちゃうしスマートフォンなんか見ないけど。特に今日はもう現実逃避してて、完全に見る気が失せていたんだ。
メッセージの内容は、それほど長くなかった。
『突然ごめんね。下社中央公園の入り口に来て欲しいの』
そんな、普段の待ち合わせでもありそうな内容。そして……。
『ずっと、待ってるから』
最後のメッセージに、期待と不安で急にバクバクと鼓動が高鳴るのが分かった。
俺はその時、とてもテンパってたんだと思う。
電話でも、MINEでも構わないから、すぐ連絡をすれば良いはずだったのに。
気づけば俺は、彼女がいるのかもわからない、公園の入り口に思わず駆け出していたんだから。
こんなに走ったのは何時ぶりだろう。
体育祭のリレーに無理矢理出された時以来か?
それくらい、俺は必死に、がむしゃらに街中を走った。
何でもっと早く気づかなかったんだ。
そんな後悔を打ち消したくて。
まだいてくれるなら、少しでも早く逢いたくて。
息があがり、汗だくになり、脚が重くなりながらも、俺はできる限り走り続けた。
もう、どうやって公園まで走ったのかも覚えてない。
息も絶え絶え。脚も上がらない。
それ位疲れ切った俺は、大通りを渡れば公園の入り口という所で信号に阻まれ、止むなく脚を止め、前屈みになった。
無理をし過ぎたのか、心臓が痛い。
まるで産まれたての子鹿のように、足がぷるぷると震えている。
地面に顔を向けたまま、必死に呼吸を整えようと息を吸い、吐く。
あまりの辛さに、何で走っていたのかすら忘れそうになっていた、その時。
「疾風君!」
道の向かいから、嬉しそうな、俺が聞きたかった声がした。
はっと顔を上げた俺は、道の反対側に立つ、街灯に照らされた舞華ちゃんが、ほっとした顔で立っているのに気づく。
「舞、華……ちゃん……」
ちゃんと反応をしようとしたのに、未だ荒い呼吸がそれをさせてくれなくて。なんともかっこ悪い、疲れた声を出してしまう。
でも、それでも顔は自然と笑っていた。
やっと逢えた。待っててくれた。
それだけで、幸せな気持ちだったから。
普段なら人通りが多いはずのこの場所は、まるで二人っきりの時間を作ってくれたかのように、車通りも人通りもない。
ただ、そんな俺達を焦らすように、横断歩道の信号はまだ青に変わらない。
俺は信号が青に変わるのを、飛び出したい心を抑えて今か今かと待っていた。
だけど……俺より先に、彼女に飛び出した奴がいたんだ。
突然、けたたましいクラクションに、俺と彼女ははっとして音の方を見る。
そこには、減速しないトラックが勢いよく、彼女に向け走り込んで行くのが見えた。
運転手が、必死に避けろと叫んでいる。
だけど舞華ちゃんは突然の事に愕然とし、身を竦ませ、顔を恐怖に染め動けずにいた。
刹那。
脳裏に彼女の死が過った時。
「舞華ちゃん!」
俺は思わず叫び、咄嗟に詠唱していた。
『光よ! その力で彼女をこちらに引き寄せろ!』
避けられないと知った舞華ちゃんが絶望し、目を閉じた瞬間。
俺は突き出した腕から光の鞭を繰り出し、素早く彼女に巻きつけると、一気にこちらに引き寄せた。
間一髪。誰もいない空間を通り過ぎたトラックは、激しい音と共に側の街灯に激突し、彼女は勢いよく、俺の空いた片腕に収まった。
「間に、あった……」
腕に感じる彼女の重みに、俺はほっとした。
轢かれてたら死んでいたかも知れない。
抱えられた彼女もそれに気づいたのか。ふるふると身を震わせている。
舞華ちゃんが無事で、本当に良かった。
間に合ってよかった。
そう安堵した瞬間。
「今のって……魔、法?」
青ざめた顔で、震えた唇より呟かれたその言葉に、俺は絶望した。
彼女は未だ恐怖が抜けきらないまま、戸惑った顔でこちらを見ている。
思い出したのは、掟。
俺は魔男子。だから、掟に従わないといけない。
それに従えば、この先どうなるかも分かっている。
……仕方ないよな。
好きな子を助けられないなんて、男じゃない。
好きな子が死ぬなんて、見たくない。
そう。助けられた。
それだけで良かったじゃないか。
胸の痛みが強くなる。
情けないけど、目が潤む。
もう、これが最後。
だから、決めた。
「舞華ちゃん……」
俺が少しだけ顔をしかめたことに、不安そうな顔を見せたけれど。
「大好きだよ」
無理矢理見せた俺の笑顔と伝えたかった言葉に、彼女ははっとする。
驚きか。嬉しさか。悲しみか。戸惑いか。
それは分からない。
だけど、それはどうでもよかった。
もう、その言葉が意味を成す事なんてないから。
そして俺は。
『さようなら』
彼女に、呪いをかけた。
その呪いにかからなければ。
彼女が魔女であってくれたら。
ほんの僅かにそんな期待をしたけれど。
少しだけ目が虚ろになった後、正気を取り戻した舞華ちゃんが口にした言葉は──。
「あの……あなたは、誰?」
俺が予想し、俺が最も恐れていた、哀しい言葉だった。
「……ただの通りすがりです。車には、気をつけてね」
彼女を立たせた俺は、もう耐えられなかった。
事故ったトラックの様子すら確認せず、俺は踵を返し、彼女をそこに残して走り出す。
身体は疲れ切っていて、全然脚も上がらないのに。
呼吸も整っておらず、すぐ息切れし苦しくなるのに。
それでも俺はもう、そこに居たくなかった。離れたかった。
だから。
必死に。
がむしゃらに。
泣きながら、走った。
魔女が魔法を見られた時にかける呪い。
それは『さよなら』じゃない。
『さよなら』は、魔女と会えなくなる呪い。だけど、魔女のことを忘れるわけじゃない。
それじゃ、魔女であることを広められてしまうかも知れないからこそ。
『さようなら』じゃなきゃ、だめなんだ。
この呪いにかかった相手は、魔女のことをすべて忘れる。
本当に何一つ覚えていないんだ。さっき使った俺の魔法も。最後に伝えた想いも。小さい頃から幼馴染だった事だって。
そして。
相手は呪いの中にある限り、一生俺のことを忘れてる。
もう思い出すこともないし、新たに出逢っても、記憶に残る事すらない。
つまり……舞華ちゃんはもう、俺を一生忘れ、思い出さないって事。
もう、何もかもどうでも良かった。
寂しさのほうが辛かった。
何もかも忘れたかった。
俺が呪われたい位だった。
人がいない暗がりの道で、上がらない足がもつれ、勢いよく転んだ。
二度、三度転がり、仰向けになって止まる。
身体に傷が、痣ができた。でも、そんなものがなんだ。
俺はもう、心だけが痛かった。
ありがとう。舞華ちゃん。
さようなら。舞華ちゃん。
隣の家の幼馴染は、もう幼馴染ですらない赤の他人。
だけど仕方ないんだ。
俺は、彼女が無事ならそれで……それで……。
いいわけないだろ!
好きだったんだ! 一緒にいたかったんだ!
せめて誰かと幸せになるまで、見届けようと思ったんだ!
何で俺は魔男子なんだ! 何で俺は彼女を好きになったんだ!
俺は! 俺なんか! 俺なんて!
「あぁぁぁぁぁぁっ!」
呪いと掟を心底呪って、俺は両手で涙する顔を隠し、言葉にならない声で叫ぶ。
だけど、呪いはそんなことでは消えやしない。
最も恐れていた現実。
最も嫌だった現実。
好きだった人に振られたわけでもないのに。
俺はその日。
バレンタインという恋する者達の運命の日に、失恋したんだ。
◆ ◇ ◆
正直。
どうやって家に帰ったかは覚えていない。
帰った矢先、母親にご飯だと言われたけれど、独りにしておいて欲しいと告げ、部屋に引きこもった。
着替えもせず、怪我もそのまま。
ただベッドの上に横になり、布団に潜ってうずくまり続けた。
舞華ちゃんの事を思い出して、感情が昂ぶる度。
呼吸が荒くなり、朦朧とし。涙を流し。心の痛みに耐え続け。
……結局。何もする気力も沸かず。布団の中にいたら朝が来た。
日曜。快晴。
カーテンの隙間から覗く光がそんな爽やかさを感じさせるけど。そんなのどうでもいい。
明日からまた学校。
だけど、彼女と一緒に学校に行くことはもうない。
顔を合わせたくないし、普段より早く出なきゃな。
クラスが違ってて良かった。気にせず、見もせず、独りで帰れるし。
そんな鬱々とした事を考え、情けなさに呆れながら笑う。
未だお腹も空かない。
とはいえ流石に寝られてないせいか。僅かに眠気はある。
そうだ。今日はもうこのままでいよう。
寝て、全て忘れよう。
そう思って布団を被り直した時。
ピンポーン
家のチャイムが鳴り、少しして一階が騒がしくなったかと思うと、ドタドタと荒々しく階段を誰かが上がってくる音が、俺の眠りを妨げた。
「待って、夏菜! 一体何があったの!?」
聞き覚えのある声。
それは母さん。そして呼び止められているのは……。
俺が布団から上半身を起こし、ドアの方を見たその瞬間。
「こらぁぁぁぁっ! 疾風ぇぇぇぇっ!!」
突如。俺の部屋のドアが激しく蹴破られた。
文字通り、激しく。
ガシャーン!
俺の脇を掠めたドアが壁に当たり、激しい音を立て砕け散る。
お、おい!? 直撃してたら死んでたんじゃないか!?
思わず顔を青ざめさせながら、恐る恐る部屋の入り口を見ると、鬼の形相で立っていたのは、金髪のヤンママっぽい女性だった。
勿論誰か知っている。
舞華ちゃんの母親、夏菜さんだ。
その目を見て正直思った。俺、殺されるって。
恐怖でその場に固まっていると、夏菜さんは鋭い眼光で俺を睨みつけながら、強い怒りを露わに叫んだ。
「あんた! 何でうちの子に呪いかけたの!!」
「……へ?」
「だ、か、ら! あんた舞華に呪いかけたでしょうが!!」
思いっきり怒鳴り散らされたけれど、俺は拍子抜けした顔しかできなかった。
何で夏菜さんが、舞香ちゃんの呪いを知っているんだ?
家に戻った彼女が俺を忘れてて、夏菜さんが不思議がることはあるかもしれない。
だけど呪いだぞ?
その存在を知っている人なんて……。
「疾風ちゃん。それ、本当なの?」
彼女の言葉に心配そうに尋ねてくる母さんに、俺は唖然としたまま無言で首を縦に振る。
「どうしてそんな事したの!?」
「いや、えっと……」
夏菜さんの剣幕に気圧され、俺はバカ正直に話した。
昨日の公園前であった出来事を。そして、俺が呪いの言葉をかけた理由を。
話を聞く内に、夏菜さんの表情がみるみるバツが悪そうな顔になり。ひとしきり話を聞き終えると、今度は母さんを見た。
「あんた、まだ話してなかったの?」
「あのねぇ。成人するまで話さないって二人で約束したでしょ? なんでそうなるのよ?」
「あ、いや。紗里ならうっかり口滑らしてるんじゃないかな~って……」
「そんな事あるわけないでしょ。もう……」
返事を聞き苦笑する夏菜さんに、母さんが呆れた顔をする。
「つまり疾風ちゃんは、舞華ちゃんを魔法で助けちゃったから、掟に従ったわけよね?」
「そう、だけど……。何で夏菜さんが呪いの事……」
母さんに答えながら呆然とする俺に、申し訳なさそうに夏菜さんが話しだした。
「ごめん。うちも魔女なのよ」
「……え?」
「昔はこれでも紗里と二人で魔法少女してたんだから」
「魔法、少女……」
「そ。だから私と旦那から生まれた舞華も、勿論魔女」
「へ? でもだって、呪いに……」
正直、頭がついてこない。
紗里と俺の母さんが魔法少女!?
で、舞華ちゃんも魔女!?
だけど彼女は呪いにかかったじゃないか。
俺の気持ちを察したのか。
ため息を漏らした夏菜さんが困った顔で語る。
「あの子もレアなのよ」
「レア?」
「そう。あたしに似て魔力が肉体強化に持ってかれてて、魔女としては半人前なのよね。だから呪いも効いちゃったんだと思う」
えっと……。
つまり俺は、魔女である彼女と結ばれることもできたって事、か?
だけど今更……。
自身の運のなさに、俺は心底悔しそうな顔をしそうになるのを無理矢理堪え、頭を下げた。
「……ほんと、すいません」
「いや、こっちこそごめん。舞華も助けられた記憶がなかったから、あたしも勘違いしちゃって」
「でも、呪いは残ってるんですよね」
「いいえ。あの子が寝てる間に消したわよ?」
「へ?」
消した?
「えっと、呪いって消せるんですか?」
「そりゃ、あたしも一応魔女だし」
「消された記憶って……」
「まだ寝てたから確認してないけど、全部戻ってるはずよ」
「……は?」
ちょっと待て。
記憶が戻ってる!?
俺があの時言った事も、全部覚えてる!?
思いっきり狼狽えていた俺の耳に、小さな足音が聞こえ。夏菜さんの後ろからゆっくり、おずおずと顔を出したのは……。
「疾風、君……」
「舞華、ちゃん……」
もう、逢う事がないと思った相手だった。
やはり彼女は昨日の事を思い出してしまったのか。既に顔を真っ赤にしている。
それが俺にもあの時の告白を思い出させ、恥ずかしさで顔が赤くなるのを抑えられず、思わず頭を掻き視線を逸らした。
「あの、助けてくれて、ありがとう」
「あ、うん」
「それで、その……ね」
ゆっくりと歩み寄ってきた彼女は、少しもじもじした後。後ろに回していた手を前に出し、何かを差し出してきた。
「昨日、渡せなかったから。これ、チョコレート」
「え、あ。ありが、とう……」
俯きながら上目遣いにこっちを見つめる彼女から受け取ったのは、箱に入ったチョコレート。
上部が透明なセロファンになっていて、中のハート型のチョコがはっきりと見て取れる。
決して綺麗とは言い難い、多少歪な感じ。多分これ、手作り……だよ、な……。
「後、ね。昨日言ってくれたこと、嬉しかった。その……私も……好き、だからね」
そこまで言って羞恥心が限界を迎えたのか。
舞華ちゃんは両手で顔を覆うと、すぐさま踵を返し勢いよく部屋を出て、階段を下りていってしまった。
えっと……。
これって……。
つまり……。
呆然とする俺を見て。母親達は顔を合わせると、笑みを交わす。
「まあ、結果オーライよね?」
「そうね。これからも私達、腐れ縁かしら?」
「そりゃね~。じゃ、疾風君。舞華をよろしくね」
夏菜さんがウィンクをした後。
親達は嬉しそうな、だけどどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら去っていき。
部屋には顔を真っ赤にしたまま固まる自分と、壊されたドアだけが取り残されたのだった。
ってか、二人共。
ドアどうすんのさ……。
◆ ◇ ◆
後から舞華ちゃんに聞いたんだけど。
彼女もずっと俺を好きだったみたいで。だけど、やっぱり魔女の呪いで俺が記憶をなくすのを怖がってたんだって。
でも想いには気づいてほしくって、一念発起して昨日は手作りのチョコで驚かそうとしたんだとか。
「思ったより時間掛かっちゃって……ごめんね」
なんて困ったように言われたけど。俺は勿論気にしないでって言った。
その気持ちが嬉しかったし。何よりこんなドタバタだったけど、想いを伝えあって、二人で自信を持って隣に居られるようになれたんだから。
ちなみに。
舞華ちゃんがもうひとつ紙に書きながら教えてくれたんだけどさ。
『さようなら』って、実は昔は「さようならば」っていう接続詞だったんだって。
「私達にとっては、二人を繋いでくれた、素敵な言葉だよね」
な~んて、少し顔を赤くしながら言ってくれたのを聞いて、俺もちょっと微笑ましくなってしまった。
勿論、その言葉を口になんてしないけど。
ずっとずっと。忘れずに一緒にいたいから。
◆ ◇ ◆
そんなこんなで、俺の物語はおしまい。
え? 何?
ここまで話聞いたんだし、この先の甘々な展開、話してくれるんだろって?
そうしたいのは山々なんだけどさ。
俺から話しておいてなんだけど、魔法の事知られちゃったし、掟を守らないといけないんだよね。
ここまで話を聞いてくれてありがとう。
それじゃ、みんな。
『さようなら』
~Fin~