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86 六月三日


 ケーキは一日に一個と決めている美雨だけど、誕生日だけは特別だ。学校帰りにいつもの店であゆみと澪がご馳走してくれるケーキと、夜、久しぶりの親子揃っての夕食の後で食べるケーキ。

 誕生日だけ、美雨はケーキを二つ食べる。

 どちらも誕生日ケーキとしては一番一般的なショートケーキだ。ただし、いちごは普通よりも増量。


 小雨がそぼ降る夕方の道をお気に入りの傘を差して美雨は、幸せ気分で歩いていた。革の学生鞄と一緒に重ね持っている紙袋には、あゆみと澪、それに希羅梨とセスナと春樹からもらった誕生日プレゼントが入っているのだ。

 それに、たくさんの人からおめでとうと言ってもらえた。

 あゆみの彼氏である清太郎がおめでとうと言ってくれるのは毎年のことだけれど、今年は阿部和馬や早坂真琴など、三年生になってから親しくなった人たちからも言われた。

 一つ歳を取ることが乙女にとってめでたいかどうかは微妙なところではあるけれど、やはりおめでとうと言われると嬉しい。もっとも、美雨のナナメ前の席に今日も無表情で座っていた幼馴染の彼は、何も言ってくれなかったけれど。


 子供の頃、美雨と雪都の誕生日はそれぞれの家で二組の家族が集まって賑やかに祝われるのが恒例だった。美雨の誕生日は中森家で、雪都の誕生日は永沢家でささやかだけど暖かいパーティーが開かれる。

 その日ばかりどんなに忙しくても、美雨の両親も雪都の両親も仕事の都合をつけて集まったものだった。


 いつも寂しい思いをしている美雨にとって、誕生日は特別な日だった。

 自分の誕生日も特別だけど、雪都の誕生日も特別な日だ。


 六月三日と十二月二十日。

 年に二度あった特別な日は、いつの間にか一度になっていた。あんなに家族ぐるみで仲良くしていたのに、どうしてこんなに疎遠になってしまったのだろう?

 もしもずっとあんな風なつき合いが続いていたなら、美雨と雪都は今、どんな感じだったろうか…『中森』 と 『永沢くん』 なんて、余所余所しい呼び方ではなく、『美雨』 と 『雪くん』 と呼び合っていただろうか、子供の頃のままに。


 「雪くん、か」


 彼をそんな気安く呼んでいたなんて、今では信じられない。

 席は近くなった、手を伸ばせば届いてしまうほど近くに彼はいる。だけど遠い、何故か遠く感じてしまう。

 たまに学校の外で会えば幼馴染に戻れたような気がするけれど、学校では無理だ。ひどく遠い人だ。


 保育園で、美雨はよく雪都を枕にして寝ていたらしい。らしいと言うのは、あまりよく覚えていないからだ。ただ、いつも雪都のぬくもりを隣に感じていたのは覚えている。

 両手でぎゅっとしがみついていたような気がする。いくら子供だったとはいえ、よくあんなことできたものだと今なら思う。


 「……」


 今日の昼休みに、雪都は女の子に呼び出されていた。雨だから屋上で弁当を食べられなくて、教室で机を寄せ合っていつもの女の子メンバーで食べていたのだけれど、だから廊下から二人組の女の子が永沢くんと雪都を呼んだのも、その女の子たちの片方が、ちらりと弁当を食べている希羅梨に視線を投げたのも美雨はしっかり見てしまった。

 どう見てもそれは、これから告白しますという雰囲気で、希羅梨は気づいてないのだろうかとそっと窺うと、これがまたとびきり可愛くにっこりと笑われてしまったのだ。


 よくあることだよなんて、どうして笑って言えるのだろう?

 不安はないのだろうか、それだけ彼を信じているということだろうか……。


 子供の頃にはいつも近くに感じていた彼を、今では遠く感じる。あゆみが言うには、希羅梨という彼女がいるにも関わらず、雪都に憧れている女の子は掃いて捨てるほどいるらしい。遠くから見ているだけの女の子もいれば、希羅梨から奪ってやると息巻いている女の子もいるとか。

 確かに恰好よくなったと美雨だって思う、綺麗なんて形容詞がしっくりとはまる男の子なんてそうはいないだろう。


 雨が降っていた、霧のように細かな雨がしとしとと降っていた。もう入梅するのかなと思いながら、美雨は濡れたアスファルトを水が跳ねないように気をつけながらゆっくりと歩いていた。

 両親は、もう帰って来ているだろうか?仕事が忙し過ぎてほとんど家にいない父と母は、今日ばかりは二人揃って帰って来る。親子三人で夕食の支度をして、三人で食卓を囲む。そして、美雨の好物ばかりが並ぶディナーを食べ終わったら、いちご増量のバースデーケーキにナイフを入れるのだ。


 今日は特別な日なのだ、年に一度の。

 美雨は、少しだけ歩調を速めた。


 「……え?」


 角を曲がって、家が見えたところで美雨は思わず足を止めた。カエルがいる……ではなくて、カエルのレインコートを着た子供が美雨の家の前で遊んでいる。


 フードがカエルの顔になっている黄緑色のレインコートを着て、同じ色の長靴で水溜りを踏んで水を跳ね上げて遊んでいる女の子は晴音だった。美雨は駆け出した、晴音ちゃんと声を張り上げる。


 「あ、みゅうちゃん!おかえりなさぁーい」


 両手を高くあげて、晴音はおかえりなさいとピョンピョンと飛び跳ねる。水溜りの上で跳ねるものだから、バシャバシャと水が鳴った。


 「晴音ちゃん、どうして……」


 傘と荷物が邪魔で上手く走れない美雨がよたよたと晴音の前まで辿りついた時、「遅っせえ」と呟く低い声が聞こえた。美雨がはっと気づいて顔を向けると、中森家の門の前に立っていたのは雪都だった。一旦家に帰ったのか制服ではなく、洗いざらしの綿シャツにジーパンという私服姿だ。右手に黒い傘を持ち、左手には大きな紙袋を持っている。


 「……永沢くん?」


 どうしてこんなところにいるのと美雨が訊くより先に雪都は、ぬっと持っていた紙袋を美雨の前に突きつけた。受け取るべきなのかと美雨が躊躇していると、誕生日プレゼントだとよと、素っ気ない説明が添えられた。


 「この前の礼を兼ねてるらしい、ほれ」


 ほれ、と言われて美雨は、思わず紙袋を受け取った。かなり大きな紙袋だ、背の低い美雨が持つと腕を曲げてなければ底を引きずってしまう程の。


 「えっと……」


 あまりに思いがけないことに、美雨の頭はうまく働かなかった。この前のお礼を兼ねた、誕生日プレゼント……何?

 袋の中を覗いてみると、また袋だ。半透明な袋の口をピンクのリボンで縛ってある。そして、透けて見える袋の中には茶色い……。


 「選んだのはそこのカエルだからな、気に入らなかったらカエルに言え」


 兄にカエル呼ばわりされた晴音は、ケロケーロと適当な節をつけて歌いだした。ケロケーロと歌いながら、バシャンと水しぶきをあげる。


 「あの、えっと、その、だから……」


 ありがとうと、美雨は小さな声で言った。美雨を見おろしている雪都の目がすっと細められる。ケロケーロと、晴音の無邪気な声が歌っていた。


 六月三日は、美雨にとって確かに特別な日だった。




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