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80 どうしてうまくいかないのだろう


 セスナが上靴を履き替えようと下駄箱まで来た時、白黒ストライプリボンのおだんご頭がちょうど角を曲がって消えるところだった。中森さんと声をかけたが聞こえなかったようで、美雨はそのまま行ってしまう。


 また今日も話し掛けられなかった.

 セスナは、ガックリと肩を落とした。


 同じクラスで、席も前より近くになったし、しかも昼休みは一緒にお弁当を食べている。仲のいい友人と言っていい位置にいるのに、何故かセスナは美雨と話をするきっかけが上手く掴めないでいた。

 美雨の両親が経営している子供服ブランド『polka dots』の服が大好きなこと、そして先日、美雨の父である中森草一郎に偶然会ったこと。今度、デザイナーである美雨の母にも会えることになっていること。

 そんなことを話したい、それだけなのに。


 セスナは肩を落したまま、ハァッと大きく息を吐き出した。

 自分が不器用な自覚はある、友達を作るのは苦手だ。中学時代に分不相応なお嬢さん学校に通って肩身の狭い思いをしたせいで人が少し恐くなったところもあるが、それ以上に生まれつきセスナは世渡りが下手だった。いや、世渡りが下手だったからこそ中学で理不尽なイジメに合ったのだとも言える。

 人に話しかける時、少なからない気後れを感じる。迷惑ではないだろうか、嫌な顔をされないだろうかと、まず思う。自分でも考え過ぎだと思うが、どうしても躊躇してしまうのだ。


 「……こんなことでは、ダメだな」


 小さく一人ごちてから、セスナは拳を握って自分の頭をゴツンと殴った。


 あの日以来、セスナは和馬ともぎくしゃくしていた。喧嘩しているという訳ではないが、どことなくお互いぎこちない。

 あの日というのはセスナが『polka dots』の夢のように可愛い服と衝撃の出会いをして、その日のうちに『polka dots』の社長である草一郎に会い、その上、デザイナーと会わせてもらう約束までしてしまった運命の日のことだ。

 興奮が冷めずにセスナは、誰かに話したくて和馬の元に走った。だけど、やっぱり上手く言えなくて、しかも変な勘違いをしてしまってセスナは和馬を殴り倒して逃げてしまった。

 鞄で殴ったことは一応、翌朝すぐに謝ったのだが、和馬はただ「おう」と言ったきりで、それから二人きりで話す時間は持てていない。


 ダメだ、ダメだと呟きながらセスナは上靴に履きかえた。

 和馬には、今日は空手部に顔を出すから先に帰れと言われた。こんなことはいつものことで、二人で一緒に帰ることの方が稀なのだ。

 空手部は毎日あるし、手芸部は週に二日しかないのだから自然とこういうことになる。

 和馬はもう公式試合には出ないと宣言していて、事実上は空手部を引退しているようなものなのだが、だけど後輩に頼まれて稽古をつけに行くことは珍しくなくて……。


 ブンブンと、頭を左右に振ってからセスナは歩き出した。今日は、田之倉にお花の稽古に行く日なのだ。稽古まではまだ時間があるが、早く行って先生の手伝いをした方がいい。

 別に手伝いを頼まれている訳でも、兄にそうしろと命じられている訳でもないが、セスナは出来るだけ田之倉流を女の身でありながら一人で気丈に背負っている里美の手伝いをすることにしているのだ。


 華道の師である里美を、セスナは密かに慕っていた。


 セスナは、母の顔を覚えていない。美空とセスナを産んでくれた母は、セスナがまだ三歳にもならない内に病で亡くなった。

 里美に、覚えてもいない母の面影を重ねている訳ではないが、気風が良くてサバサバとしている里美を、セスナはとても好きなのだ。

 からりと乾いた、風のような人だと思う。陰湿な部分など、まるで持ち合わせていない人だ。


 校舎を出て校門に続く道を歩いていると、飛鳥井さんと後ろから明るい声をかけられた。振り向くと、希羅梨が長い髪をなびかせながら走って来る。


 「飛鳥井さん、今日はもう帰るの?」

 「ああ、お花の稽古に行くところだ」

 「そっか、じゃあそこまで一緒に帰ろうよ」

 「尾崎殿は、待たぬのか?」

 「うん、あたしも用事があるんだ。なんと、うちの近所のスーパーで四時からタイムセールがあるんだよ。卵が1パック88円なんだ、凄いでしょ?」

 「凄いのか?」

 「凄いんだよ!すぐに売り切れちゃうから、四時までに行かないと。春樹ちゃん家の分も買っといてあげるんだぁ」

 「ほお、それは凄いな」


 そうなんだよ、凄いんだよと笑う希羅梨につられて、セスナも顔をほころばせた。いつもこんな風に明るく笑っている希羅梨が、実は両親と折り合いが悪くて一人で暮らしていることは和馬から聞いた。

 和馬と希羅梨、それに春樹と国嶋伊佐美は中学からの同級生なのだ。


 両親と姉を亡くしたが、義理の兄の庇護の元で何不自由なく暮らしているセスナの方が、両親はいるにはいるが全く見向きもしてもらえず、一人で暮らしている希羅梨よりも恵まれているなんて思うのはセスナの驕りだろうか?ただ一人だけ、希羅梨を大切に慈しんで育ててくれた兄がいたそうだが、その兄も数年前に天に召されたのだと聞いている。


 「飛鳥井さんは、卵料理だったら何が一番好き?」

 「そうだな、出汁巻きかな」

 「美味しいよね、出汁巻き。あたしは、オムレツかな?とろけるチーズを入れるの」

 「おお、それも美味そうだな」

 「後ね、ミックスベジタブルをバターで炒めてから入れてもおいしいんだ」

 「炒めてから入れるのか?」

 「うん、そうだよ」


 他愛ない話をきゃっきゃっと笑いながら話して、希羅梨は三叉路の所でまた明日と手を振ってから走り去って行った。揺れながら遠ざかる長い髪を見送って、セスナはまたもやハアッと大きな溜息をついてしまった。


 あんな風に笑いたい、あんな風に強くなりたい。


 例えば、セスナと希羅梨の立場を入替えてみたらどうだろう。希羅梨なら飛鳥井の家でも無邪気に笑って、義兄に気に入られるだろうか。それに和馬だって、セスナなんかよりも可愛い希羅梨みたいな女の子が彼女の方が嬉しいのではないだろうか……。

 それに対してセスナは、希羅梨のように一人で暮らせるだろうか?春樹という親友はいる、それに彼氏もいる。永沢雪都という男は無口で無愛想だけれど、優しくて頼りになると見ていればわかる。


 支えてくれる人はいる、それでもあんな風に笑えるのだろうか?


 「……どうしてうまくいかないのかな」


 小さく呟いて、無意識に自分が声に出していたことにセスナはハッとした。


 和馬と喧嘩した訳ではない。帰る家もある、義兄もいる。何不自由ない生活をさせてもらっている。それに、憧れのデザイナーに会えることにもなっている。


 何ひとつとして、うまくいってないことなんてないのに。


 それでもセスナの口からは溜息が漏れる、大きな大きな溜息が漏れる。




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