70 ふりふりひらひら
『polka dots』と、雑誌の端にあったのと同じ瀟洒なイタリック体の文字が描かれたショーウィンドウにセスナは張りついていた。目の前に広がっているのは、夢の世界だ。
夏らしい水色と白のストライプのワンピース、スカートの裾からは白いレースのペチコートがのぞいている。その上に、アリスタイプの白いエプロンをつけていて、ヘッドドレスも白。両サイドについている花が、レースに埋まってしまいそうだ。
「か、か、か、かわ、かわっ!」
あまりに顔を近づけるため、ガラスがセスナの息で曇っている。そんなことには気づきもせずに、セスナは目を皿のようにしてワンピースを凝視し続けていた。
可愛い、本当に心の底から可愛い。
ああ、どうしたらいいんだろう、どうしよう!
何を一体どうしたいのやら、セスナの頭の中はレースと花でふりふりひらひらと混乱中だ。店の中から店員が、訝しがるような目でセスナを見ていたが、もちろんそんなことにもセスナは気づかない。
「可愛い、可愛い、可愛い」
雑誌を見て、セスナがあまりに可愛い可愛いと騒いだので、希羅梨が駅の裏にあるこのショッピングモールにこの店が入っていることを教えてくれたのだ。和馬と一緒に帰る時は別だが、一人では寄り道など絶対にしないセスナは、それを聞いてすぐに荷物を鞄に詰め込み始めた。
広げていたクロスステッチの道具をしまい込み、部長である市川博隆に急用が出来たとだけ告げて駆け出した。このショッピングモール自体には、妹に食材を買って来てと時々頼まれる和馬と一緒に何度か来たことがある。けれど、このフロアに足を踏み入れたのは初めてだった。
子供服の可愛らしさときたら、本当に夢のようだ。どの店の服も可愛いけれど、やはり 『polka dots』 の可愛さは別格だった。
セスナは、そっと店の中を覗いた。セスナの様子を伺っていた店員とばちっと目が合ってしまって、慌てて明後日の方に顔をそらしたが。
「うー」
ガラスに額をつけ、セスナは小さく唸った。これでは、怪しさ倍増だ。店員の目が鋭さを増したが、もちろんセスナは気づかない。
中に入って、服を手に取ってよく見たい。
だれど、ここは子供服の店なのだ。
セスナ自身は高校生で、子供服なんて着る訳もない。買う目的で来たのではないのだから、これでは完全にひやかし客だ。
中に入りたい、心の底から入りたい。けれど、変に生真面目なセスナにはそれが出来ない。
「可愛い」
中にはもっと、もっともっともっとたくさんの服があるのだろう。店の奥の方に、壁に飾られている白いカーディガンが見える。あれを近くで見たい。ハンガーにかかって並んでいるのは、ワンピースだろうか。あれを、一枚ずつ見たい。
「入りたい……」
「中に入ってご覧ください」
セスナの呟きにまるで答えたかのようなタイミングで後ろからかけられた声に、セスナは文字通り飛び上がった。ひゃあとか何とか、いつも冷静なセスナらしからぬ素っ頓狂な声を上げてしまう。
「驚かせたか、それは申し訳ない」
セスナが恐る恐る振り向くと、そこには長身の男が立っていた。ダークグレイのスーツに趣味のいいグリーンのネクタイをしめ、手には大きな紙袋をさげている。
中年と呼ぶには、あまりに恰好いい男だった。中年男の代名詞とも言える贅肉なんて僅かもスーツの下には隠してないようで、さっぱりと短い黒髪にも白いものは見えない。それでも、立っているだけで漂ってくる余裕ある雰囲気は紛れもなく大人のもので、セスナはパチパチと目を瞬かせた。
誰、これ?
「どうぞ、中に入ってご覧ください」
先ほどと同じ台詞をもう一度繰り返すと男は、さっさと店に入って行ってしまった。店員が、店に入って来た男を社長と呼んだのが、まだショーウィンドウの前で突っ立っていたセスナの耳にも届いた。
「しゃ、しゃ、社長さん?」
完全に裏返ったセスナの声に振り向いて、『polka dots』の社長である中森草一郎は、笑いながら「どうぞ」と言った。そして、「中に入って見てやってください」と、先ほどの『ご覧ください』より一段くだけた口調で続けた。
「し、しかし私は、か、買いに来た訳ではなくて、その……」
「構いませんよ、服が好きなんでしょう?どうぞ、ゆっくり見てやってください」
そう言うと草一郎は、セスナには背を向けて店員と話し始めた。持って来た紙袋の中身を取り出している。
セスナは迷った、けれど迷ったのはほんの数秒だった。可愛い服が見たい。どうやら 『polka dots』 の社長らしい人にどうぞと言われたんだから見てもいい筈だ。
セスナは、そろっと店の中に入った。抜き足差し足で、先ほどのカーディガンの前まで進む。
「お……」
近くで見るとカーディガンは、細かいレース編で出来ていた。小花が上品に編み込まれている。これならば、ワンピースの上に着たら絶対に可愛い。
そうだ、ワンピースとセスナは、今度は低い位置のバーに並んでかけられているワンピースに手を伸ばした。端にあった淡いピンクのをそっと引き出すと、「おお」と声が漏れてしまう。
ピンクなんて下手をすれば安っぽくなってしまう色なのに、そのワンピースは何とも上品だった。使われているレースの質感が安物とは違うのか、いやそれよりもやはりデザインがいいのだろう。胸を飾っているリボンとレースが絶妙のバランスで配されている。スカートの裾にレースがあしらわれているのもいい、見えるか見えないかギリギリの位置に縫いつけられている。
「すごい」
セスナは、次々とワンピースを引き出しては、そのたびに「おお」とか、「おわ」とか、感嘆の声をあげた。全体に淡い色が多いが、中にはノーブルな紺や、深い赤もある。水玉が多いのは、ブランド名に寄せているのだろうか。
薔薇の花をイメージさせる真っ赤なワンピースに、セスナはしばし見惚れた。同じデザインで白いものもあるから、これではまるで紅薔薇姫と白薔薇姫だ。
「君、本当に好きなんだね」
セスナが夢中で服に見入っていると、いつの間にか先ほどの男が後ろに立っていた。セスナはまた、ひゃあなんて間抜けな声を出して飛び上がってしまった。
「よかったらこれどうぞ、印刷があがって来たばっかの秋冬のパンフ」
にやにやと笑いながら草一郎が差し出したものに、セスナの視線は吸いつけられるように固定された。得意客に配るショップの宣伝パンフらしい薄い冊子のその表紙には、茶色のワンピースを着た少女たちが落ち葉と戯れていた。
「い、いただいてもいい……んですか?」
相変らず裏返っているセスナの声に、草一郎はとうとう吹き出した。買おうが買うまいが、店に来た人は全て大切なお客様だ。どんな客にでも丁寧な姿勢を崩すなとは、草一郎がいつもショップの店員たちに厳しく言い渡していることだった。
しかし、失礼と言いながらも草一郎は笑い続ける。元から笑い上戸な男なのだ。
「……」
陳列棚に手をかけて、体をくの字に曲げてひーひーと笑い続ける草一郎を見ているうちに、セスナは段々と落ち着いて来た。強張っていた体から力が抜けて行く。
「貴殿は、『polka dots』の社長であらせられるのか?」
「き……でん?」
セスナの大仰な口調に、草一郎の笑いは引っ込んだようで大きく眼を見開く。
「君、武家のお姫様か何か?」
世が世なら、養女とはいえ飛鳥井家の娘ならセスナは姫と呼ばれていただろうが、生憎と現代ではそんなことはない。ただの女子高生だと答えて、セスナはにっと笑った。
「これ、ありがとうございます。大切にする」
そう言うと、セスナは貰ったばかりのパンフレットの表紙を愛しそうにそっと手のひらで撫ぜた。それを見て、草一郎は柔らかな笑みを浮かべた。
「そんなに気に入ってもらえたなら、うちの奥さんも喜ぶよ」
「奥方?」
「ああ、うちの服は全部、俺の奥さんのデザインだからな」
「お、奥方がデザイナーなのか!」
まるで噛みつくような勢いでセスナがぐんと顔を近づけて来たから、草一郎は思わず一歩、後ろにさがった。セスナのそれでなくても大きな目が、これでもかと見開かれている。
「デ、デザイナー……この服をデザインした……」
会いたい、強烈な嵐が突如としてセスナの中に巻き起こった。この可愛い服を生み出した人に会いたい、どうしても会いたい!
「あ、あの……」
しかし、見ず知らずの者が突然会わせて欲しいなどと言ってもいいものだろうか?図々しい、というより怪しい。
セスナはうつむいた、両手で握りしめているパンフレットがふるふると震える。
明らかに様子がおかしいセスナに草一郎が、気遣うように長身の背を屈めた。クラスで一番小さいセスナの身長は、144センチしかない。180センチ以上ある草一郎とは、実に40センチもの差があった。
「どうかした?」
そう言って覗き込んで来る草一郎に、セスナはおずおずと顔を顔をあげた。言ってみようか、デザイナーに会わせて欲しいと。ほんの少しの勇気をふり絞って。
「あ、あ、あの……もしよかったら、その……デザイナーの方に会う、ことは出来ないものだろうか……」
最後の方はほとんど聞こえないくらいの震えた声だったけれど、草一郎はあっさりと「いいよ」と答えた。
「栄は……あ、うちの奥さんの名前ね。栄は大抵、本店の上にある事務所にいるけど、そこまで来れるかな?」
そう言いながら草一郎は、スーツの内ポケットを探って、名刺を取り出した。それを「はい」と、セスナに渡す。
その名刺には、本店の住所と電話番号、そして簡単な地図と共に『株式会社 polka dots 代表取締役社長 中森草一郎]とと書かれていた。
「なかもり……」
最近よく耳にする苗字だ、三年になってから仲良くなった友達と同じ。
とは言っても、中森という苗字はそれほど多くもないだろうが、珍しいというほどでもない。たまたま同じ苗字なんだろうと納得してセスナは、もらった大切な名刺を財布のカード入れに入れた。
「そう言えば、それって沢浪北の制服だよね?うちの娘知らないかな、三年生なんだけど」
「……え?」
中森という苗字は、それほど珍しくない。だけど、沢浪北高校の三年生の女子に中森は、セスナが知る限りでは一人しかいない。
思わずセスナは、「あーっ!」と大声を張り上げていた。草一郎が驚いて、ぎょっと大きく目を剥いた。




