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66 水玉模様


 校舎の一番北端にあるため日当りの悪い被服室でセスナは、刺繍針を握っていた。濃い緑の糸で布の上にクロスを並べて、描いているのは菫の葉の部分だ。嫌になるくらい単調な作業だが、セスナは黙々と針を動かす。


 高校に入学してすぐの頃に、同じクラスだった希羅梨に誘われてセスナは手芸部に入った。誘われるまでセスナは、華道を習っているのだから華道部に入るべきだと思っていた。そんなおしとやかな部に入ることを義兄の柊也も望んでいるだろうとセスナは思ったのだ。


 けれどセスナは、手芸部を選んだ。とんでもなく不器用なセスナは、だけど無類の可愛い物好きなのだ。

 この手でぬいぐるみやフリルのついたクッションなんかを作りたい。手芸部で教えてもらえれば、不器用な自分でも作れるようになるのではないだろうか。

 そう思ってセスナは、誘われるままに手芸部の部室である被服室のドアをくぐった。


 手芸部に入ったことを兄に報告した時、兄はただ一言だけ「随分と女らしい部に入ったものだな」と言った。嫌な顔はされなかったから、セスナは胸を撫で下ろした。

 やはり華道部がベストだったのだろうが、手芸部でも合格だったようだ。


 ヨーロッパなどでは、刺繍は貴婦人の嗜みのひとつらしい。そのことを知ったセスナは、手芸部の先輩にまず刺繍を教えて欲しいと頼んだ。きれいな花の刺繍を施したクッションなんて、ちょっと想像してみただけでも可愛い。

 セスナが教えを請うた当時三年生だった先輩は、喜んで応じてくれた。早速、フランス刺繍から始めたのだけれど、まず基本のアウトラインステッチでセスナはコケた。

 どう頑張っても、先輩と同じようなきれいなラインは描けない。ガタガタゴトゴトと脱線して折れ曲がる花の茎に、先輩はうーんと唸った。「初心者にいきなりフランス刺繍は難しかったね」と笑って、しゅんとうな垂れてしまったセスナの前で厚手の特殊な布を取り出し、広げて見せた。


 「飛鳥井さん、クロスステッチって知ってる?クロスを並べて、図柄を作っていく刺繍なんだけど」


 もちろん、セスナはクロスステッチを知っていた。フランス刺繍は繊細な図柄が多いが、クロスステッチはカントリーな図柄や、花や木をナチュラルに描き出す図柄が多い。どちらかと言うと、フランス刺繍の図柄よりクロスステッチの図柄の方がセスナの好みだった。


 「すごく根気がいるんだけど、簡単だからやってみない?」


 先輩の言葉に、セスナはぶんぶんと頷いていた。

 今でもあの先輩には感謝している。もうとっくに卒業してしまって長く会ってないけれど、だけど本当に感謝している。


 セスナはその後、ミシンの使い方も習ったし、編物も習ってみたけれど何ひとつまともには作れなかった。手芸部に入って、セスナがそれなりに出来るようになったのはこのクロスステッチだけなのだ。

 クロスの目に織られた布地に刺繍糸を通して行く。ステッチはクロス、それだけだ。それを延々と繰り返すうちに絵が出来上がって行く。

 先輩が言った通りにべらぼうな根気がいる。実に地味で単調な作業な訳だが、セスナはそれが少しも苦ではなかった。

 出来上がった刺繍を額に入れた時の嬉しさは、どう表現したらいいのかわからない。ひとつずつセスナの部屋の壁に額が増えて行く、それが楽しい。


 「出来たぁー」


 セスナのひとつ前の席に座って、何やら縫っていた希羅梨が振り向いた。手には、希羅梨お手製のクマのぬいぐるみを持っている。


 「飛鳥井さん、見て見て!クマさんにお洋服を作ったの」


 何の変哲もない茶色いクマが、今は白地にピンクの水玉模様のドレスを着ている。ふりふりひらひら、ヘッドドレス付き。手には、小さなアンブレラまで持っていたりして。


 「か、可愛い」

 「でしょー?あのね、この雑誌に載ってた子供服を参考にしたんだ」


 そう言いながら希羅梨が学生鞄から出して来たのは、『こんにちは奥さん』などというタイトルの、いかにも主婦向けの雑誌だった。『春野菜のお手軽メニュー』や『鶏むね肉は節約主婦の味方』なんて煽り文句が表紙に大きく書かれているところを見ると、どうやら料理雑誌らしい。


 「ほら、ここ。ね、可愛いでしょ?」


 希羅梨が広げて見せたページを見て、セスナはカチンと固まってしまった。まさに、雷に打たれたような衝撃がセスナの体を貫く。

 子供服の宣伝らしいそのページには、小花の咲く草原で五人の女の子たちが無邪気に遊んでいた。それぞれに夢のように可愛い服を着て。


 「この水玉のワンピースを作ってみたんだけど、袖のとこがうまくいかなかったんだよね。市川くんにも手伝ってもらったんだけど。やっぱりぬいぐるみ用だと小さすぎて、同じには作れないね」


 希羅梨が右端の、水玉模様のワンピースを着た女の子を指差す。どこの国の少女だろうか、日本人ではない。金色の巻き毛がふわりと広がっている。


 セスナは、くらりと眩暈を感じた。きらきら、ふわふわ、まるでおとぎの国だ。セスナが思い描く夢の世界をそのまま写し取ったような。


 「か、か、か、かわ、かわ、かわっ……」

 「飛鳥井さん?」


 震える指で、セスナは雑誌を持った。よく見ると、ページの右下にブランド名が入っている。


 『polka dots』


 polka dots、水玉模様。

 なんかなんか、ブランド名までムチャクチャ可愛い!


 「飛鳥井さん、どうかした?」


 瀟洒なイタリック体で書かれた、『polka dots』 の文字を、セスナは穴があきそうなほど見つめた。そのセスナのふるふると震える肩を、希羅梨が目を丸くして見ているのにも気づかずに。



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