64 昼休みの教室
昼休みの教室は閑散としていた、天気がいいからみんな外に出ているらしい。開け放たれた窓からグランドで騒いでいる声が聞こえている。
窓際から二列目の自分の席に座り、和馬はシャーペンを握っていた。間に机をひとつ空け、二つ前の席に後ろ向きに座っているセスナがじっと見ているのを感じながらノートに英文を綴って行く。
風が窓から廊下に向って教室の中を吹き抜ける。元はクリーム色だったのに、日に焼けて今ではすっかり白く色褪せたカーテンが揺れていた。
「珍しいな、宿題を忘れるなんて」
「ああ、すっかり忘れてた。今、何分だ?」
「まだ時間はある、慌てずに写せ」
「悪ぃ」
別にさぼった訳ではなく、本当に宿題そのものを忘れていたのだ。今から自分でやってたら間に合わないから和馬は、仕方なくセスナのノートを写させてもらっていた。
なんだか彼女に頼っているみたいで、男としては少々面映いが仕方ない。筆記体が苦手なセスナのノートには、小さなブロック体が行儀よく並んでいる。おかげで見やすい、和馬はそれを流れるような筆記体で自分のノートに写した。
静かだった、カチカチと時計の秒針が進む音がはっきりと聞こえていた。誰かが廊下をバタバタと走っている音が遠い、なんだか時間がいつもよりゆっくりと流れているようだった。
「なあ、セスナ」
「んー?」
顔を上げずに名を呼ぶと、眠そうな声が答える。昼食後、暖かい午後、教室は閑散としている。これだけ条件が揃えば、誰だって眠くなるだろう。
「お前さ、俺に何でも言えよ」
「何をだ?」
「何をって……だから、何でもだよ」
「何でもなんて、言える訳なかろう」
「何でだよ?」
「言いたくないことはいくらでもある、体重とかな」
「や、そういうことじゃなくて。つーかお前、言えねえような体重じゃねえだろ」
ガリガリの癖にと思いながら和馬が顔をあげた時には、セスナは机に突っ伏していた。腕を枕にして、気持ちよさそうに目を閉じている。
和馬はふっと息を吐いた、そして視線をノートに戻す。
セスナは何も言わない、そんなことはわかっている。弱音を吐かないセスナだからこそ、和馬はこうして傍に居るのだから。
セスナを守りたい、和馬はそう思う。
セスナを守るだけで今は精一杯だ、正直なところそう思う。
双子の妹たちも守りたいと思うけれど、実際に和香と美和を守っているのは父親だろう。そして和馬自身も、まだ親に守られている立場から抜け出せてはいない。
未熟、という言葉が胸に突き刺さる。
和馬はまだ、ただの高校生だ。未熟者以外の何者でもない。
本当は青蘭女子なんて嫌なんだろ、嫌だったら嫌だって兄さんに言えよ。
そう言ったらセスナは、笑うだろうか怒るだろうか、それとも泣くだろうか。
大学なんてどこでもいいと、笑い飛ばすだろうか。お前には関係ないと、怒るだろうか。それとも、言いたくても言えないんだと泣くだろうか。
最後のパターンはないなと、和馬は勝手に決めつけた。例え本当に言えないのだとしても、セスナは泣かない。少なくとも、和馬の前では泣いたりしない。
養女という立場を、和馬が理解しようとする方がおこがましいだろう。和馬は母こそ亡くしたが、実の父親と双子の妹たちと何不自由なく暮らしているのだから。かなりうざいが、かなりいい家族だと思っている。特に妹たちは、和馬の自慢だ。
文句ひとつ言わずに家事をこなしている優しい美和と、正義感が強くて真っ直ぐな和香。
お兄ちゃん、かず兄と、屈託なく和馬にまとわりついて来る妹たちと、お兄さまと、ぎこちなく義理の兄を呼ぶセスナとの違いが痛い。
泣けよ、と言いたい。青蘭なんて堅苦しいお嬢様学校には行きたくない、だけど言えないんだと、和馬にぶつけて泣けばいいだろうと言いたい。そのために和馬はセスナの傍にいるのだから。
壁を感じる。
セスナとの間にどうしても壁の存在を感じてしまう。
こんなに傍に居るのに、守りたいと思っているのに。大切だと思うのに、和馬にとってのたった一人の女なのに。
なのに、距離がある。
和馬が一歩近づけば、セスナは一歩さがってしまう。距離は、永遠に縮まらない。
「セスナ、お前……もうちょい太れよ」
少しでも風が強く吹けばさらわれてしまいそうなセスナに、和馬は時々不安になる。どこか和馬の手の届かないところまで飛んで行ってしまいそうで、情けないけど恐い。
「んなガリガリだと、前と後ろの区別がつかねえぞ」
和馬がそう言うと、セスナは伏せていた顔をぱっと上げ、手元にあった消しゴムをむんずと掴んで和馬に向って投げつけて来た。
余裕で避けると、気の強そうな目に思いきり睨まれる。コントロール悪いなと重ねてからかえば、今度は定規が飛んで来た。




