63 いちご・苺・イチゴ
鞄の中を探って、美雨は固まってしまった。今朝、確かに作ったはずの弁当が入っていない。
作った、確かに作った。
卵焼きとウィンナーを焼いて、昨夜の残り物の筑前煮を温め直した。あとは、彩りにプチトマトとコーンを入れた。ちゃんと最後まで作ったのは覚えている。出来上がった弁当は、キッチンのテーブルに置いて……。
「あーっ!」
思わず声を出してしまったら、希羅梨とセスナが寄って来た。二人の手には、それぞれに弁当の包みがある。その包みを見て、美雨はうっと詰まった。せっかく作ったのに鞄に入れるのを忘れたのだ、美雨の弁当は今もキッチンのテーブルの上に置き去りにされているだろう。
「どうかしたの?」
小首を傾げる希羅梨を美雨は涙目で見た。弁当を忘れたということは購買部で何か買って来なければならないということで、昼時の購買部は弁当を持って来ていない生徒が殺到してものすごい混雑になるから、そんなところに分け入る勇気は美雨にはない訳で。それでなくても標準よりかなり背の低い美雨は、周りから押されて前まで辿り着くことが出来ないのだ。
高校に入学してから今年で三年目、何度か試してみたことがあるからわかっている。無理、絶対に無理。
「中森さん、屋上行かないの?」
希羅梨の大きな目が、うつむいた美雨の顔を覗き込む。その後ろでセスナも、何事かと様子を伺っている。
去年までならこんな時、あゆみが任せといてと胸を叩いたものだ。ひょいひょいと器用に人を掻き分けて購買部で買って来てくれたり、こっそりと裏門から抜け出して外のコンビニで買って来てくれたりした。
こんなんじゃ駄目だ。
もうすぐ十八歳になるんだから、お弁当忘れたくらいは自分で何とかしなきゃ。
ぱっと顔をあげると、美雨はにっこりと笑った。そして、お弁当忘れちゃったと、ぺろっと舌を出して見せた。
「え、お弁当忘れちゃったの?」
「うん、だから何か買って来るね。先に行ってて」
購買部前の荒波を乗り切る自信なんてない。だけど、やらなければならない。
美雨はうんとひとつ頷くと、また鞄の中を探って財布を取り出した。財布につけてある、母の京都出張の土産である桃の花をかたどったちりめん細工の根付の鈴が美雨の手の中でチリッと小さく鳴った。母に頑張りなさいと言われたような気がして美雨は、もう一度うんと力強く頷いた。
「でも、購買部はすごい混雑だよ?」
「仕方ないよ、行って来る」
美雨が足を踏み出そうとした時、希羅梨がちょっと待ってと止めた。そして、美雨が開けようとしていた戸をガラリと開けて廊下に出ると、雪都くーんと彼氏の名を呼んだ。
「雪都くーん、中森さんのも何か買って来てあげてー」
美雨が慌てて廊下に出ると、希羅梨は手をメガホン代りに口に当てて声を張り上げている。そして希羅梨の声の届く先、廊下のかなり向こうの方で薄茶色の頭が振り向いていた。
「中森さん、何がいい?」
「え?」
「パン?それとも、おにぎり?」
「え、えっと、何でも」
「何でもいいって」
希羅梨がそう言うと、雪都はわかったと言う代りなのか軽く片手をあげて見せてから、すぐに階段の方へと消えて行った。
「雪都くんが買って来てくれるから大丈夫だよ、屋上に行こ?」
そう言う希羅梨にそのまま手を引かれて美雨は屋上まで上がった、外には清々しい青空が広がっていた。
「うーん、今日は気持ちいいね。でも、屋上で食べられるのももうちょっとだよね。夏になると暑くてとても無理だから」
「そうだな、梅雨も無理だしな。本当にもう少しだな」
そんな希羅梨とセスナの他愛いないお喋りを聞くともなく聞きながら、美雨は内心ではそわそわしていた。ギーッと、重い鉄のドアが開くとぱっと見てしまう。来たのは、春樹とあゆみだった。
「うわー、屋上は涼しいね」
明るい声でそう言うとあゆみは、昇降口のすぐ脇に座っていた美雨の隣に座り込んだ。春樹も希羅梨の隣に座る。これで、一緒に昼を食べている女の子メンバーは全員揃ったことになる。
いつもならすぐにいただきますになるのだが、美雨の膝の上には弁当がない。それに気づいたあゆみが、「美雨、お弁当は?」と訊いた。
「ちょっと忘れちゃって」
「え?じゃあ、何か買いに行かなきゃ」
「大丈夫なの、姫宮さんが頼んでくれたから」
「頼んだって、誰に……」
ちょうどその時、ギーッと金属が軋む音がして、再び昇降口のドアが開いた。来たのは、今度こそ雪都だった。雪都は何も言わずに後ろから、座っている美雨の膝の上にガサガサと鳴る不透明なビニール袋を置いた。そしてそのまま、すたすたと手摺の方へと行ってしまう。
「ああ、永沢くんか、そりゃそうか」なんて、あゆみが美雨の隣で言ったのだが、美雨の耳には届いていなかった。雪都が美雨の膝の上に置いて行ったビニール袋の中が、何故かやたらとピンクっぽい。取り出してみると、いちごデニッシュと苺クリームパン。どちらもピンクの地色にいちごが描かれた袋に入っている。それに紙パックの飲み物は、イチゴオーレだった。これもピンクのパッケージだ。
「わぁ、苺尽くしだ」
希羅梨がそう言うと、他のみんなもどれどれと美雨の膝の上を覗き込む。ピンクのパンとピンクのジュースを膝の上に乗せて美雨は、太りそうと小さく呟いた。




