53 羊の数を数えても
うさぎのイラストが描かれたピンクのシャーペンを握りしめ、希羅梨は机に向っていた。広げているのは、勉強道具ではなく日記帳だ。
中学の頃からつけはじめた日記は、途中で投げ出すことなくきちんと書き続けている。表紙に金色の文字で『DIARY』と書かれている可愛いノートは、その日あったことや、観たテレビの感想など、十七歳の女の子らしい他愛ない内容で毎日一ページずつ埋まって行く。
『今日は、中森さんと一緒にお昼ご飯を食べました。やっぱり中森さんて、すっごく可愛い!もっと仲良くなりたいな。明日も一緒に食べようって誘ったらどうかな?いつもは隣のクラスの藤田さんと食べてるみたいだから、断られちゃうかな。藤田さんも一緒に食べようって言ったらいいかな?』
そこまで書いて、希羅梨は顔をあげた。ピンクのシャーペンを器用に指の間でくるりと回す。
『飛鳥井さんは、ちょっと元気がなかったようです。何かあったのかな?飛鳥井さんて、仲良くしてくれるけど、自分のことはあまり話してくれないんだよね。阿部くんと何かあったのか』
希羅梨は消しゴムをむんずと掴むと、『阿部くんと何かあったのか』の部分をごしごしと消して、その上に『早く元気になってくれたらいいな』と書き直した。そして、パタンと日記帳を閉じる。
「さあ、寝るぞ!」
両腕を上げて、うーんと伸びをしてから希羅梨は立ち上がった。日記帳を机の一番上のひきだしに片づけてから、卓上ライトを消す。そして、部屋の灯りも落してからベッドに潜り込んだ。
「おっやすみなさぁーい」
答える人のいない静かな部屋が、希羅梨のおどけた声をすうっと吸い込んだ。
兄が事故で亡くなって以来、希羅梨は一人暮らしを続けている。寂しいという感覚はいつしか麻痺してしまったようで、眠れない夜は少なくなった。柔らかい毛布に包まって希羅梨は目を閉じた。
羊の数を数えたら眠れるなんて、誰が言い出したのかな?
優しい眠りの手に意識を委ねながら、希羅梨はぼんやりとそんなことを思った。
その人はきっと幸せな人だったんだろうな、羊さんで眠れるなんて羨ましい。
白いふわふわの羊の姿をいくら思い描いても、希羅梨は眠れない。羊如きでは、希羅梨を眠らせてはくれないのだ
閉じた瞼の裏に浮かぶのは、明るい日の光がよく似合う笑顔だ。いつもは眉間に皺を寄せた仏頂面が多いのに、彼はふとした瞬間に曇り空がいきなり晴れたかのように笑う。
今日、セスナは何となく元気がなかった。希羅梨が冗談を言えばいつもどおりに笑ってくれたけれど、だけど元気がなかった。
何かあったのかな、と希羅梨は思う。それは、友達を心配する気持ちとは微妙に違っていて。
希羅梨は、そんな自分を見たくなかった。見たくないから、固く目を閉じる。すると、すぐに希羅里の大好きな笑顔が浮かんで来る。
羊の数を数えて眠れる人は、きっと幸せな人なのだ。
羊では眠れない、希羅梨を眠らせてはくれない。
兄がいなくなってから、もうかなりの時間が流れて行った。寂しいという感覚はいつしか麻痺して、眠れない夜は少なくなった。
いつか、希羅梨も羊如きで眠れる夜が来るだろうか。
この胸を刺す、彼に焦がれる想いもいつか麻痺してくれるのだろうか。




