52 ベストカップル賞
忘れはしない、あれは高三の秋だった。
学園祭の恒例イベントで彦市は、涼華と共に『ベストカップル賞』なるものに選ばれたことがある。
そのイベントは事前に投票を行い、学園祭の当日に舞台の上で華々しく開票して結果を発表するというもので、『ベストカップル賞』の他には学校一のいい男といい女を選ぶ『キング賞』と『クィーン賞』、あとは教師の中から人気のある先生が選ばれる『人気者で賞』などというものもあった。
涼華は入学以来、二年連続でクィーンの座に輝いていたのだが、三年目にして『ベストカップル賞』を獲得したという訳だ。生徒たちの目から見て、お似合いだと思われるカップルに投票されるこの賞に、つき合ってもいないカップルが選ばれたのは前代未聞のことだったらしい。
「なあ、涼華、メシくらい一緒してもええやん、ボクと涼華の仲やろ?」
カツカツとヒールの音を響かせて、夜の街を闊歩する美女のあとを彦市は追いかけていた。夜の街とは言っても、繁華街ではない。彦市と涼華が勤めている沢浪北高校からすぐ近くの、駅前商店街のアーケードの下を歩いているのだ。
学年別の打ち合わせ会議を終えてから、小テストの採点をしていた涼華を待っていたらすっかり遅くなってしまった。通りの両側に並ぶ商店は、ほとんどがシャッターを下ろしている。五十メートルほど先に、一軒だけぼつんと灯りがついているのはこじんまりとした居酒屋だ。美味くて安い料理があるので、仕事で遅くなった時には彦市も涼華もこの店で夕食を済ませることにしている。
「どうせ涼華も、七駒で食って帰るんやろ?今日の刺身は何かなー……て、涼華!ちょお、待ってぇな」
後ろをちょこまかとついて来る男のことなど見向きもしないで、涼華が大きな赤提灯の出ている店にさっさと入ってしまう。目の前でピシャリと閉まった木製の引き戸に、彦市はその狐面を僅かにしかめた。
居酒屋『七駒』は、駒場正宗という名の、以前は有名な料亭で板前をしていたという店主と、鈴木龍という広島弁の強面の男が二人で商っている女っ気のない、酒を出すにしては色気の欠片もない店で、それでも客足が途絶えないのは間違いなく料理が、特に魚料理がやたらと美味いせいだろう。
無情にも閉められてしまった引き戸に手をかけて、「おばんですぅ」などと言いながら彦市が中に入ると、夜でも絶対にサングラスを外さない鈴木が、「へい、らっしゃい!」と威勢のいい声をかけてくれた。素早く店内を見渡すと、涼華はもうカウンター席に座って濡れおしぼりを使っている。彦市はひょいひょいと涼華に近づいて、黙って隣の席に座った。
「今日の刺身は、何?」
「今日は、活きのいいカツオが入っちょります。煮付けは、カレイじゃけえ」
「お、ええなぁ。ほな、たたきと煮付けね」
「へい!たたき二、煮付け二、入りやす!!」
鈴木の後半の台詞は、奥の板場に居る駒場に向けられたものだ。カツオのたたきもカレイの煮付けも二皿ということは、先に入った涼華も彦市と全く同じオーダーをしたということだろう。
「あと、熱燗ね。お猪口は二つ」
「へい!」
涼華と彦市の注文は大抵いつも同じだから鈴木は心得たもので、さっと猪口が二人の前に並ぶ。
「呑むやろ?」
熱燗もすぐに来て、彦市は涼華の返事を待たずに猪口に酒を注いだ。日本酒の匂いがふわりと広がる。二人とも電車通勤だから、少々の酒は問題ないのだ。
涼華は彦市の注いだ酒を遠慮なく、くいっとあおった。
「なあ、涼華。そろそろええやろ?」
彦市は、すかさず涼華の空になった猪口に二杯目を注ぎながらそれでなくても細い目を更に細くして笑った。
「もうお互いええ歳なんやし、いい加減に結婚してぇな」
実にストレートなプロポーズなのだが、涼華の表情は変わらない。
「なあ、涼華」
何を言っても彦市の方を見てもくれない涼華に彦市は一人、へらっと軽薄な笑いを浮かべた。
忘れはしない、あれは高三の学園祭だった。
彦市は、涼華と共にベストカップル賞に選ばれたことがある。
つき合ってもないのにベストカップル賞などに選ばれたのには、もちろん裏がある。投票は学園祭の前に行われるから、細工するのは彦市にとっては造作もないことだったのだ。
わざとらしい蝶ネクタイをつけた司会に名前を呼ばれ、観客からヤンヤヤンヤとはやし立てられた。舞台にあがって、ぶすっと不機嫌この上ない顔で客席を睨んでいる涼華と並んで、その子供の頃から見続けて来た横顔がまたきれいになったことに彦市は気づいた。
「なあ……」
そして今、あの時よりもさらにきれいになった涼華の横顔を彦市は見つめる。相も変わらず涼華は振り向かない、彦市を見てくれようともしない。
彦市が東京の大学に進んだのも教師になったのも、涼華を追いかけて来た結果だ。ベストカップル賞を取った時とは違って配属先までは細工できなかったけれど、だけど小細工なんてしなくとも彦市は涼華と同じ学校に配属された。これぞ、まさに天の助けだろう。
「涼華、なあって」
涼華は無言のままで、酒を呑んでいる。彦市の酒を呑んでくれるだけでもマシと思うべきか。
ま、涼華はこの冷たさがたまらんのやけど。
自分の分の猪口に酒を注ぎひと口くいっと呑むと、彦市は細い目を弓形に歪めてへらっと笑った。




