4 いいね!
三階の教室には、春の麗らかな陽光がふんだんに降り注いでいた。
一年が使う一階の教室よりも二年生が使う二階の教室の方が日当りが良く、それよりも三年生が使う三階の教室の方が更に明るい。
冬は暖かく、夏は夏で風通りがよくて涼しい三階の教室を三年生が使うのは道理にかなっているだろう。いくら実力主義に移行しつつあるとは言え、この日本は昔から年功序列なのだ。最上級生が一番いい教室をあてがわれるのは当然のことだ。
そんな最上級生の特権をフルに享受できる窓際の席に座っている薄茶色の髪を、何故か美雨は気づくと見てしまっている。雪都の席は窓際の前から二番目で、美雨の席は廊下側の一番後ろなのだ。美雨の視線は教室をほぼ斜めに突っ切っている訳で、決して見えやすい位置関係ではない。幾人ものクラスメートが重なっている隙間から、チラチラと見える程度だった。
「はいはいはいはい、今日もちゃっちゃかやっちゃうわよぉ。教科書開いて」
授業開始の礼が終り全員が着席した途端、三年A組の担任であり英語担当の来栖涼華が教科書でバンバンと教卓を叩きながら早口でまくし立てるので美雨は、慌てて教科書を開いた。
涼華の授業は、とにかく展開が早い。決して手を抜いたおざなりの授業をする訳ではないのだが、流れるようなテンポで進んで行くからほんの少しでも気を抜いたらわからなくなってしまう。じっくりと時間をかけて勉強するタイプの美雨は、この涼華のスピーディーな授業スタイルが苦手だった。まだ三年の授業は始まったばかりなのに、ついて行けなくなりそうで恐い。
「21ページ目からだったね。はい、永沢、読む」
「何で毎度毎度、俺なんだよ」
一瞬のよどみもなく指名された雪都が椅子を蹴って立ち上がると、濃い紫の、着方によれば下品にしかならないだろうスーツを妖艶に着こなしている涼華がまるで待ってましたとでも言うようにニヤリと笑った。
「平等に当てろよ、平等に。教師の基本だろ、そんくらい」
雪都が不機嫌全開で噛みつくのも尤もなことで、涼華は教科書のリーディングは必ず雪都を指名するのだ。
四十分の授業の間に二度も三度も教科書を読まされ、それが毎時間なのだ。これはさすがにありえない、考えるまでもなくおかしい。
贔屓されてると言えなくもないが、この場合はどう見てもイジメだ。もしくは、ただ単にからかわれているだけ。
「出席簿順に当てるとか、席順に当てるとか、何なら今日の日直とか。色々あるだろ、教師のセオリーが」
「あんたに読ませるのが私のセオリーなの、ぐちゃぐちゃ言ってないで読む」
「あのなぁ」
ドンッと、雪都が握った拳で机を殴った。結構な音がしたが、涼華はやはり平然としている。
「私は、あんたの声が気に入ってんの。なんつーかこう、腰にビンビン来るって感じ?」
腰にビンビン、のところでお尻をクネクネと振って見せる涼華に、雪都のこめかみにピキピキと青筋が立つ。
「教師が何を平然とセクハラ発言してんだよ」
「うるさい、時間が勿体無いでしょ。さっさと読む」
それでもしばらく雪都は涼華を睨んでいたが、睨まれたら睨まれた分だけ涼華が嬉しそうな顔をするので諦めたらしく、教科書を持ち上げて読み始めた。
「Looking at Things, East and West……」
高くもなく、さりとて低くもない雪都の声がしんと静まった教室によどみなく流れる。涼華じゃないけれど、確かにいい声だと美雨も思う。深みがあると言うか、何というか。いつまでも聴いていたいような声と言うか。
腰にビンビン来るかどうかは、まあわからないけれど。
「はい、そこまで。いいね、It's fine!」
ぐっと親指を立てて褒める涼華を無視して、雪都はぶすっと席に着いた。雪都の後ろの席の希羅梨が、そんな雪都の背をシャーペンの頭でつんつんと突いているのが美雨の席から辛うじて見えた。