48 ちょっとだけ、そっと
スーパーで買って来たパック入りの寿司を並べた食卓を挟んで、十和子はそっと真向かいに座っている息子の顔を盗み見た。いつも通りの仏頂面で雪都は、黙々と寿司を口に運んでいた。
箸使いが妙に上手いのもいつも通りで、雪都は生まれつき手先が器用な方らしく、特に厳しく躾た訳でもないのに実にきれいに食事をする。十和子の隣で、スプーンを使ってさえ米粒をボロボロと落している晴音とは対象的だ。
あ、という小さな声が聞こえて隣の晴音に視線を向ければ、晴音のベージュのスカートの上に赤黒いまぐろの切身が乗っている。晴音は手で素早くまぐろを拾うと、さっと口に押し込んだ。醤油がついた指を舐め舐め、十和子に向ってへへへと誤魔化し笑いする晴音に、十和子は引きつった笑いを返した。
醤油の染みは取れにくいのにと思うといささか憂鬱になるが、不器用だからと言って晴音を怒ることは出来ない。エプロンをさせて食べさせなかった十和子の落ち度だろう。
できあいの寿司だけではあまりに手抜きが過ぎるかと一品だけ作った味噌汁の椀を手に取って、だけど十和子の視線は味噌汁ではなく向かいの薄茶色の髪に向いてしまう。雪都はやはり、きれいな箸使いで黙々と食事を続けている。雪都の隣に座っている秋雪が何やらしきりに話しかけているが、雪都は時折相槌を打つことで適当にあしらっているようだ。
『なかもり』 が、雪都の彼女の名前と同じだという爆弾発言をした晴音に、美雨の母である栄と二人がかりで詳しいことを聞きだそうとしてみた。勢いだけで喋る晴音の話はまったく要領を得ず、つまりはよくわからない。
図書館で可愛いお姉ちゃんに会って、そのお姉ちゃんを雪都が 『なかもり』 と呼んだのだと言うのだが、それだったら雪都と美雨は幼馴染同士の上に今は同じクラスなのだから、偶然会えば喋るくらいはするだろう。だから、彼女じゃなくてお友達なんじゃないのと十和子が言っても、晴音は頑なに首を横に振った。
晴音は小さな手を腰にあて、ふんぞり返って自信満々に、「なかもりはおにいちゃんのかのじょ」だと宣言した。それが本当なら、子供同士がおつき合いしていることになる母二人は、何とも言えずに曖昧な笑みを交わした。
「ま、まあ、美雨は雪都くんと本当に仲が良かったですからね」
「そ、そうですわね。本当に仲良くしていただいて」
当り障りはないが微妙に気まずい会話はすぐに途切れてしまって十和子は、それではこれでと頭をさげた。そして、晴音のブラウスは今度にすることにして、まるで逃げるように慌てて子供服売り場を後にしたのだ。
「……何だよ」
「え?」
低い声にハッと気づくと、雪都の鮮やかな碧の目がテーブル越しに十和子を睨んでいる。雪都は食べ終わった箸をパシッと音をたてて置くと、熱い煎茶の入った湯のみに手を伸ばした。
「さっきから俺の顔ばっか見てるだろ、何かついてるか?」
気に入らなそうに茶を飲んでいる雪都に何でもありませんと答えかけて、十和子はふと思いついた。ここはひとつ、鎌を掛けてみたらどうだろうか?
子供の恋愛にとやかく口を出すつもりは十和子にはないし、相手があの可愛らしい幼馴染の少女だと言うなら文句なんてある筈もない。何も知らないふりをして、暖かく見守るのが母親としてのベストな態度だろう。
だけど気になる、気になるものは気になる。
「さっきね、美雨ちゃんのお母様にお会いしたのよ」
一瞬、晴音が何かまずいことを言い出さないかとひやりとしたが、晴音は十和子と雪都の話を聞いてもいないようで寿司を食べるのに夢中だ。それにどうやら晴音は、中森という苗字の方しか知らないらしい。
中森さんと言わないように気をつけながら十和子は、言葉を続けた。
「雪都は今年、同じクラスになったのよね。美雨ちゃんは、お元気?」
「さあ……毎日、学校来てんだから元気なんじゃないの」
「美雨ちゃんとお話はしないの?」
「……別に」
別に、では話をするのかしないのかさえわからない。ましてやつき合ってるかどうかなんてわかる筈もない。
もっと突っ込んで訊くべきだろうか。例えば、雪都は彼女いるのとかストレートに訊いてみれば、案外素直に答えるかもしれない。
中森美雨とつき合っていると言われたら十和子は嬉しいと思う。幼い頃しか知らないけれど、美雨は本当に素直で可愛らしい女の子だった。あんな娘が息子の彼女になってくれたら安心できる。
雪都は頭もいいし、男の子にしたら優しい方だと思うが、如何せんぶっきらぼうで取っ付きにくい。もしも美雨みたいな女の子が傍にいてくれるなら、そのあたりが少しは和らぐのではないのだろうか。
正直言って、手塩に掛けて育てた息子を取られてしまうような一抹の寂しさはある。だけど、あの娘ならいいと十和子は思う。
今でも十和子は、保育園のスモックを着た二人が手を繋いでいる姿をありありと思い浮かべることが出来る。あの可愛らしいカップルが大きくなっても変わらず二人でいるなら、それはとても素敵なことだろう。
ご馳走様と言うと、雪都は飲みかけの湯のみを持って立ち上がった。ダイニングを出て行く息子を見送りながら十和子は、ちょっとだけ、ほんの少しだけでいいから雪都の心をそっと覗いてみたいと思った。




