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47 名前を呼んで


 自動ドアが開く音に顔をあげた英介は、入って来たのが客ではなく妻の朔夜であることに気づいて、にへらーと笑った。もっともこの男の場合は、客に対する営業スマイルもたいしてかわらない軽薄なものではあるのだけれど。


 「おかえりなさぁーい、朔夜さん。お疲れさまっス」

 「ああ、今帰った。元気は?」

 「奥で寝てるっスよ」

 「そうか……もう少し、店番頼む」


 すまんなと言うと、朔夜は足音をたてずに英介の横を通り、店の奥の居住スペースの方へと消えて行った。その背中にごゆっくりーと、英介はのんびりと声をかけた。


 英介と朔夜の梶原夫婦の養い児である戸田元気が珍しく熱を出して倒れたのは昨夜のことだ。流行の過ぎた風邪に今頃やられたようで、熱を出して寝込んでいる。その名の通りに普段が元気なだけに元気は病気には弱く、一人では立ち上がることさえも出来ずに、元気と同じく梶原夫妻の養い児である、清水紗奈(さな)のつきっきりの看病を受けているのだ。


 「あ、朔夜さん、おかえりなさい」


 部屋に入って来た朔夜に、紗奈は少女特有の澄んだ高い声でそう言った。学生時代の後輩に頼まれて、近くにある高校の陸上部の臨時コーチを引き受けていた朔夜は、元気のことが気になりながらもまだ小学生の紗奈に看病を頼んで出かけなければならなかったのだ。

 着替えの入ったスポーツバックを布団の傍らに置き、朔夜は寝ている元気の顔を覗き込んだ。


 「どうだ、熱はさがったか?」

 「はい、さっき測ったら7度8分でした。おかゆも食べられたし、もう大丈夫そう」

 「そうか、それならもう問題ないな。紗奈まで学校を休ませてしまって、悪かったな」


 朔夜の 「悪かったな」 という言葉に対しては、紗奈は首を横に振った。紗奈にとって元気の世話をするのは当たり前のことだから、礼を言われることではないし、ましてや悪かったなんて言われたらかえって驚いてしまう。


 「朔夜さんも疲れたでしょう?寛平(かんぺい)さんが、夕食を作ってくれています」

 「それはありがたい、久々に体を動かしたら腹が減ってな」


 きれいに整った顔を崩して、朗らかに笑う朔夜につられて紗奈もふふふっと笑った。なかなか消えない居心地の悪さが、朔夜が笑う度に少しずつではあるけれど溶けていくような気がした。


 ケーキ屋の看板をあげているこの家には英介と朔夜、それに小学四年生の紗奈と保育園に通っている元気、そして(つくだ)寛平という大男が一緒に住んでいるが、この五人の間に血縁関係は一切ない。

 この家の主である英介は元々、ここからだと電車とバスを乗り継いで二時間以上もかかる田舎町で、亡くなった親のあとを継いで雑貨屋を営んでいた。寛平はその雑貨屋を古くから手伝っていた使用人で、どういう経緯で梶原家に来たのかは英介も知らない。英介が生まれる前に亡くなった祖父が保護司だったそうだから、そのあたりの関係で寛平が梶原家に身を寄せるようになったのかもしれないと思わないでもないが、訊いてみたことはない。

 寛平が何者でも気にならない、その生まれ育ちを訊こうとも思わない。たとえ血縁でなくとも英介にとって生まれた時から家にいた寛平は、間違いなく家族の一人なのだ。

 だから、道路になるとかで雑貨屋のあった土地が道路公団に高く売れて、その金を元手に英介がかねてからの夢だったケーキ屋を開くことにした時も寛平は当たり前について来た。英介にしてみても、寛平は英介の家に居て当たり前の者だから、それで当たり前だったのだ。


 ただ、ケーキ屋を開くのに適した街中に引っ越すにあたって、英介には気がかりがあった。

 英介の営む雑貨屋に入り浸っている二人の子供がいたのだ。


 近所の孤児院の子供である紗奈と元気は、どうやら孤児院には馴染めないらしくていつも二人でぶらぶらと外を歩いていたのを、気紛れに英介が店に連れ帰って子供でも出来る簡単な雑事を手伝わせたのだ。店先をほうきで掃かせたり、商品を棚に並べさせたりした。そして駄賃代わりに、英介が作ったケーキを食べさせた。

 そんなことを何度か繰り返している間に、紗奈と元気は英介の店を雨風が凌げる安全な避難場所と思ったらしくて、いつの間にか入り浸るようになった。もちろん夜には施設に帰るけれど、それ以外のほとんどの時間は英介の店のどこかにいた。

 まだ小さい元気はともかく、紗奈はとっくに学齢期に達している筈なのに学校に行っている気配はない。どうやら登校拒否を続けているらしいが、英介はそんなことには触れずにこの二人の子供を黙って店に置いていた。というより、放っておいたという方が正しい。英介はただ、自分のケーキを食べてくれる口をふたつ確保しているだけだったのだ。生来、細かいことは気にしたくてもできない性格だった。


 しかし、店は売ってしまった。この店がなくなったら、あの二人はこれからどこに行くのだろうと思うと、さすがの英介も気になった。にこりとも笑わず、ほとんど喋りもしない二人の子供の小さな体には、無数の傷痕が残っていることを英介は知っていた。


 姉弟でもなく、歳も性別も違う紗奈と元気が一緒に行動している理由は、実の親から暴力を受けたという同じ過去をそれぞれの幼い胸に抱えているせいらしい。癒えない傷を舐め合って、孤児院にも馴染めず、ましてや学校にも行けないこの二人を置いては行けない、英介はそう思った。

 幸いというか何といか、元気の親はすでに亡くなり、紗奈の親はもう何年も前から連絡が取れなくなっているらしい。だから里子という形で英介が引取ることが可能な訳だが、しかしそれには問題があった。


 里親になるには、夫婦揃ってなければならない。

 生憎と英介は、三十を過ぎても独り者だった。


 結婚なんて考えたこともなかったが、周りを見まわしてみるとちょうどいいのが売れ残っているのに気づいた。英介の一つ年上の幼馴染である朔夜は、陸上選手としてオリンピック候補までなったが、膝を痛めて道を閉ざされ、失意のままに実家に帰って来ていた。


 「里親になりたいから結婚してもらえないっスか?」 という英介のプロポーズは、いきなりかつ馬鹿正直なものだった。あまりの馬鹿馬鹿しさに、朔夜は笑ってしまった。


 朔夜は、英介のことは良く知っていた。この男は、子供の頃からこんなビックリ箱みたいなところがあった。つき合ってみるのも面白いかと、朔夜は思った。少なくとも実家で無駄飯を食って、これからどうするんだの、仕事を探せだの見合いしろだの言われなくて済むようになる。


 英介のプロポーズに対する朔夜の答えは、「いいぞ、いつにする?」 だった。


 かくして幼馴染同士の即席夫婦は、二人の子供と手伝いの大男を連れてこの街に越してきた。朔夜が好きな黒猫を店名にした小さなケーキ屋を開き、紗奈と元気は新しい環境で心の澱が少し晴れたのか、休みながらではあるけれどなんとか学校と保育園にそれぞれ通い始めていた。


 「元気、明日は保育園に行けそうだな」

 「はい、たいしたことなくてよかった」


 にこりとも笑わず、ほとんど喋りもしなかった紗奈と元気だったが、生活が安定するに従って少しずつ変わって来た。

 英介は相変らず細かいことは気にしたくても出来ない性格だし、朔夜だって大雑把なことは自ら認めている。なので、二人の子供が笑わなくても喋らなくても、保育園に行かなくても学校に行かなくても何も言うことはない。

 好きにしたらいいと放っていたら、二人はいつの間にか少しずつ変わって来たのだ。


 「そう言えば、元気が好きな女の子は、なんという名前だった?」

 「確か、晴音ちゃんかな。元気くんが、そう呼んでました」

 「最近の子は、初恋も早いな」

 「初恋とか、そういうんじゃないみたいですよ?なんか、放っておけない子らしいです。今日は園長先生がいないからその子が一人になるとか言ってました」

 「へえ?」


 今朝、熱があるにもかかわらず元気は保育園に行くと言い張ったのだ。その理由を元気は、英介や朔夜には絶対に教えてくれなかったが、どうやら保育園で同じクラスの女の子のためらしいというのは、紗奈がこっそりと朔夜にだけ耳打ちして教えてくれたのだ。


 朔夜が元気の額に手をのせてみると、確かに熱はかなりさがっている。元から丈夫な子だから、明日の朝には治っているだろう。


 お食事の支度が整いましたと、少し開いていた襖の間からぬっと顔を出した寛平が言うと、朔夜は立ち上がった。


 「紗奈、先に飯を食おう。寛平、悪いが少しの間、元気を看ていてくれ」

 「わかりました」


 部屋に入って来た寛平に紗奈は、頭をぴょこんとさげた。


 「お願いします」

 「ゆっくりと食べて来てください」


 見た目は恐いが、その内面はおとなしくて実に優しい寛平に、紗奈がふわりと微笑んだ。


 この家に住む五人に、血縁関係は一切ない。だけど、名を呼び合う声がする。

 人は皆それぞれに一人だけど、だけど名を呼んでくれる人がいる。




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