46 アニメとアイスとバカ話
何故だ、何故なんだーっという、絶望に打ちひしがれた父の雄叫びをうるさいとは思いながらも相手をするのも面倒なので我慢して聞き流すことに決めて、和馬はテレビのリモコンを取ってチャンネルを変えた。映ったバラエティー番組で、お馴染みのお笑いタレントがガハハハと笑っているのが妙に癪に障って、さらにチャンネルを変える。
夕方の六時なんて、ろくな番組がない。ニュース、情報バラエティー、ニュースだ。ニュースも情報もネットで十分と思っている和馬が次々とチャンネルを変えていると、美和が「あ、それ!」と言ったので止めた。アニメだった。
「これ、今日からだったんだ!忘れてたぁ」
「何、美和が好きだって言ってた漫画がアニメ化されたの?」
「そうだよ。あのね、この主人公の男の子がドジでね、可愛いの!」
「ドジな男なんて、最低じゃん」
「ドジだけど、優しいんだよ?」
「優しい男なんて、最低じゃん」
「和香ちゃん、軟弱なの嫌いだもんね」
優しい男は、イコール軟弱なのか……。
仲良くテレビの前に並んで、和馬にはその意味がよくわからないことを喋っている双子の妹たちは、それぞれの手にアイスクリームのカップを持っていた。それは和馬がお土産に買って来たもので、和香はレモンシャーベットで、美和はストロベリーチーズケーキだ。
兄のセレクトは、どうやら間違いなかったらしい。どっちがどっちのなんて言わなかったのに、双子は迷わず和馬の予想通りに手を伸ばした。
予想外だったのは、いい歳した父が自分の分がないと嘆き悲しんでいることだろうか。いや、ちょっと考えればこうなることぐらいはわかったのだが、仮に予想できたとしてもあのヒゲダルマの分まで買ってやるボランティア精神は和馬にはない。高校生の懐具合は、そんなに豊な訳ではないのだ。
……そういや、セスナって小遣い貰ってんのかな?
亡くなった姉の嫁ぎ先に養女という形で世話になっているセスナは、毎月決まった小遣いを貰っているのだろうか?学校の帰りに寄り道しても、セスナは和馬に絶対に奢らせない。かと言って奢ってくれることもなくて、つまりはワリカンだ。ということは、学校帰りにアイスを食べられるくらいの小遣は貰っているのだろう。多分、そうなのだろう。
詳しいことは知らないが、飛鳥井家というのはかなりの名門の家らしい。どれほどの名門なのかは、ごくごく一般的な中流家庭に生まれ育った和馬にわかることではないが、とりあえず金持ちだということくらいは想像できる。いつだったか、親戚に急な不幸があったとかで飛鳥井家の車がセスナを学校まで迎えに来たことがある。ロールスロイスだった、あの角をどうやって曲がったんだろうと思うような長い車だった。
運転手が開けたドアからセスナが乗り込むのを、和馬は教室の窓から見ていた。遠目でも、セスナの動きが流れるように優雅なことに気づいた。いつも和馬の自転車の後ろに乗って、ゲラゲラと声をあげて笑うセスナとは、まるで違う人のような気がした。
セスナは、家でのことはあまり喋らない。
和馬も訊くことはしない。
ただ、あまり幸せそうでないことは感じている。
ぎこちなく唇を重ねる度に、切なくなるのは何故だろう。和馬を見るセスナの目が、いつもどこか寂しそうなのは何故だろう。
セスナは、和馬とは違う大学に進むと言っていた。兄がそうしろと言うからと、そう言っていた。
何になりたいとか、何を勉強したいとかある訳ではないから、大学なんてどこでもいいんだと、甘いアイスクリームを食べながらセスナは言った。やはり、寂しそうな目をしていた。
つき合いだしてもう一年以上、セスナは和馬に気を許してくれていると思う。だけど、何故か壁を感じる。薄いけれど強固な壁だ。
抱いてしまえば、消えるのだろうか?和馬はまだ、セスナにキス以上のものを求めたことがない。
もちろん欲しい、和馬だって普通に欲望を持っている。したいと言えば、セスナは首を横に振ることはないだろう。わかっている、セスナは和馬を好きでいてくれている。それはちゃんとわかっている。
「バカだー、この男!」
「ええ、そうかな?可愛いじゃない」
「美和、あんた、変な男に引っ掛からないように気をつけなよ。男を見る目がなさすぎ」
「やだなぁ、和香ちゃん。アニメと現実は違うよぉ。私だって彼氏にするなら、もっとかっこいい人にする」
アニメ談義がいつの間にか男談義になっている小学生の妹たちの会話を聞くともなしに聞きながら和馬は、どうしてもセスナのことを考えてしまう。セスナは家で、こんな風にアニメを観ながらアイスを食べて、バカ話することなんてないだろう。
掻っ攫ってやろうかと、そう思う。
飛鳥井から連れ出したら、セスナも美和や和香と同じように笑うだろうか。アニメを観ながらアイスを食べて、馬鹿らしい話に花を咲かせるだろうか。いや、男談義はちょっと勘弁して欲しいけど。
「じゃあさ、和香ちゃんは結婚するならどんな人がいい?」
「サッカー選手」
「Jリーガー?」
「理想は、寺田耕三」
「えー、あの人って毛むくじゃらじゃない?おじさんだし」
「男は、見た目じゃない」
「じゃあ、何?」
「稼ぎ」
「成る程ー」
男の価値は、稼ぎで決まるのか、おっさんでもいいのか……。
確かにバリバリに稼いでいるであろうトップJリーガーを思い浮かべて黄昏そうになった和馬は、いやいや違うだろうと脳内から追い出す。本当に、小学生の言動に惑わされてどうする。
和馬は立ち上がり、まだ 「うおー」 と泣いているヒゲダルマの横を素通りして廊下に出た。ペタペタと素足の足音をたてながら階段を登り、自分の部屋に入る。ごろんとベッドに仰向けに寝転び、天井を見ているとやはり浮かんで来るのはセスナの顔だ。
稼ぎな、そりゃそうだ。
親父がきちんと稼いでくれるから和馬は小遣いが貰えて、妹たちに土産を買ってやれる。今、階下で和香と美和が呑気にアイスを食べていられるのは、元をたどれば父のおかげだったりする訳だ。
もしも和馬がもうすでに社会人で、それなりの稼ぎがあればセスナを攫ってやれる。そうすれば、あんな寂しそうな顔は二度とさせやしないのに。
だけど、壁がある。薄いけれど強固なその壁は、きっとセスナ自身が作りあげたものだ。
「稼ぎか……」
進学をやめて就職すれば、来年の春には社会人になれる。贅沢はさせてやれないけれどセスナと二人、食べて行くくらいは何とかなるんじゃないだろうか。
シャツの胸ポケットに入れたスマホを和馬は、布の上から掴んだ。今すぐ電話して、声が聞きたい。攫ってしまいたい……アニメを観ながらアイスを食べて、バカ話をさせてやりたい。
和馬は腕で目を覆った、途端に目の前が暗くなる。
そして浮かんで来るのは、やはりセスナの顔だ。
セスナの寂しげな目がもうこれ以上踏み込まないで言っているようで、和馬の胸はじくじくと鈍く疼いた。




