3 そうなんだ?
「何でもね、田舎のお母さんの具合が悪いんだって。いつ飛んで帰らなきゃならないかわからないから今年は担任を持たなかったらしいよ、阿久津先生。A組の担任になったら、休みなんて取れないもんね」
「ふーん、そうなんだ?」
噂だから本当かどうかわからないけどねと締め括られたあゆみの話に頷きながら、美雨は何とか笑おうとした。お母さんが病気なんて理由では仕方ないし、阿久津はこの学校を辞めた訳ではないのだ。
それに、A組の歴史担当は阿久津だ、少なくとも週に三時間は見ていられる。それで満足しなくてはと、美雨は必死で笑顔を取り繕った。
あゆみは、そんな美雨の引きつった笑顔を見て瞳を曇らせた。どんな時でも笑おうとする美雨をあゆみは気にしているのだが、美雨は自分のそんな癖を自覚してはいないようだ。
「残念だったね、美雨。せっかく頑張ったのにね」
あゆみがそう言うと、美雨はやはり笑う。口角を少しあげただけの、上手な笑顔ではなかったけれど。
そっと息を吐いたあゆみが、周りを見回した。そんなあゆみにつられて、美雨も周りを見回す。
昼休みの気だるい雰囲気は、国公立進学クラスも他のクラスと大差ない。何となく、皆が教科書を開いて勉強しているイメージがあったけれど、そんなことはないようだ。確かに何人かは席について勉強しているが、大抵は数人ずつ固まって無駄話に花を咲かせている。
「で、秀才クラスはどう?」
「どうって言われても、まだわかんないよ。始まったばっかりだし」
「来栖先生って、面白い?あたしら、一回も当たったことないよね」
「面白いって言うか、何か豪快な感じ。姉御って呼びたいような」
「姉御!ナイスバディな姉御だ」
確かに担任の来栖涼華は、かなりの美人だ。いつも豊満な胸を強調するような服を着て、美雨なら数歩で転びそうなヒールを履いている。知らない人から見れば、教師と言われても信じられないかもしれない。
「阿部君とかのグループと仲いいみたい、ホームルームなんて掛け合い漫才みたいだよ」
「ああ、あのグループは目立つもんね」
阿部和馬と永沢雪都、それに国嶋伊佐美、姫宮希羅梨、飛鳥井セスナ、早坂真琴、それにあゆみと同じB組の新見創太と尾崎春樹を加えたこのグループは特に何か、例えば生徒会活動なんかをするという訳ではないのに何故かやたらと目立つ。この学校のアイドル的存在が集まったという感じだ。
「しっかし、嫌味なほどにお似合いだよね、あのカップル」
あゆみが気に入らなそうに顎をしゃくって見せた先には、窓際で仲良く並んでいる雪都と希羅梨の姿があった。
「あれだけ美男美女だと誰もちょっかい出せないよ、何かムカつく」
「どうしてムカつくのよ?」
「うちの不細工と比べるとムカつくのよ」
「不細工なんて言っちゃ、いくら何でも田中君が可哀相だよ」
「じゃあ美雨は、あれをかっこいいと思う?」
「……う?」
「この正直者め」
あゆみに睨まれて、美雨はへへへと誤魔化すように笑った。あゆみの彼である田中清太郎は、とても高校生とは思えないような老け顔なのだ。
あゆみと清太郎は幼馴染で、腐れ縁だから仕方なくつき合ってるとあゆみは言う。だけど、あゆみは不器用だけど優しい清太郎をちゃんと好きなことを美雨は知っている。
「あ~あ、永沢君の半分でもかっこよかったらな」
「永沢君は特別だよ、クォーターだもん。地毛があんな茶色いなんて、反則」
雪都の祖母が北欧人だということは、結構有名な話だ。ヘアカラーどころか化粧さえ禁止な進学校において、一人だけ薄茶色の髪では目立つのでどうしても話題になってしまうのだ。
もっとも美雨は、そのあたりの事情は本人から直接聞いてよく知っている。同じ保育所に通っていた小さい頃、雪都の髪の色が不思議で仕方なかった美雨は、雪都に訊いてみたことがあるのだ。
「あんな格好いい人が友達だったらいいよね、そう思わない?」
「うん……そうだね」
雪都が幼馴染であることを美雨は、何となくあゆみに言ってなかった。しかも今、曖昧な返事をしてしまったせいで余計に言えなくなった。
窓際の明るい場所にいるせいで、雪都の薄茶の髪が金色に輝いて見える。その隣には、希羅梨の艶やかな長い髪が揺れている。
髪の量が多いせいでおろすと広がってしまうので、美雨はいつも自分の髪をおだんごにまとめている。子供の頃からおだんごなのでもう美雨のトレードマークみたいになっている髪型だけれど、希羅梨のきれいな髪を見ているとひどく子供っぽい気がした。
「ねえ、美雨。駅の裏に美味しいケーキ屋さんが出来たんだって。喫茶もやってるから、澪も誘って帰りに寄り道しようよ……美雨、聞いてる?」
「あ、ごめん。何だっけ?」
「だから、帰りにケーキ食べに行こうよ」
「あゆみちゃん、ダイエットしてるんじゃなかった?」
「明日からにする」
「昨日もそう言ってたよ」
いいのと笑うあゆみにつられて、美雨も笑った。だけど笑いながらも、目は窓際に向いてしまう。
もしも……もしも希羅梨の場所に美雨が立ったとしたら、絶対に似合わないだろうと思う。まるでドラマのワンシーンを切り取ったような二人の姿を見ていると美雨は、何故かチクリと胸のどこか奥深いところを針の先で突かれたような微かな痛みを感じた。