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38 推定失恋


 ドアにつけたカウベルがカランと鳴った音に顔をあげた慧一は、反射的に浮かんだ営業スマイルを引っ込めて顔をしかめた。ドアを背に、制服姿の弟が立っていたのだ。


 「フラれたか?」


 カウンター席を顎で示しておいてから、慧一は前置きもなくいきなりグサリと核心をついた。慧一が指示した場所に素直に座った怜士は、うつむいたままで顔をあげようとはしない。


 展示会で受付を手伝ってくれた礼にセスナを誘うのだと、朝から無駄に緊張した顔で怜士が言い出した時、慧一は心の中でこっそりと溜息をついた。放課後、セスナの学校まで迎えに行ってお茶に誘う。ケーキでも奢ってやれば、甘いもの好きのセスナなら喜ぶよな?などと、恋愛初心者丸出しの質問をぶつけて来る弟に、慧一は喉元までせり上がって来た「やめとけ」という言葉をなんとか飲み込んだのだ。


 どうせフラれるんなら、早い方がいいだろう。


 可哀相にと思う気持ちに蓋をして、慧一は「それはいい」と答えた。行け行け、どんどん行けとまで言った。

 怜士の長年の想い人である飛鳥井セスナにつき合って男がいるということは、この店の常連であり、セスナの担任教師である来栖涼華から聞いた。実に妙な経路で知り得たこの事実を、いつ純朴な弟に教えるべきかと慧一はずっと考えていたのだ。


 どうせフラれるのなら、早い方がいい。早ければ早いほど、早く立ち直れる。

 それか、セスナをその恋人から奪い取る算段をするのもいい。阿呆みたいに平和な片想いをしているより、よっぽどいい。


 「で、フラれたのか?」


 冷たい水をグラスに注いで、慧一はうつむいている怜士の前にトンッと置いた。まずは、水。コーヒーはそれからだ。

 傷ついた弟のためにとびきりの一杯を淹れてやるかと、慧一は背後の棚からカップを取り出した。


 「フラれてねえ」

 「あ?」

 「そこまで行ってねえ」


 やっと顔をあげた怜士は、何とも複雑な顔をしていた。困っているような、怒っているような、悲しんでいるような、拗ねているような、そんな顔だ。


 「セスナちゃんをお茶に誘ったら、断られたんじゃないのか?」

 「だから、そこまで行ってねえっての」

 「何だ、そりゃ?」


 怜士は憮然と慧一を睨んだ、兄ちゃん鈍いとでも言いたげな目だ。


 「校門の前だと目立つから、ちょっと離れたとこで待ってたんだよ。そしたら、セスナが男と自転車二人乗りで出て来た」


 うわ最悪、と慧一は思ったが、素知らぬふりで「それで?」と、続きを促した。


 「その男ってのがやたら目つきの悪い奴でよ、ありゃ不良だ。絶対、まともな奴じゃねえ」


 お前がそれを言うのかと慧一は、コーヒーを淹れながら怜士のどう間違っても穏やかとか可愛いなどという形容詞がつきそうにない鋭い目元をまじまじと見つめた。しかも今時、不良ってあまり言わないよな。


 「俺、走って追いかけた」


 追いかけたのか……。

 それはまた、重ね重ね最悪と思いつつも顔には出さずに、慧一は「ふーん」と無難な相槌を打った。


 「セスナと不良野郎はアイスクリーム屋に入ってった。窓際の席に並んで座って、呑気にアイスなんぞ食いやがってた」


 そりゃあアイスは普通、呑気に食うだろう。血走った目をして食う奴も中にはいるかもしれんが。


 「なんか、何かな……もしかして、どうにかしたらデートに見えなくもない感じだった」


 いや、誰がどう見てもデートだろう。放課後制服デートでアイス、これでもかってくらいのアオハルだ。


 「あの男、不良なのに」


 まだ言うか。


 「目がこんなんだぞ、こんなん!」


 こんなんと言いながら自分の目を指さすな、弟よ。自分の目つきも悪いって自覚がしっかりあるんじゃねえか。


 慧一は、こっそりと息を吐いた。コポコポと音をたてながら、コーヒーの深い香りが広がって行く。


 「俺、そんな男やめとけって怒鳴り込んでやろうと思ったんだけどよ、セスナがよ、なんでかすげえ緩んだ顔しててよ」


 あんな顔、初めて見たと怜士はまた俯いた。

 怜士が知っているセスナは、お花を習いに来るセスナだけなのだ。飛鳥井の娘として気を張っているセスナが怜士の知っている全てだった。


 多分、恋人たちと怜士の間には、目に見えない境界線が引かれていたのだろう。どうやっても絶対に超えられない隔たりがあったのだろう。


 「ほら、飲め」


 琥珀色の液体で満たされた白いカップを、慧一は怜士の前に置いた。それからついでに、鬱陶しいから泣くなとばかりに頭を軽く小突いた。




昔、ステップ付きの自転車という、二人乗りの後ろの人が立って乗れるように足場がついている自転車がありました。

まあ、危ないってことですぐに姿を消したんですけどね。

でも流行っていた当時は、中高生がステップで二人乗りしてるのがいかにもアオハルで可愛いなと思っておりました。

和馬とセスナの二人乗りは、セスナが立って乗っているのをイメージしてました。

もっともステップ付き自転車を見かけなくなってかなり経つので、そのあたりの描写は削りました。

ちなみに雪都と美雨の二人乗りは、美雨が後ろの荷台に横座りしています。

自転車の二人乗りは、各都道府県の公安委員会が定めた道路交通規則で原則禁止とされています。

小説の中だけと思ってくださいね。

このお話を書いた時には、それほど厳しくなかったんですけど、今なら書けないですね。

二人乗りなんて危ないですからしない方がいいとは思うんですけど、青春小説的にはちょっと寂しいです。


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