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37 お見舞い


 お邪魔しますと言った途端、たたきに転がっている大きなスニーカーに気づいて美雨はしまったと思った。藤田家は二人姉妹で男兄弟はなく、家族の中で唯一の男である父親はこんなスニーカーなんて履かない。

 つまりこのスニーカーの持ち主はと言うと、あゆみの幼馴染であり彼氏である田中清太郎の他には考えられないのだ。


 田中くんが来てるんだ……どうしよ、ケーキが足りない。


 あゆみとあゆみの母、そして仕事でいないかもしれないけれどあゆみの姉のいずみ。それに美雨と澪の分で、五個だ。あゆみの父は甘い物は食べないそうなので美雨と澪はいつも二人であゆみの家に行く時は、お土産としてケーキを五個買うことにしていた。

 だけど、今日は六個買って来るべきだったと思ったが、そんなことは今更どうしようもない。玄関まで出迎えてくれたあゆみの母に、美雨は少しばかり引きつった笑顔で黒猫が描かれた箱を差し出した。


 「あの、これ、お見舞いです」

 「あらあら、いつもありがとうね」


 多分、おばさんが我慢しちゃうんだろうな、悪いことしちゃったなと思いながら美雨は澪と共に階段を昇り、二つ並んだドアの左側の方をノックした。「はい」とか何とか、きっとあゆみの声が答えるだろうという美雨の予想は見事に外れ、いきなり内側から乱暴にドアが開いた。驚いてまん丸になった美雨の目に、田中清太郎のとても高校生とは思えない老け顔が映る。


 「何してんのよ、とっとと帰れ!この、ワキクサアゴヒゲ猿がっ」

 「うっせえわ!」


 振り向いてそう叫ぶと、清太郎はドアの前に突っ立っている美雨と澪の脇をすり抜けて行った。すれ違い様に悪いなと小さな声で言うあたり、あゆみが言うほど無神経な男ではないと美雨は思うのだけれど。


 「なあに、また喧嘩したの?田中くん、お見舞いに来てくれたんでしょう?」


 苦笑いを浮かべながら美雨と澪が部屋に入って行くと、ベッドの上に座っているパジャマ姿のあゆみは見事に頬を膨らませていた。


 「見舞いじゃない、あいつは弱ってる私を見物に来たんだ」

 「そんな訳ないじゃない」

 「そんな訳ある!」


 まあ、おかげでケーキが足りて助かったけど。

 ベッドのすぐ傍の絨毯の上に座り込んで美雨は、怒涛の勢いで清太郎の悪口をこれでもかと並べたてているあゆみを見あげた。まったく、これでつき合っているのだから驚く。


 美雨が知っている限り、あゆみと清太郎はいつもこんな風に口汚くお互いを罵り合って喧嘩ばかりしている。この二人が甘い雰囲気になることなんてあるのだろうか?いや、そもそもただの幼馴染から恋人に変わるきっかけは何だったのだろう。

 幾度となく美雨はあゆみに訊いてみたが、答えてくれたことはない。どっちから告白したのかとか、そんなことさえ教えてくれない。


 「大体あいつはね、ガキの頃からオヤジ面でさ!あいつが半ズボンはいてランドセル背負ってたんだよ、許せないでしょ」


 いや、許せないかどうかは知らないけれど。

 はいはいと適当に相槌を打ちながら澪の方をちらりと見ると、美雨の隣に座っている澪はにこにこと笑っている。全くホントにこれは所謂、夫婦喧嘩は何とやらというやつなのだろう。


 そうだよね、幼馴染ってこんな風に遠慮がないものだよね。


 子供の頃から長い時間を共有して来た歴史があるからこそ、あゆみは清太郎のことをここまで悪し様に罵れるのだろう。確かに、これは微笑ましい光景なのかもしれない。澪が笑って見ている筈だ。


 一緒に過した時間なら、私とゆき君だって相当なものなんだけどな。


 美雨が雪都と出会ったのは、両親の仕事が忙しくなって保育園に通うようになった頃だから二歳か三歳か、そのくらい小さい頃だった。保育園に遊び相手になる子供はいくらでもいたのに、何故か美雨はいつも雪都と一緒にいた。


 美雨の中の幼い記憶は、全て雪都とセットになっている。


 家が近かったこともあり、美雨の親と雪都の親は自然の流れでお互いの子供を預かり合ったりするようになった。美雨の家で、または雪都の家で二人は保育園から帰っても一緒に過した。夜になって親が迎えに来るまで、とにかく一緒にいたのだ。

 一日のうちで雪都と離れているのは家で寝ている数時間と朝の保育園に行くまでの僅かな時間だけという生活が、小学校に入るまで続いた。小学校に入学して、一年生ではクラスが離れたために学校でまで一緒という訳にはいかなかったけれど、放課後になると当たり前にどちらかの家で一緒に過した。


 一体、いつから美雨と雪都は離れるようになったのだろう?延々と続くあゆみの悪口を聞き流しながら、美雨は記憶の糸を手繰り寄せた。


 小学校の二年生になって、また別々のクラスになった。その頃から美雨には美雨の、雪都には雪都の同性の友達が出来て、また親たちもそれなりに成長した子供たちを預かり合うことをあまりしなくなって来た。つまり、放っておいても大丈夫な歳になってきたということだ。


 それでも三年生くらいまでは、よくお家に遊びに行っていたと思うんだけど。


 雪都の家は、美雨の家から子供の足でも十分程度の距離にある。学校から帰って、誰もいない家にランドセルを置くと美雨は、いつも雪都の家まで走った。しんと冷たく静まり帰った自分の家から逃げるように、暖かさを求めて走ったのだ。

 雪都は子供の頃から嫌になるほど無口で、二人で一緒にいても別々に本を読んだり宿題を片付けたりするだけなのだけれど、それでも美雨は雪都の傍は暖かいと感じていた。泣きたくなるくらい暖かいと、そう感じていた。

 美雨と、雪都の声が自分の名前を呼んでくれる度、美雨の心は何か暖かいもので満たされた。別々に本を読んでいても、宿題をしていても構わなかった。時折、思い出したように顔をあげる雪都の目が美雨に向けられる、それだけで十分だった。


 四年生で同じクラスになって、それから……何かあったっけ?


 確か四年生になった頃には、美雨は雪都の家に行かなくなっていた。それには何かきっかけがあったような気がするけれど、どうしても思い出せない。


 「それで中一の時の体育祭でね、あのバカが……ちょっと美雨、聞いてる?澪も笑うとこじゃないって!」


 聞いてるよと、美雨は慌てて笑顔を取り繕ったが、実際はほとんど聞いていなかった。美雨の頭の中を占めているのは、いつの間にか口を利くことさえなくなっていた幼馴染の顔だった。




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