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33 硝子細工のような恋


 洋菓子店・黒猫の陳列ケースを澪と二人並んで覗き込み、美雨はう―んとうなった。


 美雨はこれから、友達の沢口澪と共に風邪で休んでいるあゆみのお見舞いに行こうとしていた。手ぶらでは何なので、お土産を買って行こうとこうしてケーキ屋を訪れているのだ。

 風邪の見舞いならケーキよりプリンとかムースとか、口当たりのいいものにすべきだろうか?あゆみはプリンが好きだし……だけど、あゆみが好きな白いミルクプリンより、果物が沢山のった色とりどりのケーキの方にに心惹かれてしまうのは、うら若き乙女的には仕方のないことではなかろうか。


 「澪ちゃん、プリンにする?」

 「そうですねぇ……」


 ケースの中で行儀よく並んでいるケーキを真剣に見つめていた澪は美雨の問いかけに顔を向けることなく、ついっと端の方を指差した。


 「これはどうでしょう、チーズムース」


 澪が指差したのは真っ白なムースの上に果物をのせて、生クリームで飾ったものだった。なるほど、これなら口当たりがいいだろうし、何よりおいしそうだ。


 「あ、いいね!じゃあ、これを五つください」


 あゆみの分と、美雨と澪の分、それにあゆみの姉であるいずみと、遊びに行くといつもいい香りの紅茶を淹れてくれるあゆみの母の分で、合わせて五つだ。

 美雨が注文すると、ケーキ屋なのに何故か作務衣を着ている男が、「毎度!」と軽い調子で答えた。


 「今日は、奥さんはいないんですか?」


 いつもなら浅黒い肌をした、エキゾチックな雰囲気のきれいな女の人が対応してくれるのだ。その人が店の店主であるこの作務衣男と夫婦であることは、この店に初めて来た日に物怖じしないあゆみが質問したので美雨たちも知っている。

 オープンしたばかりのこの店では、奥にテーブルを置いて喫茶もやっているので、美雨たちはすっかり常連になってしまっているのだ。駅の程近くに位置していて、電車通学のあゆみと澪、それに徒歩通学の美雨が学校帰りに三人でおしゃべりするには最適な店だと言える。


 「ちょっと出かけてるんスよ。はい、お待ちどうさんです」


 作務衣男が差し出した黒猫のイラストがデザインされた箱を、美雨はありがとうと受け取った。やはり黒猫のイラストが描かれた自動ドアをくぐって外に出ると、午後の街には麗らかな春の陽光が降り注いでいた。


 「今日、五時間目が沢口先生だったよ」

 「ちゃんと授業してました?」

 「ちょっと難しかったかなぁ……私、理数系は苦手だから」


 駅に向って歩きながら、美雨は苦笑いを浮かべた。本当のことを言えばちょっとどころではなく、何が何やらチンプンカンプンだった訳だが、娘である澪にそうは言えずに美雨は言葉を濁すしなかい。

 そんな美雨の気遣いがわかっている澪は、柔らかく微笑んだ。ゆっくりと歩く二人を、大きなバイクが排気音を轟かせて追い抜いて行った。


 「阿久津先生の授業はどうでした?確か、今日は一時間目でしたよね」

 「……よく覚えてるね」


 美雨の阿久津に対する気持ちは、あゆみも澪も当然知っている。美雨が阿久津に憧れに近い淡い恋心を抱くようになったのは一年生の頃だから、すでに二年近い片想いということになる。教師と生徒というお互いの立場をわきまえ、特にこれといったアクションを起こすでもない美雨の恋をあゆみと澪はずっと応援しているのだ。


 「阿久津先生は、相変らず素敵でした?」


 澪にからかうようにそう言われ、美雨は顔を赤らめた。恥ずかしそうにうつむいてしまった美雨に、澪はくすくすと笑う。


 「もう……澪ちゃん、笑わないでよ」


 赤い顔で頬を膨らませている美雨は、どうしようもなく可愛い。同性の澪から見ても可愛いのだから、異性の阿久津が見たらどれ程だろうか。

 今はまだ教師と生徒という越えられない壁があるけれど、あと一年もしないうちに美雨は卒業する。阿久津が美雨の先生ではなく、美雨が阿久津の教え子でなくなったらあるいは、と澪は思う。


 可能性はきっと低くない。いや、低くないどころかかなり高いのではないだろうか。なんと言っても美雨は、こんなに可愛いのだから。


 「澪ちゃん、急ごうよ。次の電車、あと五分で来ちゃうよ」


 誤魔化すように駆け出した美雨のあとを、澪はやはりくすくすと笑いながらついて行った。


 今はまだ不確かな、触れば壊れてしまいそうな硝子細工のような恋だけれど、美雨が一途に想いを貫くならいつかきっと花を咲かし実を結ぶだろう、そんな風に澪は思う。いや、そう思いたいのかもしれない。


 この可愛い友達が幸せになることを、澪は本当に心から願っているのだから。




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