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30 四月の空は青く澄んで


 食べ終わったパンの袋を手のひら中でくしゃっと潰して、雪都は晴れた空を仰いだ。手摺を背もたれ代わりに冷たいコンクリートの上に腰をおろしていると、下から吹き上げて来る風が髪を乱す。


 この髪のことを、どうしてそんな色なのと美雨が訊いてきたのはいつのことだったろうか。おひさま保育園の水色のスモックを着た幼い美雨の姿は、雪都の中で少しも色褪せていない。

 あの頃、誰もが雪都には近づこうとはしなかった。園児たちは勿論、いつまでたってもどうしても懐かない雪都に保育士たちも早々に匙を投げ、寄らず触らずの態度を決め込んだのだ。

 一人がいいと、雪都は思っていた。

 髪の色が違う、そんな些細なことで好奇の目で見られるくらいなら一人でいた方がいい、そう思っていたのに。


 どうしてそんな色なの?


 物怖じもせず、そう美雨は訊きに来た。

 保育室の隅で一人座っていた雪都のところにトコトコと近づいて来て、小首を傾げて、不思議そうに。どうしてそんな色なのと、雪都の髪を指差して。


 あの時、雪都は何と答えたのだったか。ばあちゃんが北欧人なんだ、そんな風に事実を在りのまま答えたように覚えている。隔世遺伝だよと、父親に教わったばかりの難しい言葉も披露してみた。

 幼い美雨は、『ほくおうじん』 という言葉も 『かくせいいでん』 という言葉も理解できなかったようだけれど、それでもふ―んと頷いて、雪都の隣にちょこんと座った。


 「積み木で遊ばない?」と言う美雨に、雪都は首を横に振った。

 「じゃあ、一緒に絵本を読もうよ」という言葉にも首を横に振った。

 「お絵かきは?」と訊かれても、やはり首は横方向に振って見せた。


 もう諦めるかと思ったら、何を考えたのか美雨は雪都にびったりと体をくっつけて来た。訳がわからずに雪都が硬直していると、すーすーと寝息が聞こえて来たりして。


 なんつーか、昔っから危なっかしい奴だよな。


 今朝の、どう考えても間に合わないのに必死で走っていた美雨を思い出すとつい顔が緩んでしまう。ばーかと、雪都は声に出さずに呟いた。


 後で知った、あの頃は美雨の両親が子供服のブランドを立ち上げたばかりで多忙を極めていて、ほとんど家には帰って来なかったということ。通いの家政婦は、夕食の後片付けをしたら子供にしても寝るには早い時間に美雨を布団に押し込み、そのまま無情にもまだ保育園児である美雨を一人にして帰ってしまうこと。


 いくらしっかりと鍵をかけても、夜の闇は小さな子供に優しくない。

 布団に包まっても眠れずに、幼い美雨はいつも一人で震えていたらしい。


 保育園で、気づくと寝ている美雨に雪都はいつも呆れたものだが、夜に眠れないから昼間、人がたくさんいる保育園で安心して寝ていたんだと気づいた時に雪都の中で何かが芽生えた。守ってやらなければ、そんなことを思った。


 ドタバタと子供達が思い思いに遊んでいる騒がしい保育室の片隅で、美雨の枕になるのがいつしか雪都の日課になっていた。安心して自分にもたれかかっている美雨を起こさないように、ただじっとしていることが何故かとても大切なことのように思えた。


 危なっかしいから目が離せないんだよな、それだけだよな。


 好きなんでしょうと問うた、希羅梨の声が消えてくれない。保育室の片隅で体を寄せ合っていた、あのぬくもりがいまだ消えていないのと同じに。


 女の子たちの笑い声が聞こえる。何をそんなに笑うことがあるんだと思うと呆れるが、その笑声はなぜか柔らかく雪都の耳をくすぐった。


 見あげると、四月の空は青く澄んでいた。

 グレーがかった目を細めて、雪都はゆっくりと流れゆく雲を眺めた。




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