25 かえるさんハンコ
園長の椅子に座ってデスクの引き出しを漁っていたら、いきなり後頭部に衝撃が来た。足音は聞こえていたから、いつも開け放している扉から誰かが入って来たことには気づいていたし、その誰かが誰であるかも振り向くまでもなくわかっていたが、まさか殴られるとは思わなかった。五歳児の小さな手で殴られたくらいでは痛くも痒くもないが、それはそれなのだ。
「何しやがる!」
若草色のギンガムチェックにきつねの顔がアップリケされたエプロンを身に着けた、おひさま保育園五歳児ひまわり組担任の御手洗寛治は、振り向きざまに腕を伸ばして、自慢のスキンヘッドに一撃をくれた犯人を現行犯逮捕した。思い切りジャンプして寛治の頭を叩いたと思われる園児は、着地した不安定な体勢のところを寛治に抱き上げられ、ジタバタと暴れている。
「晴音、やっぱお前か」
朝から園長室に来る園児など、一人しかいない。案の定、晴音がぷーっと両頬を膨らませて寛治を睨んでいた。
「どうしてタケちゃんの椅子にパチンコ玉が座ってんのさ」
「パチンコ玉言うな、この艶々なスキンヘッドを維持すんのはすげえ大変なんだぞ」
「むだなどりょく」
「なんだとコラ」
スキンヘッドでなかなか凄みのある見た目の寛治は、子供はもちろん、大人からも怖がられてしまうのだが、わざと低く凄んで見せても晴音は恐がるどころか、ますます頬を膨らませるばかりだ。五歳児の、しかも女の子がなんでこんなに肝が据わっているのかと呆れながら寛治は、抱き上げていた晴音の小さな体を床におろした。
「それで、なんでタケちゃんの椅子に座ってんの。さては、園長の座を狙ってるな」
「んな訳ないだろ……つーか、どこでそんな言い回し覚えてくんだよ……」
ピンクベージュの頭をポンポンと軽く叩いてから、探し物を再開した。ちなみに園長の健から引き出しの中の文具などは、いつでも勝手に使っていいという許可が出ている。
「確か、園長も持ってた筈なんだよなぁ」
ペンやらはさみやらホッチキスやら、小さい物ならクリップなどが一切の整理がされずにごちゃごちゃとぶち込まれているのをかき分けながら目的の物を探していると、寛治の視線を遮る位置に晴音が顔を突っ込んで来る。
「タケちゃんは?」
「今日は、近隣の幼稚園と保育園の園長の集まりに行ってる」
「すぐ帰って来る?」
「いや、他にも色々と用事を済ませて来るって言ってたから、すぐには帰って来ないだろうな」
晴音を押しのけ、ようやく見つけて寛治が引き出しの中から摘み上げたそれは、コミカルなかえるのイラストと、よくできましたとひらがなで書かれているハンコだった。印面を確認してみれば、確かにいつも寛治が使っている物と全く同じ物だ。
「俺の、家に忘れて来ちまったんだよな。確か園長が同じの持ってたと思ったんだが、アタリだ」
お昼の前の手洗いや、食べた後の歯磨きをきちんとやると、壁にはってある紙にこのかえるさんハンコを押すのだ。子供たちはハンコを押してもらいたくて、競って手を洗うし歯磨きをする。自分の努力が目に見える形で現れるのは、幼い子供たちにはとても嬉しいことらしい。
もっとも、大好きな健が不在だと知ってむくれている晴音には、かえるさんハンコなんて欠片の魅力もないようだけれど。
「晴音、園長いねえから今日は保育室に来いよ」
「やだ」
「やだじゃねえ、黙って俺の指導を受けやがれ」
「指導って、何するのさ」
「お遊戯の練習だ、花笠音頭を叩き込んでやろう」
「花笠音頭って、何?」」
「山形の伝統舞踊だな、花のついた笠をこう持ってだな」
寛治が踊りの手つきをして見せるものの、すでに晴音はくるりと踵を返した後だった。園長室の壁一面を占領している棚の右下、いつも園長室に入り浸っている晴音のために健が置いている絵本やお絵かきセットの中から晴音が出そうとしているのは、お絵かき帳とクレヨンの箱のようで。
「晴音、教室に来いつってんだろ」
「やだ」
「花笠音頭マスターになりたいだろ?」
「なりたくない」
まあ、晴音でなくても花笠音頭マスターになりたい保育園児は、山形県民以外ではあまりいなさそうではあるけれど、それはそれなのだ。
「花笠音頭、運動会で踊るんだぞ。一人だけ踊れなかったら、晴音だって嫌だろうが」
来客用のソファーに座ってお絵かきを始めた晴音は、もう何を言われても無視することにしたらしくて顔も上げない。寛治は晴音が座るソファーの傍らで膝を折ると、無言でお絵かきをする晴音のピンクベージュの頭をポンポンとまた軽く叩く。
この日本人らしからぬ髪色のせいで、他の園児たちは晴音を遠巻きにする。それが嫌で晴音は、こうして園長室に逃げ込んでいるのだ。一人だけ、かえるさんハンコが一つも押されていない紙を見るたびに寛治は、なんともやるせない気持ちになる。
無理に教室に入れることはないと、園長の健は言う。今は晴音を敬遠している子供たちだって、もう少し成長すれば髪色の違いなんて受け入れられるようになるだろう。そうなれば物怖じしない晴音だから、自然と皆に溶け込む筈だ。晴音は可愛いからきっと人気者になるぞと笑った健に寛治は確かにそうかもしれないと頷いたけれど、だけど晴音が園長室に入り浸っている状態は解消されることなく何年も続いているのだった。
「寛治、ここにいたの」
寛治が晴音を保育室に連れて行くのを諦めて立ち上がった時、開け放たれたままの扉の影から顔を出したのは、四歳児さくら組の担任である千歳大志だった。微妙に女っぽい喋り方をするが、同性が好きな訳でも女装趣味などがある訳ではない。寛治とは高校からの腐れ縁で、大学が同じだったのはまだしも、勤め先まで一緒になってそのつき合いは既に十年を超えている。
「ひまわり組の元気くん、お熱があるからお休みですって」
「元気が取り柄の元気が休みか」
「何それ、ダジャレのつもり?」
わざとらしく肩をすくめて見せる大志の額のあたりを狙って、平手でバシッと叩いてやった。ちょっとぉーと文句を言う大志の横を素通りして、部屋を出る。
「晴音ちゃんは、今日も園長室ね」
「まあ、無理やり引きずりだす訳にはいかんだろ」
「それはそうだけど、保育士の端くれとしては歯がゆいわね」
ちなみに大志のエプロンは、紫のギンガムチェックにりすさんの顔のアップリケだ。背は高いがどちらかと言えば線の細いタイプの大志には、これが結構似合っていたりする。
どうでもいいが、保育士といえば圧倒的に女性が多い職業なのに、なぜか男の保育士ばかりのおひさま保育園……いや、本当にどうでもいいが。
「さて、花笠音頭を仕込むか」
「ひまわり組は、花笠音頭なのね。さくら組は、ニョッキニョキ体操よ」
なんだそりゃと笑いながら寛治は、五歳児ひまわり組の保育室に向かった。可愛い園児たちが、今日も寛治を待っている。
今回は、ほぼ書き直しました。
元のは、晴音が寛治にハゲハゲ言ってるだけだった!
二次制作をオリジナルに直している弊害と言いますか、二次はまずキャラありきなところがあって、既存のあのキャラが保育士なの?、みたいなあたりに面白さがあるんですが、オリジナルにしたら面白くもなんともないですよね……。




