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20 ミルクプリン


 ガチャガチャと陶器同士がぶつかる独特の音であゆみは、重い瞼をゆっくりと上げた。まだぼやけている視界の中でドアが開き、背の高い女が入って来る。


 あゆみの姉、いずみだ。


 いずみは、あゆみが寝ているベッドのすぐ横で膝を折ると、絨毯の上に持って来た漆塗りの盆を置いた。そして、妹の顔を覗き込む。


 「あゆみ、気分はどう?」

 「悪い」


 しゃがれた声でそう答えると、あゆみはいずみが差し出した体温計を素直に受け取った。体温計を脇に挟むという、それだけの行為がやたらと億劫だ。


 「おかゆ作って来たけど、食べられそう?」

 「プリンだけ食べる」


 姉が持って来た盆の上に、湯気の立っている一人用の小さな土鍋の他にプリンのプラスチック容器が乗っているのをあゆみはすかさず確認していたのだ。いずみは、薬の苦さを紛らわせるために必ず何か甘いものを用意してくれる。


 「喉が痛いからつるんとしたものが欲しいのはわかるけど、少しはご飯を食べなきゃ駄目よ。薬が飲めないでしょう?プリンは薬の後」


 子供に言い聞かせるような姉の言葉に、あゆみは顔をしかめた。

 気が強過ぎるくらいのあゆみとは違って、いずみはおっとりとしていて、いつもなら妹の我儘を笑って聞いてくれる。だけど、ことが病気のこととなるとそれが違って来る。

 いずみは、近くの沢浪総合病院に勤める看護師なのだ。

 人が変わったようになる訳ではないのだけれど、こんな時は絶対に譲ってくれないのは看護師だからなのだろう。

 そんな姉の一面を知っているだけに、あゆみは仕方なく上体を起こした。ベッドの上に座ると、いずみがすかさずカーディガンをかけてくれる。


 「あゆみは、春先に必ず風邪引くよね」


 確かにその通りだった。いつもは元気があり余っているのに、何故か毎年、この季節になると一度は熱を出す。


 ピピッと、甲高い電子音が聞こえて、あゆみは脇に手を突っ込んだ。デジタル表示の体温計を見ると、38度4分。まだ熱が高い。

 あゆみから受け取った体温計に少しだけ眉をひそめてから、いずみは絨毯の上に置いていた盆を持ち上げ、それをあゆみの膝の上にそっと乗せた。

 それは熱い土鍋が乗った盆な訳で、そんな物を膝の上に乗せられたあゆみには、少しでも動けばひっくり返して火傷してしまう未来しかなく、傍らの姉をベッドの上から恨みを込めて睨んでみても反対に睨み返されてしまって、しかたなくあゆみは添えられていたスプーンを手に取った。


 「少しでも食べて、薬飲んで、夜まで寝なさい」

 「えー、もう寝るの飽きたよ」

 「贅沢言わないの。永沢婦長なんて、何日も徹夜したりするんだよ。それに比べたら、のんびりと寝ていられることに感謝しなきゃ」

 「また永沢婦長?お姉ちゃん、それは比較対象がおかしいよ」

 「いいから、とにかく食べる」


 いずみは、先輩看護師である永沢十和子を尊敬しているのだ。その姉の憧れの人が、A組の永沢雪都の母親であるらしいことをあゆみは知っているが、だからどうしたということでもない。


 「お姉ちゃん、梅干しかないの?塩こぶ持って来てよ」

 「梅干には殺菌効果があってね」

 「はいはいはいはい」


 今は姉の健康講義を聞く気にはなれず、あゆみは面倒臭そうに手をひらひらと振って見せた。まだ熱いおかゆを口に入れると、喉が腫れているせいで飲み込み辛い。やっぱりプリンがいいなと、盆の上で湯のみと仲良く並んでいるプリンの容器をよく見ると、最近あゆみのお気に入りの洋菓子店のプリンだ。しかもカスタードプリンではなくてミルクプリン、あゆみはこの白いプリンの方が好きなのだ。


 「お姉ちゃん……これ、わざわざ買いに行ってくれたの?」


 プリンの蓋をつんつんと突いて訊いてみると、盆が落ちないように横から押さえていたいずみは何故かにやりと笑った。その意味深ないずみの表情だけでプリンの出所に気づいて、あゆみはゲッと声をあげた。


 「清太郎?」

 「そう、さっきあゆみが寝てる間に持って来てくれたの。店の手伝いがあるからって、すぐに帰っちゃったけど」

 「……」


 このプリンは学校の近くに最近できたばかりの洋菓子店のもので、ここからその店に行こうと思ったらたった二駅とは言え、わざわざ電車に乗らなくてはならない。でなければ自転車だ。多分、清太郎なら自転車を使っただろう。田中酒店と書かれた大きな荷台つきの黒い自転車を漕いで、プリンひとつ買いに二駅分の距離をギコギコと走ったのだろう。


 「あゆみ、愛されちゃってるよね」

 「うっさい!」


 あゆみと清太郎は近所に住む腐れ縁の幼馴染で、恋とかいう、何やら可愛らしいものとはかなり隔たりを感じている。というか、似合わない。好きとか好きとか好きとか、ぶっちゃけ好きとかどうなのか。全然似合わない、絶対似合わない。あゆみにも清太郎にも、絶対きっぱり似合わない!

 恋というものは美雨みたいな可愛い女の子がするものだと、あゆみは思う。阿久津のことを話している時の美雨はもう、女のあゆみの目からみても思わずぎゅっと抱きしめたくなるくらいに可愛い。実際、何度かやった。美雨、可愛いっ!とばかりにぎゅーっと、何度か。


 「あゆみ、もう食べないの?」

 「あ、うん」

 「じゃあ、薬飲んで。プリン食べてよし!」

 「お姉ちゃん、お預け食らってた犬じゃないんだから」


 薬を飲みながらそんな的外れなことを言うのは、あゆみ独特の照れ隠しだ。いずみはカラになったグラスを受け取ると、代わりにプリンとスプーンをあゆみの手のひらの上に置いて立ち上がった。


 「それ食べたら、ちゃんと横になりなさいよ」


 そう言っていずみは、盆を持って部屋を出て行った。あゆみの手のひらには、白いミルクプリンが残される。


 「……」


 愛されちゃってるかどうかはとりあえず脇に置いておくとして、やっぱりミルクプリンはおいしい。優しい甘さのそれをあゆみは、一口ずつゆっくりと口に運んだ。




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