189 二人の影法師
振り向けば、ほのかに夕焼け色に染まったアスファルトに二つの長い影が仲良さそうに並んでいる。大きい影と小さい影は触れることはないけれど、だけど離れることもなくゆっくりとついて来る。
小さい方、希羅梨の影は手に何かをぶらぶらとぶらさげていた。ぬいぐるみだ、全長二十センチほどの黄色いライオンのぬいぐるみ。
遊園地のレストランの入口のところに、混んでいる時に待ち時間を潰すようにだろうか何台かゲーム機が並んでいた。その中のクレーンゲームで和馬が携帯につけているストラップと同じライオンを見つけて希羅梨は、思わず歓声をあげてしまった。
阿部くんのと一緒だよと言ったら和馬は、本当だとゲーム機を覗き込んだ。このストラップは美和から貰ったんだけど、流行ってるキャラクターなのかと和馬は希羅梨に訊いたけれど、希羅梨も初めて見るライオンだ。これから売り出すんじゃないなどと適当なことを言えば、そうかもなと答えて和馬はジーパンのポケットからコインを出した。
運がよかったのか和馬が上手いのか、一回でライオンはクレーンに吊り上げられた。すごーい、上手ーと手を叩いたら、大袈裟だと和馬は苦笑いした。そして、取り出し口から取り出したライオンを和馬は、ほれっと希羅梨に差し出した。てっきり美和のために取ったのだと思っていたから希羅梨は、目の前ににゅっと突き出されたライオンを見てぱちくりと目を瞬いた。
「あれ、美和ちゃんにあげるんじゃないの?」
「別に……お前がいらねえなら、美和にやるけど」
「いるっ!いりますいります、欲しい。頂戴、お願い!」
「だからやるって、ほれ」
「ありがとう、うわー」
ぬいぐるみを大切そうに胸に抱く希羅梨から和馬が目を逸らしたことに、希羅梨は気付かなかった。片思いが長いせいか、希羅梨は自分が可愛いという自覚があまりないのだ。
食事のあとは、お化け屋敷に行った。お化けの人形が出て来るたびにきゃーきゃーと喜んだら、やっぱ恐がらねえんだなと和馬に笑われた。女の子的にはここは恐がるところだったかと思ったけれど今更で、希羅梨は「へへへ」と笑って誤魔化した。
「そういや、中学ん時も来たよな、ここ」
「そうだったね、来たね」
「全然かわんねえのな」
「うん、かわらないね」
何も変わっていない、本当に何も。
おそろしい顔をした落武者人形も、井戸から顔を出すお菊さん人形も同じだ。最後のコーナーに立っている幽霊だけは人間が扮していて、人形だと思って近づいて来る客を驚かすのも変わっていない。
そして、和馬と希羅梨の関係もまた変わっていない。
中学の時、希羅梨の気持ちを知った春樹がこの遊園地に和馬を誘ってくれた。その時は美和と和香も一緒だったのだけれど、希羅梨が告白できるようにと春樹は何度か希羅梨を和馬と二人きりにしてくれた。希羅梨同様にお化けなんて少しも恐がらない美和と和香をジェットコースターに誘って、二人で行って来てよとこのお化け屋敷でも二人きりにしてくれたのだ。
もしもあの時に告白していたらと、今でも思う。
あの時ならまだ、和馬はセスナに出会っていなかったのに。
「なんか、懐かしいな」
「うん、懐かしいね」
「あれって、三年くらい前か?」
「うん、中三だったよね」
「そうか、もう三年も経つのか」
もしもあの時に告白していたら、恋人になれていただろうか?後悔したくなくてずっと考えないようにしてきたけれど、やはり考えてしまう。もしもあの時……。
「阿部くん、あのね」
「あ?」
「いや、やっぱいいや。何でもない」
「何だよ、気になるじゃねえか」
「何でもないんだってば、それよりあっちの方に行ってみようよ」
お化け屋敷のあとは、メリーゴーランドやゴーカートなんかの子供向けの遊具で遊んだ。楽しかった、涙がでそうなほど。
希羅梨は、わざとはしゃいだ。何にでもきゃーきゃーとはしゃいで見せて、泣きたいのを堪え続けた。
後悔なんてしてない、そんなんじゃない。あの時は一緒にいるだけでいっぱいいっぱいで、告白なんてとてもじゃないけど出来なかった。
もしも、もう一度あの日に戻れたとしても、希羅梨はやっぱり何も言えないだろうと思う。
和馬に貰ったライオンのぬいぐるみは、肩にかけているバックに押し込むのが可哀想な気がしてずっと手に持ったままだった。ライオンの手のところを握っていたから、まるで手を繋いでいるみたいだと思った。メリーゴーランドもゴーカートもライオンと手を繋いだまま乗った。ゴーカートは運転しづらかったけれど、それでもライオンを離さなかった。
もう帰ろうと、言ったのは希羅梨の方からだ。
いっぱい遊んですっきりした、つき合ってくれてありがとうと頭をさげたら和馬は曖昧に頷いた。
帰り道、電車に乗っている間もバスに乗っている間も希羅梨の手にはずっとライオンが握られていた。バスを降りて、家に向かって歩きながらも希羅梨はライオンと手を繋いだままだ。アスファルトに落ちた二つの影が触れ合うことはないけれど、小さな影の手にはぶらぶらとライオンが揺れる。
「……」
角を曲がり、前方に阿部医院の看板が見えたところで和馬が足を止めた。本当に唐突な止め方だったから、つられて希羅梨も足を止めた。そして、和馬の視線の先を追った。
阿部家の門柱にもたれかかって立っている誰か。
クラスで一番背が低いセスナは遠目で見ると、まるでまだあどけない子供のように見えた。
「あすかい…さん?」
隣の和馬の顔を仰ぎ見ると、ひどく真剣な顔をしていた。理由はどうあれ彼女ではない希羅梨と二人きりで遊園地に行って来たのだ。決して浮気ではなけれど、やはりその現場をセスナに見られるのはまずいだろう。
希羅梨は、咄嗟に笑顔を作った。
そして両手をあげ、飛鳥井さーんとセスナを呼んだ。
「飛鳥井さんだ、やっほー」
「……姫宮?」
希羅梨は、すぐにセスナに駆け寄った。そして、今そこで阿部くんに会ったから一緒に帰って来たんだよと、聞かれてもいないのに早口でそんなことをまくし立てた。
「飛鳥井さんは、阿部くんに会いに来たんだ?」
「ああ……まあ、そうだが」
「そっか!じゃあ、私は帰るね。また学校でね」
それだけ言うと希羅梨は、セスナに返事をする間も与えずに走り出した。角のところで一瞬だけ足を止めてバイバーイと手を振り、そして消える。本当に、あっという間の出来事だった。
「姫宮は、何か急いでおったのか?」
「……さあな」
眉根を寄せて首を傾げるセスナに、和馬は苦く笑った。そして、希羅梨が消えて行った角に目をやり、やはり苦笑いしてしまった。