186 すれ違い
呼び鈴を押すと、がっしりとした体格の男が出てきた。前に来た時にも同じ男が出て来たので、雪都は少しも驚かなかった。
彼女の叔父さんだ、確か。ちょっと変わった名前だった気がするけれど、とりあえず今は思い出せない。
虎二郎が出て来た途端、雪都はさっと頭をさげた。そしてはっきりとした声で、美雨さんいますかと訊いた。虎二郎はいないと、一言だけ答えた。美雨は家にいると勝手に決めつけていた雪都は、虎二郎の返事はしっかり聞こえたのに思わず 「え?」 と訊き返していた。
「だから、いない。さっき、出かけてった」
「あの、どこに行ったかわかりますか?」
「さあな、知らねえ」
「何時頃、帰りますか?」
「それも知らねえな。何だ、美雨と約束があったのか?」
「いえ、ありません」
「だったら出直して来い」
確かに約束なんてしてないのだから、いなくても不思議はない。今日こそは告白すると決心して来ただけに、全身に漲っていた力が頭のてっぺんからプシューと抜けたような気がしたけれど、だけど仕方ない。
雪都は、また来ますと頭をさげた。
また明日、来ればいい。明日いなければ、明後日来ればいい。
何度でも来てやる、絶対に彼女に好きだと言うのだから。
今日のところは帰るしかないなと歩き出した雪都を虎二郎がちょっと待てと呼びとめた。お前、前にも来たよなと言われて、はいと答えた。
子供の頃に雪都は、中森家に時々遊びに来ていた虎二郎とは何度か会ったことがある。だけど虎二郎が言う『前にも』は、そんな昔のことを指すのではないだろう。
あの日だ、夏休みを残り一日だけ残した激しい夕立ちが降った日。雪都は美雨を追いかけてこの家まで来て、虎二郎に会った。その時のことを言われているのだろう。
「お前、夏休みに美雨と図書館で会ってた奴か?」
「あ……はい、そうです」
「美雨とつき合ってるのか?」
「……いえ」
出来ることならつき合いたい、だけど今はただのクラスメートだ。つき合っていませんと雪都が答えると、そうかと虎二郎は呟くように言った。
「その髪と目の色、覚えがある。お前って、美雨がガキん頃にいっつも一緒に遊んでたよな?」
「はい」
「やっぱそうか、幼馴染ってやつだな」
何やら考え込んでしまった虎二郎を無視して帰る訳にもいかずに雪都は、中森家から五メートルほど離れたあたりの道端で突っ立っていた。もしかしたらこうしている間に彼女が帰って来るかもと辺りを見回したが、残念なことに美雨の姿は見つけられない。
どれくらいそうしていただろうか、ひどく長く感じたけれど実際には僅かな時間だったのかもしれないが、ようやく虎二郎が顔をあげた時には雪都は、妙にほっとしてしまった。
「名前を訊いておこうか」
「は?」
「名前だ、名前。ちなみに俺は美雨の叔父で、朝比奈虎二郎だ」
とらじろう……ああそうだ、そんな名前だった。彼女がいつも、虎二郎おじちゃんと呼んでいた……なんて思い出していたら、「名前!」と虎二郎のいらだった声が飛んで来た。
「永沢雪都です」
「どんな字を書く?」
「永遠の永の永沢に、空から降って来る雪に都です」
「よし、覚えといてやる」
そう言うと虎二郎は家に入り、扉をばたんと閉めてしまった。その閉まった扉を雪都は、しばらく呆然と見つめていた。
何だったのだろう、一体。
訳がわからず、だけどいつまでも道の真中で突っ立っていることもできずに雪都は歩き出した。どこかこのあたりで彼女が帰って来るのを待っていようかと思わないでもなかったが、それはちょっと、いやかなりストーカーじみている気がして止めておいた。
明日、また来ればいい。
明日も会えなければ、明後日がある。
何も焦ることはない、焦って失敗したら元も子もないし。
今にも溢れだしそうな想いを何とか宥めつつ雪都は、そんな風に自分に言い聞かせた。ずっと感じている嫌な予感は益々強くなっていたが、それも気のせいに違いないと思った。