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school days  作者: まりり
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184 ごめんな


 晴音がりんごジュースが飲みたいと言いだしたので、雪都は四階の小児病棟からエレベーターに乗って売店のある一階までおりた。

 沢浪中央病院は、土日の一般外来を受け付けてないから人影はまばらだ。救急診察をしている内科の前の長椅子に数人が座っているほか、あとはいかにも入院患者の家族らしい大きな荷物をさげた人と時折すれ違うだけだ。


 両親が勤めている病院であり、雪都自身も妹の晴音も何度もお世話になったことがあるから雪都は沢浪中央病院の内部に詳しい。閑散としたロビーを突っ切って、リネン室と給食室が並ぶ職員以外はあまり通らない狭い廊下を進む。突き当たった鉄製の重いドアを開けると売店の前に出る訳だが、生憎とシャッターが閉まっていた。土曜日だもんなと思いながら雪都は、四台ほど並んでいる自動販売機に近づいた。


 りんごジュースなら何でもいいという訳ではない、晴音が好きなのはわかめ大使とかいう妙ちきりんなキャラが缶に描かれているヤツだ。いつもだったら面倒くさいからりんごジュースはりんごジュースだろうと言って、晴音がぶーたれようがどうしようが構わずあるものを買う。だけど、今日は好きなのを飲ませてやりたかった。


 タクシーでこの病院に運び込んだ時には40度を超していた熱は、血相を変えてすっ飛んで来た秋雪の的確な処置ですぐに2度ほどさがった。だけど、まだ38度だ。冷たくて甘いりんごジュースが欲しいと言うのもわかる、どうせなら好きなのを飲ませてやりたい。


 カラフルな缶やペットボトルが並んでいる自販機の端から順に目を走らせて雪都は、わかめ大使を探した。二台目にりんごジュースはあったけれど、わかめ大使ではない。ないのかなと思いつつさらに探すと、最後の最後にお馴染みのキャラクターを見つけた。

 しかし、どうしてフルーツジュースなのにわかめなのか。ミネラルが添加されているせいらしけれど、それにしてもわかめはないだろう。何だかまずそう……いや、晴音がいいなら別にいいけど。


 ジーパンの後ポケットからコインを出して雪都は、りんごジュースを二缶買った。一本は、今飲む分。もう一本は、ベッドの横に備え付けられてある小型冷蔵庫に入れておいてやろうと思った。

 まだしばらく熱が下がらないようならまた喉が渇くだろうから、買っておけばすぐに飲ませてやれる。二本のジュースをまとめて片手で持って、戻ろうと踵を返した雪都の目の端を鮮やかな黄緑色が掠めた。携帯電話が普及した今ではあまり見かけなくなった公衆電話が、廊下のちょうど角のところにひっそりと設置されている。


 電話してみようかと、ふと思った。

 だけど、電話なんかじゃ駄目だろうとすぐに思い直した。


 雪都は今日、好きな女の子に好きだと言うつもりだった。当たって砕けろ的な駄目モトの告白だけど、好きなんだときっぱり告げるつもりだった。

 だけど、さあ行こうという時に晴音の様子が変だと、家政夫の風太郎が知らせに来たのだ。休日はいつもだらだらと寝坊する晴音を起こしに行ったら、ハアハアと荒い息使いが聞こえて呼んでも返事をしないと風太郎はおたおたと慌てている。

 すぐに雪都は、晴音が寝ている和室に走った。晴音、晴音と二度続けて呼ぶと、その声が聞こえたのか、それともドタバタと雪都と風太郎が立てた音で目が覚めたのか晴音は、今にも消えてしまいそうな弱々しい声でお兄ちゃんと答えた。


 晴音の小さな額に触れると、びっくりするほど熱かった。

 すぐにタクシーを呼んで、病院に向かった。


 タクシーの中で電話して母に取次を頼んだけれど、受付から母が務めている病棟に繋いでもらって、さらに母を呼んでもらうまでの間に病院に到着してしまった。だから雪都は、やっと電話口に出た十和子に一階の受付まで来てとだけ言って電話を切った。そして、タクシーの支払いは風太郎に頼んで毛布に包んだ晴音を抱いてまた走ったのだ。


 雪都に運ばれながら晴音は、お兄ちゃん、お兄ちゃんとずっと小さな声で雪都を呼んでいた。


 このところずっと風太郎に任せっぱなしで、雪都は晴音を構ってやっていなかった。

 仕事が忙しい両親に代わり、晴音をこれまで育てたのは雪都だと言っても過言ではない。晴音は雪都が世界で二番目に好きだと言う。晴音にとっては大好きなお兄ちゃんなのに、晴音がすぐに風太郎になついたのをいいことに最近ではまともに顔を見る時間さえあまりなかった。受験勉強と、ちっともうまくいかない恋。雪都は自分のことで精一杯で、晴音を放ってしまっていたのだ。


 「ごめんな、晴音」


 走りながら雪都は、腕の中の妹に謝った。


 晴音は扁桃腺を腫らしやすく、高熱を出すことがよくある。特に今ぐらいの涼しくなり始めの季節は危なくて、いつもの雪都なら晴音の様子に気を配っていた筈だ。

 ゴホゴホと咳をしはじめたら危険信号で、すぐに病院に連れて行って薬をもらうことにしている。栄養のあるものを食べさせて、薬を飲ませていればそうそう悪化することはない。

 二歳の時にひどくこじらせて入院したことがあるので、それからは今時分の季節になると細心の注意を払って乗りきってきたのに、今年はすっかり気を抜いていた。晴音が扁桃腺を腫らしやすいのだということを風太郎に教えておくことさえ失念していたのだ。


 「晴音、ごめん。ごめんな」


 熱っぽい目で晴音は、何度も謝る雪都をぼんやりと見ていた。どうしてお兄ちゃんは謝っているのだろう、そんな不思議そうな顔だった。


 診察の結果晴音は、肺炎の一歩手前という状態だった。扁桃腺が真っ赤に腫れあがっていると秋雪は、すぐに小児病棟にベッドを確保した。入院が必要かどうかは微妙なところだったらしいが、晴音の場合は両親がそろってこの病院に勤めている訳だから、家で寝ているより入院させた方が何かといいだろうという判断だ。


 入院が決まると風太郎は、晴音の着替えを取りに家に一旦帰った。秋雪と十和子は仕事中なので晴音にかかりきりになる訳にはいかず、腕に点滴の針をさされて一人ではトイレにも行けない晴音には雪都が付き添った。

 解熱剤が効いて少し呼吸が楽そうになった晴音はそのまま二時間ほど寝ていたけれど、目が覚めるとすぐにベッド脇にパイプ椅子を寄せて座っていた雪都にりんごジュースが飲みたいと言った。そこに両手に大きな紙袋をさげてちょうど戻って来た風太郎と交代して、雪都は立ち上がった。そして風太郎に、着替えをロッカーに入れておいて欲しいと頼んでから病室を出たのだ。


 二本のりんごジュースを買ってまたリネン室と給食室の前の狭い廊下を歩いていると何だか肌寒い気がした。晴音にカーディガンを着せた方がいいだろうか、風太郎はカーディガンを持って来てくれただろうか。そんなことを考える一方で、やはり心は別の方に傾いて行く。


 まだ熱は高いけれど、ジュースを要求するくらいなのだからもう晴音は大丈夫だろう。風太郎も戻って来たし、夕方には母が仕事を早上がりさせてもらって晴音に付き添うと言っていた。

 晴音が大丈夫となると、途端に彼女のことが頭に浮かんでくるのだから現金なものだと我ながら呆れる。晴音を風太郎に任せっぱなしにしていたことをついさっき反省したばかりなのに、美雨を想うと今すぐ走りだしたい衝動に駆られた。


 彼女に好きだと言いたい、そして抱きしめたい。

 駄目だろうか、彼女は嫌がるだろうか。


 天井まで拭き抜けのロビーを抜けて、ちょうど扉が開いていたエレベーターに乗り込む。四階のボタンを押すと音もなくドアが閉まり、微かな振動と共に上昇が始まった。


 雪都はエレベーターの壁に背を預け、大きく息を吐いた。


 やはり、このままでは駄目だと思った。彼女にこの想いを告げなければ、ちゃんと動きだすことが出来ない。

 希羅梨と二人して中途半端な状態でずっと立ち止まっていたから何もかも中途半端で、晴音の風邪にも気づかなかったし勉強だって思うようにはかどらない。


 決着をつけるべきだろう、自分勝手な言い分ではあるけれど。だけど、どうしても彼女の目を自分に向けたい。今はただの幼馴染としか見られてなくても、雪都の想いを知れば少なくとも美雨は雪都を男として見てくれるようになるだろう。

 好きになってもらえるかどうかは、正直なところ自信がない。だけど、何もしなければ永遠に幼馴染のままだ。


 それに、朝感じた嫌な予感はまだ雪都の中でくすぶっていた。

 彼女に会いたい、とにかく会いたい。今すぐに、会いに行きたい。


 病室に戻ると、ちょうど秋雪が晴音の様子を見に来ていた。「りんごジュース!」と、雪都を見るなり手を伸ばした娘にこれなら大丈夫だと笑っている。お前は勉強があるんだから帰っていいぞと言われて、雪都は晴音にジュースを渡しながら大丈夫かと訊いた。


 「ふうちゃんがいるから大丈夫。お母さんも、もうすぐ来てくれるって言ってたし」


 ごめんなと、雪都は晴音の髪をくしゃっと撫でた。わかめ大使の缶を両手で持ってベッドの上にちょこんと座っている晴音は、どうして謝るのという顔で雪都をきょとんと見上げた。




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