表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
school days  作者: まりり
183/306

182 子供の頃からの夢


 携帯で長電話しているあゆみの声を聞くともなく聞きながら清太郎は、赤ペンを握って斜めに傾いた読みづらい字をなんとか解読していた。

 採点しているのは、さっきあゆみにやらせた数学の練習問題のプリントだ。

 これも間違い、これも。全く、私立の推薦入試がもうすぐ始まるこの時期になって、こんな基本的な問題すら解けないなんてどうすんだ。いくら文系志望とはいえ、高校を卒業できなければ進学も何もない。

 長電話してる場合じゃないぞと清太郎は、ちらりと背後に視線を走らせた。


 清太郎のベッドに腹ばいで転がり、素足をパタパタとあげたりさげたりしながら喋っているあゆみに思わず溜息をついてしまった。少しくらいは遠慮しろと思う、男の部屋でそんなにくつろぐな馬鹿、と思う。

 まあ、一応は幼馴染兼彼女であるあゆみに、一応は幼馴染兼彼氏である清太郎の部屋でくつろぐなと言う方がおかしいのだけれど。


 「うーん、澪もそう思うかぁ。やっぱ美雨、様子がおかしいよね。私も阿久津先生が美雨の告白にちゃんと答えてくれなかったからってだけじゃないような気がする」


 電話の向こう側の沢口澪の声は清太郎には聞こえない訳だが、あゆみが喋っているのを聞いているだけで大体のことは推測できる。

 どうやらあゆみの親友である中森美雨が、長く片想いしていた教師に告白したらしい。それだけならあのおとなしい中森が頑張ったんだなと清太郎も思うが、事態はそんなに単純なものではないようなのだ。


 「ちょっとね、気になってはいたんだ。美雨ってさ、いつもなら私らに何でも話してくれるのに、永沢くんが幼馴染だってことだけは隠してたじゃない?まあ、結局は教えてくれた訳だけどさ、だけどやっぱそれって美雨らしくないって言うかさ。えっと、あれはいつだったかなぁ、私、見ちゃったんだよね。体育で永沢くんが姫宮さんと後片づけをしてた時に美雨が二人をじっと見てたの。その時は、美雨なにやってんだろくらいしか思わなかったんだけどね」


 そこであゆみはだらしなく寝転がってたのを急に起き上がった。清太郎のベッドの上で胡坐をかき、風が気持ちいいからと開け放したままの窓から空を見上げる。


 「よく考えてみたら最初……えっと一年の時にさ、美雨は阿久津先生が好きだって私らが決めつけちゃったよね?美雨は何も言わなかったのに、私ら……って、澪じゃなくて私なんだけどさ、私が美雨に阿久津先生が好きなんでしょうとか、白状しろとか散々言った覚えがある。そんで何となく美雨もそんな気になっちゃったかなぁ、とか。本当の本当は、もしかして幼馴染の永沢くんのことを想っていたのかなぁ、とかね。だけど、私が騒いじゃったから美雨、もしかして……」


 涼やかな十月の風が、ストライプの織模様が入ったレースのカーテンを揺らしていた。空は青い、秋独特の優しい色だ。


 「うん……それは、私もそう思うよ。美雨は、阿久津先生が好きだよね。それは間違いないと思う、だけどさ」


 好きな人がいても違う人に惹かれちゃうことってあるよねぇなんて、空を見上げながらしみじみと言うあゆみに清太郎の赤ペンを握った手が思わず止まった。


 あるのか、そんなこと。


 いや、女なんて摩訶不思議な生物なのだからそれくらいはあるだろうということはわかる。わかるがしかし、それをあゆみが言うか?


 「美雨だって、自分の気持ちがわからなくなっちゃてるのかもね。自分でもわからないのに、私らに言える訳ないよ。馬鹿だなぁ、美雨。そんなこと気にしてたんだ?私らに言うとか言わないとか、美雨が決めることだよね。聞いてないからって、怒る訳ないじゃん。秘密にしたかったら、秘密でいいんだよ。いくら友達だからって、どこまでも踏み込んでいいって訳じゃないんだから」


 最後の問題にバツをつけて、清太郎は赤ペンを置いた。20問中、正解はたった4問。これがテストなら20点、立派な赤点だ。


 「うん、わかった。しばらくは、何も言わないで知らん顔しとくよ。んで、もしも美雨が相談に乗って欲しいって言ったら、その時は二人で聞いてあげようよ」


 ようやく電話を切ったあゆみの前に、清太郎は真っ赤になったプリントをぬっと突き出した。間違えたとこをやり直せと言ったら、あゆみはさも気に入らなそうに唇を尖らせる。


 「数学なんて、受験科目じゃない」

 「そりゃお前、推薦で行けたらだろうが。推薦落ちたら、本試験受けなきゃならねえんだぞ。本試験には、数学あるぞ」

 「推薦で合格するからいい」

 「まだ推薦が貰えるかどうかもわからねえのに、何を言ってんだ。ほら、やり直せ」


 あゆみの第一志望である東雲(しののめ)女子短期大学の推薦入試の入試科目は、英語と国語だけなのだ。理系は全滅に近いあゆみだが英語と国語はわりと得意で、この二教科だけなら何とかなるかもしれない。

 だけどそれは、推薦枠を取れたらの話だ。

 レベルはそれほど高くないが、近くて手頃な短大だけあって推薦を希望する者は多いだろう。


 「ほら、やり直せって」


 もう一度、今度は強めにそう言うとあゆみは渋々とベッドから降りて、あゆみが来た時だけ出す折りたたみ式の小さなテーブルの前に座った。そして、いかにも嫌そうに清太郎からプリントを受け取る。


 「清太郎、私にばっか勉強させてないで、あんたも勉強しなさいよね」

 「やってるだろうが」

 「やってない、やってるとこ見たことない」

 「嘘つくな」

 「大体あんた、志望校は決めた訳?推薦狙うなら、もうすぐ締切じゃない。ぼやぼやしてると、浪人確実だよ」

 「推薦なんて狙ってねえからな」

 「じゃあ、どこ受けるのよ?」

 「……」


 清太郎には、まだあゆみに言えないでいることがあった。子供の頃からずっと思い描いて来て、両親だって男ならやれるとこまでやってみろと応援してくれているのに、だけどあゆみにだけは一度も言ったことがない夢。


 科学者になりたい、そう言えばあゆみは似合わないと笑うだろうか?


 「大体ね、どうせ酒屋を継ぐんなら経済学部に行くべきじゃないの?なんで理系なんよ、あんたってホントに頭悪い」

 「俺は、酒屋にはならない」

 「は?」


 沢浪北高校は言わずと知れた進学校で、この辺りの公立高校では最高の進学率を誇っている。あゆみは清太郎が沢浪に行くというから無理を承知で受験して奇跡の合格を果たした訳だが、清太郎の方はというとこれが余裕の合格だったのだ。入学してからもあゆみは落第すれすれの低空飛行を続けているが、清太郎の成績は常に上位に食い込んでいる。

 国公立進学クラスを希望しなかったのは、国公立大を受験する気がなかったからだ。清太郎は頭が悪いどころか、かなり明晰な頭脳を持っていると言っていい。


 「あゆみ、MITって知ってるか?」

 「えむあいてぃー?」

 「マサチューセッツ工科大学、略してMITだ」

 「どこをどう略したら、えむあいてぃーになるのよ?」

 「……あのな」

 「何よ、清太郎?」


 科学者になりたい、そんなことを言えばあゆみは大笑いするだろう。酒屋の息子が何を言ってんのよとか、マンガの読み過ぎだとか寝言は寝て言えとか言うだろう。だけどこれは、清太郎の子供の頃からの夢なのだ。


 「アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジ市にあるマサチューセッツ工科大学、俺の第一志望だ」

 「はあ?」

 「あゆみ、俺……高校を卒業したら、アメリカに行く」


 待っていてくれとは言わなかった。一度渡米したら、帰るのはいつになるかわからない。もしかしたら、そのまま日本には帰らない可能性もある。


 「……冗談?」


 ぱちくりと目を見開いて自分を見つめているあゆみの頭を清太郎は、早く間違えたとこやり直せとぽかりと殴った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ