166 出口を探している
ガラリといきなり引き戸を引けば、膝まである白衣を着た友人が振り向く。頭痛薬ちょうだいと言いながら涼華が保健室に入って行くと、真央は整った顔を思いきりしかめた。
「また頭痛?」
「うん、今日のはちょっとキツイ」
「一度、大きな病院に行って頭部のCTスキャンを撮ってもらいなさいよ」
「そんな必要ないわよ、私のはおばあちゃん譲りの偏頭痛だから」
もしかしてということがあるでしょうと言いながら真央は戸棚から頭痛薬を二錠取り出し、ほらっと丸椅子に座り込んでいる涼華に渡した。それから、流しに行ってコップに水を入れる。
「この薬、あまり効かないないのよね」
「いつも飲んでるから、体が慣れてしまったんでしょう?すぐに薬に頼らずに、体を動かしたりして痛みを解消した方がいいわよ。頭痛は肩や首のこりとか、目の疲れなんかから来ることが多いんだから」
「だから、私のは遺伝だってば。おばあちゃんからいらないものを貰っちゃったの」
「それだけではありません」
半眼で睨んでいる真央の手からコップを受け取り、涼華は薬を飲んだ。水が美味しくない、消毒の匂いがする。
「ねえ、今度からミネラルウォーターにしてよ」
「何を贅沢なこと言ってるのよ」
うちは公立高校なのよと呆れ声で言う真央に涼華は、はいはいと適当に答えておいて立ち上がった。うーんと腰を伸ばす姿なんて、真央以外には絶対に見せられない。
「ちょっとベッドで横になれば?今日は職員会議もないし、下校時間は過ぎたから、生徒たちも来ないわよ」
「駄目、まだ仕事が山ほど残ってんの」
「無理しても、効率はあがらないわよ」
「何言ってるのよ、無理なんてするに決まってるじゃない。生徒たちが頑張ってるのに、教師が楽してどうすんの」
軽く首を回しながらそう言いきる涼華に真央は、苦笑いを浮かべた。
全くこの友人は、適当でいい加減なふりをしていて実はかなりの熱血教師なのだ。というより、母性愛の固まりのようだと真央は思う。教え子たちを本気で可愛いと思っている教師なんて、今の世の中にどれくらいいるのだろうか?
「でもまあ、A組はほっといても勉強するでしょう?B組の山形先生なんて、この時期になってもまだ志望校を決めてないのがいるって嘆いてたわよ」
「うん、勉強はするんだけどね……」
二学期の始業式の日に配った進路希望の用紙を昨日、回収した。一学期にも同じ用紙を提出させたので、これで二度目の進路調査だ。一回目の調査から志望大学が変わってない生徒も変えた生徒もいたが、一人だけ何も書かずに出した子がいた。一学期の時には確かに第三志望までしっかりと埋まっていたのに、それが全て空白になっていたのだ。
もちろん、速攻で呼び出した。進路指導室で長テーブルを間に挟んで向き合うとすぐに飛鳥井セスナは、少しだけ待って欲しいと言った。すぐに答えを出すから、ほんの少しだけ待って欲しいと。
「やっぱり、第一志望を明条大にするの?」
「いや、そういう訳では……」
困ったように口ごもるセスナに、涼華は首を傾げた。セスナは姫宮希羅梨のようにきゃぴきゃぴとよく喋るタイプではないが、だけど何かを聞けばいつもはっきりと淀みなく答える。こんな風に口ごもるのを見るのは、初めてではないだろうか。
涼華は担任になる前から阿部和馬を中心とするグループと親しくて、休み時間や放課後によくとりとめもない雑談をしていた。その時に聞いた、セスナは和馬と一緒に明条大に行きたいのだと。雪都と希羅梨も同じ明条大志望だと聞いて、あんたらってホントに仲良しねなんて答えたのを覚えている。
そうだ、あの時は確かにセスナは明条大に行きたいと言っていた。それなのに三年生になって行った最初の進路調査では、第一志望は青蘭女子大学となっていた。明条大は、第二志望の欄に妙に小さな字で書き込まれていた。
「迷ってるとこ?」
「迷ってる、と言うのとは、違うのだが……」
「確か、青蘭女子大学への進学はお兄さんの希望だったわね?」
「………はい」
「じゃあ、よく話し合って。決まったら、すぐに知らせること」
すみませんと頭をさげて、セスナは出て行った。わかりました、ではなくて、すみませんと答えたのが涼華の中で少しだけ引っかかった。
何か悩んでるみたいよね……いや、ちょっと違うかな?
セスナは悩んでいるという感じではない、そんな鬱々とした雰囲気はセスナにはないのだ。それどころか最近のセスナは、何かをふっ切ったようなさっぱりとした顔つきをしている。次に大きくジャンプする前に力を貯めているような、そんな顔つきだ。
悩んでるのは、他の奴らか。
阿部和馬、永沢雪都、姫宮希羅梨。それに、中森美雨。
クラスの中でも特に目立つメンバーだけに、様子がおかしいことはすぐに気づいた。どこがどうおかしいのかと訊かれても答えられないのだけど、そこはかとなくおかしい。
美雨は元からちょっと頼りない感じがしていたけれど、和馬と雪都、それに希羅梨は高校生ながらにどっしりと地に足をつけている雰囲気があったのに、それが二学期に入ってから感じられない。ちょっと押したらころんと転がってしまいそうな危うさがある。そういう意味でなら美雨は変わらないのだけれど、だけどふわふわと頼りないなりに美雨はいつも笑っていた。それが最近では何だか泣いているような、そんな風に涼華には見えるのだ。
ま、色々あって当たり前か。
泣いても笑っても彼らは、もう半年もすれば涼華の元から巣立って行く。A組には就職する生徒はいないが、それでも親の庇護の元から一歩抜け出して、自分の足で歩きはじめるということに変わりはない。
迷って当たり前だと思う。
彼らは今、未来に続くそれぞれの出口を必死で探しているところなのだろう。
「よっしゃ、もうひと頑張りするか!」
ほどほどにしときなさいよと言う真央にひらひらと手を振って見せて、涼華は保健室を出た。廊下に行儀よく並んでいる窓からは、薄い茜色に暮れなずむ空が見えた。