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school days  作者: まりり
165/306

164 彼と彼女と


 いつも適当に後片づけを言いつける体育教師が、今日は一番後ろの列の端に座っていた雪都を指名した。ボールを片づけておけと言い残すと、解散の号令もおざなりにすぐさま職員室に戻って行く。


 あれは早く煙草が吸いたいんだなと和馬は、少なからない侮蔑を込めて体育教師を見送った。


 かなりのヘビースモーカーだということは、担任の女教師が顔をしかめて言っていたことだ。ジャージに煙草の匂いが染みついているから、近づいて来たらすぐにわかるとか。その匂いだけで気分が悪くなるから、近くの席になりたくないとか。


 そんなことを生徒に喋っていいのかよと言うと涼華は、いいのいいのと手をぱたぱたと振りながら笑った。和馬に集めたノートを職員室まで運ぶのを手伝わせおきながら、自分は教科書と出席簿だけを軽そうに持って涼華は、そういえばあの先生は離婚の危機らしいわよとか、あの先生はお見合い話が持ち上がってるみたいよなどと、教師陣のゴシップまがいのネタを次々と教えてくれたりするのだから、まったくどういうつもりなのか。

 相手が和馬だからいいようなものの、これが下手な相手だと噂に背びれと尾ひれがついて学校中に広まるところだ。


 あの時は、どうして涼華は和馬に手伝わせたのだろうか。涼華もヘビースモーカーの体育教師に負けず劣らず日直や委員とは関係なく誰かれ構わず適当に手伝いを言いつけるが、こと三年A組に関しては、涼華の手伝いは雪都の仕事と決まっている。だけどあの日に限って涼華は、雪都が休んでいた訳でも具合が悪かった訳でもないのに何故か集めたノートを和馬に運ぶよう言ったのだ。


 そう、あれは先週のことだった。

 二学期が始まって五日ほど経った、金曜日の午後。


 「ところで阿部、飛鳥井とは仲良くやってんの?」

 「あ?」

 「永沢と姫宮は、相変わらず?」

 「何だよ、それ」


 教師陣のゴシップネタをこれでもかと喋りながら階段を下り、そろそろ職員室がある一階に着くというあたりで涼華は急に話題を変えた。山と積まれたノートを抱えているせいで足元が見えない和馬に、どうなのよという目を向ける。


 「別に相変わらずだけどよ、それがどうかしたのかよ?」

 「相変わらずならいいのよ」

 「わかんねえよ、何だよ?」

 「いいのいいの」


 いいのいいのと言いながら、涼華はまた手をぱたぱたと振った。そして、いつまでも暑いわねぇとまた話題を変える。

 一階に着き、前方に職員室が見えて来たからヤバ目の話は止めたのだろう。それはいいが、さっきの質問は何だったのだろう?


 この学校には男女交際禁止などというカビの生えたような校則はないし、和馬とセスナ、それに雪都と希羅梨がつき合っているというのは生徒たちはもちろん、教師たちにも知れ渡っていることだ。

 だから、彼女と仲良くやってるかと教師にからかわれることなどよくあることな訳だが、だけどさっきの涼華の声にはいつものふざけた調子が混じっていなかった。


 自分とセスナ、そして雪都と希羅梨の間に相変わらずじゃない何かが涼華の目には見えたのだろうか?

 和馬にだってはっきりは見えないのに、だけど涼華には見えたのかもしれない。


 夏休みが明けて、四十日ぶりに会ったセスナは休みの前とは顔つきが変わっていた。和馬は、朝の光の中でおはようと笑ったセスナに目をぱちぱちと瞬かせた。一瞬、もう一年半以上もつき合ってる彼女を見間違えそうになったのだ。


 何かあったのかと訊いてみた。セスナは、まだ言えないと答えた。

 まだ言えないということは、何かあったということだ。


 どうして俺に言えないんだよと問い詰めようかと思った、だけど出来なかった。セスナがこれまで一度も見せたことのないような晴れやかな顔でもう少し待ってくれと言ったから、和馬は黙って頷くしかなかった。


 あれから十日、まだ和馬は待たされたままだ。


 セスナはやはり、何かをふっ切ったような晴れやかな顔をしている。

 和馬のよく知っているセスナは、いつも心の奥底に何かを隠しているようなところがあった。仲間たちと馬鹿騒ぎをしている時など、創太がかっ飛ばす冗談に大口を開けて笑っていてもセスナはふと真顔に戻ることがある。それは、肉親が一人もいない不安や、養女という微妙な立場から来るものなのだろうと和馬は思っていた。みんなと同じように笑っていても、みんなと自分は違うんだとセスナは思っているように和馬には見えた。


 みんなには親がいて、セスナにはいないという違い。

 みんなには暖かな家があって、血の繋がった家族が迎えてくれるという違い。


 いや、仲間のうちで一人だけ、希羅梨だけはセスナと同じに家族がいない。春樹から聞いた話によれば、親はどこかで生きているらしい。だけど、娘に見向きもしないらしい。


 冷静にセスナと希羅梨を比べてみれば、セスナの方が恵まれているのではないだろうか?血縁者が一人もいなくとも、飛鳥井家という名家に養女として迎えられたセスナと、両親は生きているものの連絡さえほとんどない状態で、バイトをして大学に進もうとしている希羅梨。

 少なくともセスナは、一人きりの家に帰る訳ではない。飛鳥井家に馴染めてはいないらしいが、それでもセスナは一人ではない。


 本当に寂しいのはセスナより、希羅梨の方ではないだろうか?


 雪都と、和馬は友の名を呼ぼうとして止めた。ヘビースモーカーの体育教師に雪都が言いつけられた片付けを手伝おうと伸ばした手も引っ込めた。グランドの向こうの方から、髪の長い女の子が走って来るのが見えたからだ。


 今日の体育は男子がグランドの中央部分を使ってサッカーをし、女子はその周りをぐるぐると走っていた。授業の終わりを告げるチャイムが鳴る五分前に試合を終えて、体育教師が笛を吹いて片手をあげた場所に男子たちがぞろぞろと集まると、そこからかなり離れたグランドの端の方で女子も集合しているのが見えた。

 希羅梨は、あそこから走って来たのだ。どうやら彼氏が後片づけを任されたらしいと気づいて、真っ直ぐ駆けつけて来たのだろう。


 仲いいんじゃねえかと小さく呟いて和馬は、軽く頭を左右に振った。

 そうすれば、何度も何度も勝手にプレイバックするあの画面が消えてくれそうな気がしたのだ。


 夏休み、何となく立ち寄った希羅梨のバイト先。店に入るなり駆け寄って来た店長に具合の悪い希羅梨を送るよう頼まれた。

 だから和馬は、自転車の後ろに希羅梨を乗せて走った。今までセスナしか乗せたことがなかったせいか、何だか変に緊張した。

 出来るだけゆっくりと走ったのは、そのせいだ。もちろん希羅梨の具合が悪いからというのもあったけれど、もしも希羅梨が元気だったとしてもセスナを乗せている時みたいに飛ばすことは出来ない気がした。


 セスナよりも希羅梨の方が壊れやすいような、そんな気がした。


 しばらく走ると、雨が降って来た。いや、雨が降って来たと思った。だけど、雨ではなかった。自転車の後ろで希羅梨が声もなく静かに泣いていたのだ。


 希羅梨は、寂しいのだろうか……。


 泣きやまない希羅梨を家に連れ帰って診察を受けさせることは出来ず、だけどそのまま帰す気にはなれずに和馬は河原まで走った。

 夏に花火を見た土手に並んで座って、流れる川を眺めた。川はきらきらと日の光を反射しながら流れていた。きらきらと、きらきらと。


 てっきり雪都と喧嘩したのだと思った。希羅梨は違うと言ったけれど、あいつが何かやらかしたのに違いないと和馬は思った。

 雪都を呼び出して、問いただしてやろうと何度か携帯を握った。だけど、かけなかった。どうしてかわからないけれど、希羅梨が泣いていたことを雪都に教えるのが何故か嫌な気がした。


 新学期になってから、変な噂を聞いた。雪都が同じクラスの女の子、中森美雨と夏休み中に一緒に歩いていたとか何とか。ああ、それで泣いていたんだと和馬はようやく合点がいった。


 彼女がいるのに他の女に目移りするなんて許せない、友達だからこそ許せない。今度こそ雪都を問い詰めてやろう、そして希羅梨に謝らせてやろうと和馬は思った。


 だけど、雪都と希羅梨は夏休み前と変わらず仲が良さそうだったのだ。


 休み時間にはよく二人が、窓際の希羅梨の席で一緒にいる姿を見かける。雪都は彼女の前でもいつも通りの仏頂面だけど、希羅梨は楽しそうな笑顔だ。何を話しているのか、身振り手振りも使って雪都に何かを一生懸命説明していたりするのだからとてももめているカップルには見えない。二人の間には、穏やかに凪いだ空気があるばかりだ。


 どうやら、あの噂は何でもないことだったらしい。根も葉もない噂とまでは言わないが、いくら無愛想な雪都だって街で同じクラスの、しかも自分の彼女と仲がいい女の子に会ったら話くらいはするだろう。

 永沢雪都という男はあの容姿のせいでやたらともてるから、ちょっと女の子と立ち話をしていたというだけで噂になる。今までにそういうことはいくらでもあったから、今回の噂もそういうことらしい。


 だとしたら、希羅梨はどうしてあんなに泣いていたのだろう?


 バイトで嫌なことがあったのだろうか……だけど、あの人のよさそうな店長が希羅梨を叱りつけるなんて想像も出来ないし、もし嫌な客が来たのだとしても、やはりあの人のよさそうな店長が庇いそうだと思う。それに、それ程度の嫌なことなら、希羅梨なら和馬に話すだろう。何も言わずに泣くだけなんて、いつもいつも底抜けに明るい希羅梨らしくない。


 「……」


 和馬はあの日、希羅梨が泣いたことを誰にも話していない。和馬の幼馴染で、希羅梨の親友である春樹か、それとも希羅梨とつき合っている雪都に話すべきじゃないかとは思う。何か悩んでるみたいだぞと、相談にのってやれよと言うのは、決してお節介ではないだろう。


 だけど和馬は、誰にも話してなかった。

 希羅梨に口止めされた訳でもないのに何故か、あれは二人だけの秘密のような気がしていた。


 和馬が見ている先で、雪都と希羅梨がサッカーボール入りの鉄かごを運んで行く。雪都が腕を曲げ、鉄かごを高い位置でキープしてなるべく重さが希羅梨にかからないようにしているのが遠目でもわかった。




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