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school days  作者: まりり
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148 神様のいじわる


 図書館一階の一番奥、表の通りが見える窓際に置かれたそのテーブルは、幸いなのかどうなのか貸出カウンターからは見えない。

 一応、閲覧室での自習は禁止らしい。だけど、二階の自習室が満席なんだから許されるだろうと言うのは、雪都の勝手な判断だ。

 夏休みに入ってからここのところずっと雪都は、この席で堂々とノートを広げて勉強しているけれど注意されたことはない。貸出カウンターから死角になっているせいで職員が気づいてないのかどうかは、雪都には関係のないことだ。


 別に、家で勉強できない訳ではない。昼間は晴音がいなくて静かなのだから、むしろ家は勉強に適した環境だと言える。

 通いの家政夫である風太郎は物静かな性質らしく、雪都に干渉したりしない。しかも風太郎は、午前中で洗濯や掃除などの家事を済ませると昼前には一旦帰って行くのだから、正午から晴音が帰って来る夕方まで家には雪都しかいない。

 今まで勉強時間が足りないと焦っていたのが嘘みたいな恵まれた環境で、だけど、何故か家ではどうしても集中できなくて雪都は、何日か前から風太郎に昼食はいらないと断って勉強道具を抱えて図書館に通うようになっていた。


 人の気配がある方が集中できるのはどうしてだろう。少なくとも、自分の部屋で一人閉じこもっている時のような閉塞感はないけれど。

 ただ単に、広い空間だからなのだろうか。それとも、遠い波のような程よいざわめきが気を紛らわせてくれているのだろうか。

 集中力を求めているのに、気を紛らわせたいとはどういうことだろう。それとも雪都の部屋には、幼い時間を彼女と過ごした思い出がこれでもかというほど目一杯詰まっているのが悪いのだろうか。


 ふと気づくと、彼女のことを考えている自分がいる。

 会いたくて会いたくて、もうどうしようもなくなっている自分がいる。


 海に行く計画があった、正直なところ面倒だと思った。だけど、どんな形であれ彼女に会えるならいいと思った。


 会いたかった、たまらなく会いたい。


 だけど、希羅梨からごめんねと電話がかかってきた。ごめんね、誘うの失敗しちゃったと希羅梨は謝った。ごめんね、ごめんねと何度も謝ってくれた。希羅梨のせいではないのに、何度も何度も。


 女子が行かないなら現地調達するまでだと創太は息巻いたけれど、雪都にはもう海に行く気なんてすっかりなくなっていた。雪都が行かないと言ったら、和馬も行かないと言った。お前らが行かなかったら誰が女の子をナンパすんだよーと、ほざいた創太は相手にしなかった。真琴が上手く言いくるめてくれるだろう。創太の相手は、真琴に任せておくに限る。


 いつの間にか、自分でも気づかないうちに雪都の中で膨れ上がっていた想いがある。まさかこんな風になるなんて思いもしなかった、だけど彼女に会えない夏休みは気が遠くなるほど長い。


 会いたい、会いたい、会いたい。


 気まずくてもいい、喋らなくてもいい。ただ、会いたい。

 できたら声が聞きたいし、笑った顔も見たいけれど贅沢は言わない。


 会いたい、美雨に会いたい。


 雪都は、参考書のページを繰った。勉強はまあ、それなりにはかどっていると思う。恋に現をぬかして、受験に失敗するなんて格好悪いことは真っ平御免だ。というか、現をぬかすも何も、片思いじゃどうしようもない訳だけど。


 そう言えば、ここで彼女に会ったことがあるなと雪都はふと思いだした。


 春のことだ、同じクラスになったばかりの頃。雪都は晴音を連れてこの図書館に来ていた、そして彼女に会った。彼女は、晴音に本を取ろうとしてくれていた。フラインググリーン、晴音のお気に入りのドラゴンの絵本だ。


 『だけど時々、神様は思わぬいじわるをするのです。』


 晴音に何度も読まされたせいですっかり暗記してしまった、フラインググリーンの一節だ。

 だけど時々、神様は思わぬいじわるをする……確かにその通りだと思う。


 もし小学校四年の時のあの事件がなかったら、もしもう少し早く雪都が自分の気持ちに向き合っていたら、もし彼女があの男、阿久津に出会っていなかったら。


 いくつもの『もし』が重なっていれば、雪都は今頃、彼女の隣にいただろうか?


 今更、そんなことを考えても仕方ないとわかっている。わかっているのに考えてしまう、そんな自分の女々しさが雪都を自己嫌悪の海に沈める。

 雪都が自分の中に隠れていた想いに気づいた時には、美雨の気持ちは他の男に向いていた。これが神様のいじわるなのなら、あんまりだと思う。ひど過ぎるだろう、彼女をこんなに好きなのに。


 シャーペンを握りしめ、眉間に深い皺を寄せて参考書を睨んでいる雪都の前を、本の山を抱えた若い女の職員が通り過ぎて行った。ちらりと雪都に一瞥をくれたが、何も言われなかった。

 もう確かめに行くことさえしてないけれど、二階の自習室は今日も満席なのだろうか?自習室に移るよう言われたら、雪都は家に帰るつもりでいた。小さな席に収まって、みんなが同じ方向を向いて黙々と勉強する自習室は、自分の部屋よりもさらに息が詰まる。

 雪都は、また参考書のページを繰った。勉強は、それなりにはかどっている。だけど、どうにも身についてないような気がして心許ない。明条大に合格したいのに、彼女に格好悪いところは見せたくないのに。


 ふと、視線を感じて雪都はノートに落としていた視線をあげた。先ほどの職員が戻って来たのかと思った、とうとう注意されるのかと。だけど、そこに立っていたのは図書館の職員ではなかった。

 淡いグリーンの、涼しそうなサンドレスを着た美雨が固まったように突っ立っていた。


 「……」


 雪都もまた、美雨に負けないくらい固まってしまった。あんなに会いたいと思いつめていた彼女の突然の出現に、心臓が動きをぴたりと止めてしまったのだ。

 どうしてこんなところにいるんだと思うより先に、本物か?なんて馬鹿なことを疑ってしまった。


 「あ……え、あ、あれ?」


 金縛りから先に解放されたのは、どうやら彼女の方らしかった。雪都のグレーがかった瞳が見ている先で、何やら意味をなさないことを言いながらわたわたと慌て始めた。


 「う、あ、えっと……」


 このテーブルは、貸出カウンターの方からは死角になっていて見えない。書棚の角を何気なく曲がったらそこに見知った顔が座っていて、美雨だって一瞬心臓が止まったのだろう。しかも、あの七夕祭りの日から雪都と美雨は何となく気まずくなってしまっている。そんな相手にいきなり出くわしたのだから、彼女の次の行動は容易に予測できた。


 「あいてるぞ、そこ」


 踵を返して、逃げ出そうとした美雨に雪都はそんな言葉を投げた。これでも逃げられたなら、もう本当に終わりだと思った。無理だろうが何だろが、今度こそ彼女を諦めなければならない。


 だけど美雨は足を止め、驚いた顔で振り向いた。


 「……え?」

 「勉強しに来たんだろ、そこあいてる」

 「……」


 自分の向かいの席を指し示してから、雪都は何事もなかったようにノートに視線を戻した。誤魔化すために書き綴った文字は後でどう頑張っても解読は無理そうだが、そんなことは今はどうでもいい。


 彼女は、帰ってしまうだろうか?


 勉強するためではなく、本を借りに来ただけかもしれない。

 勉強しに来たのだとしても、雪都がいるなら嫌だと思うかもしれない。


 せっかく会えたのに……。


 実のところ、止まっていた筈の心臓がいきなりとんでもない大暴走をしていたのだけれど、そんなことはおくびにも出さずに雪都は、普通に見えますようにと祈りながら勉強するふりを続けた。

 永遠より長く感じた重い数秒のあと、カタンと小さな音と共に椅子が引かれた。お邪魔しますと、空耳かと思うほど小さな声が聞こえたが顔はあげなかった。今日は暑いねと、さっきよりはほんの少しボリュームをあげた声には頷いて見せた。


 「えっとね、えっと……あのね、二階の自習室がいっぱいでね」

 「自習室の席を取りたきゃ、朝イチで来ないと無理だぞ」

 「あ、そうなんだ」


 帰るな、そこで勉強しろと雪都は必死で念じていた。ノートに綴る文字はもう、グネグネとのたくっているだけだ。


 「ここで勉強しててもいいの?」

 「いい」

 「そうなんだ……」


 ちらりと盗み見ると、彼女は布バックの中から筆記具やノートを出しているところだった。どうやらここで勉強する気になったらしい。雪都は、折れそうなほどシャーペンを強く握った。


 『だけど時々、神様は思わぬいじわるをするのです。』


 美雨に気づかれないように雪都は、そっと息を吐いて力を抜いた。そして、ノートの脇に置いてあったペンケースの中から消しゴムを出して、どう頑張っても解読できそうにないグネグネを消しにかかった。




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