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school days  作者: まりり
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145 元気の素入りオレンジジュース


 ほい、次!と差し出された大きな手に美雨は、半分に切ったオレンジを乗せた。キッチンには、オレンジの甘酸っぱい香りが満ちている。虎二郎がぎゅうぎゅうと力任せに絞って作っているオレンジジュースが、もうすぐ大きなピッチャーいっぱいになりそうだ。


 「虎二郎おじちゃん、もういいんじゃない?」

 「そうか?」

 「うん、パン焼くよ」

 「じゃ、俺は目玉焼きを作るか。美雨、ベーコンあるか?」

 「あるよ、ベーコンもハムもある。私、ハムエッグがいい」

 「よっしゃ」


 どちらかと言うと『ムサい』なんて形容詞がぴったり来る大柄な虎二郎は、その見た目からは想像できない器用さで卵を割り、手早くハムエッグを作りだした。その間に美雨は食パンをトースターに入れて、皿を二枚と大きめのグラスを二つを食器棚から出した。


 「虎二郎おじちゃん、トーストにはマーガリン?マーマレードもあるよ」

 「マーガリン!」

 「りょうかーい」


 美雨が焼きあがったトーストを皿に乗せてマーガリンを塗っていると、虎二郎がトーストの横にハムエッグを乗せてくれる。グラスに氷を入れて搾りたてのオレンジジュースを満たせば、それでご機嫌な朝食の出来上がりだ。


 「うきゃー、虎二郎おじちゃんのオレンジジュース、久しぶりだぁ!」


 オレンジを絞っただけなのだから誰が作っても同じなのだろうが、美雨にとって虎二郎のオレンジジュースは特別なのだ。ビタミンの他に、何か元気の素が入っているんじゃないかと思う。朝にこれさえ飲めば美雨は、その日一日元気で過ごせる気がする。


 「よし、食うか」

 「いただきまーす」


 虎二郎は美雨の父、草一郎の歳の離れた弟だ。草一郎は三人兄弟で、草一郎が長男、その下に鶴子という名の妹がいて、末の弟が虎二郎なのだ。

 このあたりでは一番の繁華街である小堀町のあたりの土地を一手に持っている大地主、朝比奈家が父の実家だ。祖父が亡くなるまではいくつもの会社を経営していた、それこそ正真正銘の金持ちだったらしいが、バブルが弾けた頃から事業が傾き始め、美雨が生まれる数年前に祖父が亡くなったのを機に全て畳んでしまったらしい。今でもかなりの土地を所有しているから大地主であることにかわりはないが、勢いがあったころの面影はないのだそうだ。それもこれも全て、美雨にはよくわからないことだけれど。

 そんな朝比奈家だから、跡取り息子だったにも関わらず草一郎が中森家に請われて婿養子になっても、それほど問題はなかったらしい。その弟である虎二郎もまた家を飛び出したのだが、これもどうということはないとか。

 七年ほど前に、当時まだ大学生だった虎二郎は一年ほど中森家に居候していたことがある。どういう事情でそういうことになったのか美雨は知らないが、だけどその頃も両親は仕事でほとんど家にいなかったから、小学生だった美雨は虎二郎が家にいてくれたのはとても嬉しいことだった。

 見た目はガサツそうな大男の虎二郎だが、面白くて優しいから美雨は小さい頃から大好きだった。その大好きな虎二郎と暮らした一年は美雨にとって忘れられない、とても楽しい毎日だったのだ。


 「虎二郎おじちゃん、今度はどこに行ってたの?」

 「南米をぐるっと一回りして来た」

 「お土産は?」

 「あるぞ、後で出してやる」

 「やったぁー」


 大学を卒業すると、虎二郎は中森家を出て行った。ボニーちゃんと名づけたサイドカーつきのバイクにまたがり、カメラを片手に放浪の旅に出てしまったのだ。今でも自由気ままに世界を巡り、数年に一度、ふらりとこうして帰って来る。そして数週間を中森家で過ごすと、またふらりとどこかに行ってしまうのだ。


 「今度は、どれくらい日本にいるの?」

 「そうだなぁ、美雨の夏休み中はいるか」

 「ホント?」

 「ああ、いいぞ。別に急ぐ旅じゃねえ」


 嬉しいと笑って、美雨はオレンジジュースを飲んだ。甘酸っぱくておいしい、やっぱり元気の素が入っているにちがいない。

 草一郎と虎二郎が出て行った後、朝比奈家は長女の鶴子が継いでいるらしい。継ぐと言っても事業は全て畳んでしまったので、土地の管理くらししか仕事はないそうなのだけれど。

 美雨も時々会う叔母の鶴子は、子供の頃の事故で片腕を失くしてる。だけど、そのハンデを欠片も感じさせない明るくて強い人だ。

 父の草一郎をはじめ、朝比奈の三兄弟はみんなさっぱりとした性格で、美雨はみんな大好きだ。祖父のあとを追うように祖母が亡くなったのも美雨が生まれる前のことで、大好きな父や叔母、叔父を育てた祖父母に一度くらい会ってみたかったなと、美雨は残念に思っていた。


 「美雨、何か鳴ってないか?」

 「え?」


 虎二郎に言われて気づいた、微かに聞こえているメロディは美雨の携帯の着信音だ。美雨は持っていたフォークを置いて慌てて立ち上がった、携帯は二階の自分の部屋に置きっ放しにしている。

 パタパタと階段を駆け上がり美雨は、自分の部屋に飛び込んだ。呼び出しが一分続くと留守番電話センターに自動的に接続するよう設定している、その直前に美雨は机の上に置いてあった携帯を掴んだ。

 慌てたから、相手を確かめずに通話ボタンを押してしまった。だけど、電話の相手が誰かは一瞬でわかった。中森さん?と、希羅梨の可愛い声が美雨を呼んだ。


 「あ、姫宮さん?」

 「うん、おはよう。朝早くからごめんね、もしかしてまだ寝てた?」

 「ううん、大丈夫。下で朝ごはん食べてたから、出るの遅くなっちゃった」

 「そうなんだ?じゃあ、食事中にごめんね」

 「そんなの全然いいよ」


 携帯を耳に押しあてたまま、美雨はベッドの端に座った。スプリングが柔らかく美雨を受け止める。


 「あのね、急なんだけど来週の水曜日にみんなで海に行こうってことになったんだけど、どうかな?日帰りだから、受験の息抜きに是非!」

 「海?」

 「そう、海」

 「えっと……皆ってみんなって、みんな?」

 「うん、みんな。雪都くんと阿部くんと早坂くんと新見くんと国嶋くん。春樹ちゃんは、空手のお稽古があるから来れないんだけどね。春樹ちゃん、道場で師範代代理を頼まれてるんだって。あとね、阿部くんの妹の美和ちゃんと和香ちゃんが行くって、小学五年生だよ。飛鳥井さんは行けないみたいなんだけど、中森さんと藤田さんは行くよね?海だよー、きっと気持ちいいよー」

 「あ、うん、そうだね……」


 美雨は、曖昧に言葉を濁しながらどう答えたらいいだろうかと必死で考えた。希羅梨が言うみんなとは、もちろん三年生になって親しくなったみんなだ。その中には彼が含まれている、美雨の幼馴染の彼が。


 「えっと、どうしようかな」

 「みんなでどこか行ったことないもんね、行こうよ」

 「うーんとね、えっと」


 何も、彼と二人きりで行く訳ではない。あの七夕祭りの夜から何となく気まずくなってしまった彼と二人きりではないのだ。二人きりどころか、彼の彼女である希羅梨だって行くのだから……。


 「……って、姫宮さんも行くんだよね?」

 「あはは、ごめーん!誘っといて悪いんだけど、私はバイトで行けないんだ」

 「えええっ、そうなの?」

 「うん、ごめんね。私は、女子の連絡係をやってるだけ」

 「そうなんだ……」


 混乱する頭を美雨は何とか整理した。希羅梨と春樹、それにセスナまでが行かないとなると、女子は和馬の妹たちと美雨とあゆみだけ……いや、あゆみは一学期の成績がかなり悪かったらしくて、この夏休みは家に籠って勉強すると言っていた。澪と三人で行こうと言っていた水族館行きも取りやめになったくらいだから、海に行くとは考えにくい。和馬の双子の妹たちのことは、話には聞いたことがあるけれど美雨は会ったことがない。美雨が頼んだらあゆみはもしかしたらつき合ってくれるかもしれないけれど、それにしてもこのメンバーはどうなんだろう?

 そこまで考えて美雨は、ごめんねと言った。とてもじゃないけれど、このメンバーに入る勇気がない。


 「ええー、どうしてもダメ?」

 「ごめんね、えっと……今、叔父が来てるから、だからね」

 「叔父さん?」

 「うん、そう。昨日の夜、南米から帰って来たんだ」

 「南米?」

 「そうなの。久しぶりだから……それに、勉強もしなきゃだし」


 海に行けない言い訳にしては苦しいことはわかっていた、だけど他に何と言って断ればいいのかわからない。永沢くんと顔を合わせ辛いからとは言えない。そんなこと、絶対に言えない。


 「本当にごめんね」

 「残念だなー、みんなガッカリするよ」


 そんなことを言う希羅梨だって行かないのだからどうかと思うが、それでも美雨はごめんね、ごめんねと何度も謝って電話を切った。

 もう何の音もしない携帯を見つめて、美雨はふぅっと息を吐き出す。何だろう、胸の中がもやもやする。久しぶりに大好きな虎二郎おじちゃんに会えて浮き立っていた気持ちが急降下してしまった。


 「しっかりしろ!」


 パシッと、美雨は自分の頬を叩いた。そして、携帯を置いて立ち上がる。


 ダイニングに戻って、虎二郎が作ってくれたおいしいオレンジジュースを飲もう。あれにはビタミンの他に特別な元気の素が入っているのだから、あのジュースさえ飲めばきっと大丈夫だ。




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