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school days  作者: まりり
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140 夏の大三角


 美雨は自室の机に座り、先日もらった成績表をまじまじと見つめていた。

 何度見ても変わらない、一学期の成績は二年の時より下がっている。期末が悪かったから予想はしていたけれど、やはりこれは落ち込む。こんなことでは明条大なんてとても合格できそうにない。


 「頑張らなきゃ……」


 一人で家にいることが多いため、すっかり癖になってしまった独り言が勝手に口をついて出て来るけれど、美雨の声に張りはない。頑張りたいという気持ちはもちろんあるのだけれど、どうしても体に力が入らない感じだ。


 「頑張る、頑張る、頑張る」


 自分を鼓舞するように重ねて言ってみても、参考書を開く気になれない。夏休みに入ってから数日、ずっとこんな風に成績表を開いて見ては頑張ろうと誓って、だけど力が出なくてすぐに机を離れてしまうのを繰り返していた。


 「………」


 美雨は、自己嫌悪で落ち込んでいた。こんなことでは駄目だと思う、だけどどうしてもエンジンがかからない。別に明条大じゃなくても、なんてことをつい思ってしまう。

 美雨が国立明条大を志望したのは、元はと言えば国公立進学クラスに入るためだった。三年A組を阿久津が担任するだろうと思っていたから、本当なら私立文系クラスを希望するところを頑張って変えたのだ。

 高校最後の年に憧れの先生の担任クラスに入りたくて猛勉強をしたのに、だけど阿久津は今年、担任を持たなかった。


 去年の、A組に入るために必死で勉強していた頃の勢いは何だったのだろう?自分で自分を褒めてやりたいくらい、本当に美雨はよく勉強した。学年で真ん中あたりだった成績を、国立大を狙える位置まで数か月で引き上げたのだから自慢してもいいのではないだろうか。もっとも三年の夏という一番大切な今の時期にやる気が起きないのだから、どうしようもないのだけれど。


 こんなことなら私立文系クラスにしておけばよかったとは、美雨は考えないようにしている。あゆみと同じクラスじゃないのは残念だけど、でも今のクラスだって美雨は好きなのだ。

 希羅梨とセスナが仲良くしてくれる、和馬や真琴たちとも喋れるようになった。担任には最初とまどったけれど、慣れてくれば楽しくていい先生だ。そして何より、A組には彼がいる。

 美雨は立ち上がると、冷房を入れているため閉め切っていた窓を開けた。もう外はすっかり暗くなって、濃紺の夜空には星が出ていた。


 「あ、結構涼しいかも」


 窓を開けていると時折、夜風が吹き込んで来る。昼間は暑くてとても窓辺になんて立てなかったけれど、日が落ちると涼しくなったようだ。湿度の高さは不快だけれど、ずっと冷房を入れているのも体に悪そうだ。美雨はリモコンでクーラーの電源を切ると、窓枠に両手をついてうーんと体を伸ばした。


 東の空、一番明るい星がこと座のベガ。天の川を挟んで、ベガの右下にあるのがわし座のアルタイル。アルタイルの左やや上、ベガから見ると左下にあるのが白鳥座のデネブ。三つの明るい星を結んで、夏の大三角と呼ばれる。


 美雨は指先で三つの星を順ぐりに指して、小さな三角形を空中に描いた。ベガ、アルタイル、そしてデネブ。順番に、確かめるようにひとつひとつ指さす。


 星を見ていると、美雨はどうしてもあの夜のことを思い出してしまう。幼馴染の彼と二人で行った、七夕祭りのあの夜。西洋ではベガとアルタイルと呼ばれているけれど、東洋では織姫星と彦星と呼ばれる。言わずと知れた、七夕伝説の織姫と彦星だ。

 美雨は、三角形を描いていた手をゆっくりとおろした。そして、星をじっと見上げる。


 「……そうか、夏休みって四十日もあるんだった」


 星を見上げながら美雨は、そんなわかりきっていることを呟いた。

 七夕祭りの夜以来、何となく気まずくなってしまった彼に四十日間も会えない。教室で美雨の斜め前に座っている彼に会いたくなくて、でも会いたくて。矛盾だらけの心を持て余して美雨は、どうしても勉強に集中することが出来ないでいた。


 「家庭教師の先生、まだ見つからないのかな……」


 何か切欠があれば、気持ちを受験に向けられるような気がする。美雨は、ほんの些細なことでいいから切欠が欲しかった。


 彼が好きなのは、美雨ではない。

 美雨が好きなのは、彼ではない。


 わかってる、そんなことは今更確認しなくてもわかりきっている。だから、会いたくないも会いたいもない、友達の彼氏にそんなことを思うこと自体がおかしい。

 美雨にとって、雪都は優しい幼馴染だ。会えればうれしいけど、会いたい訳じゃない。そんな関係じゃない、だけど。

 四十日が、とてつもなく長く感じる。


 「……あれ?」


 ブロロロローと、バイクの音が近づいて来るのが聞こえた。何となく心にひっかかるものがあって美雨は、窓から身を乗り出すように視線を遠くに投げた。

 このあたりは住宅街で、細い路地ばかりがぐねぐねと入り組んでいるだけで抜け道にもならないから、新聞や郵便の配達も終わったこんな夜に美雨の家の前の道を入って来る車やバイクはこの辺りの住人のものにほぼ限られる。近所の人がどんなバイクに乗っているのかなんて、車にもバイクにも全く興味のない美雨は覚えていないけれど、だけどあんなに大きなバイクに乗っている人はいないと思う。

 ブロロロローとエンジン音を遠慮なく響かせてこちらに向かって走って来るやたらと横幅の広いシルエットに美雨は眉をひそめた。サイドカーつきのバイクなんて、日本ではそんなにお目にかかれない。そのバイクがゆっくりと減速して、美雨の家の前でぴたりと止まった。


 「おーい、美雨」


 バイクに乗っていた男は、バイクにまたがったままでかぶっていたヘルメットを外して、美雨が顔を出している二階の窓に向かって両手をあげた。


 「美雨、久しぶりだな」


 虎二郎おじちゃんと、小さく呟くと美雨は駆け出していた。部屋を飛び出し、階段を駆け下りて玄関に向かう。さっきまで沈みきっていた気持ちが一気に浮上したのを感じながら美雨は、しっかり施錠していたのを解除して、バンッと音をたてて扉を大きく開け放った。


 「虎二郎おじちゃん、おかえりなさい!」


 転がるように飛び出して来た姪っ子に虎二郎は、元気だったかと真っ黒に日焼けした顔で笑った。




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