13 図書館の偶然
一度は通り過ぎたのだけど、美雨は通りすがりに視界の端を掠めたものが何故か気になって後ろ向きに数歩戻った。休日の図書館はいつもより子供が多い。しかも、ここは児童書のコーナーなのだから子供がいるのは当たり前なのだけれど、それでも美雨はその小さな女の子を見て驚いてしまった。
……ピ、ピンクだ。
本棚の高いところの本が取りたいのか、腕を伸ばして何度もぴょんぴょんと飛び上がってる子供の髪の色のことだ。窓からの光を直接受ける場所に立っているせいであんな色に見えるのだとしても、普通の日本人の髪色ではありえない。
美雨はほんの数秒だけれど呆けたようにその子供を見つめてしまい、ハッと我に返ると慌てて駆け寄った。
「どれを取るの?」
後ろから声をかけると、ピンクの髪の少女はきょとんと振り返った。零れそうな大きな目がぴっくりしたように美雨に向けられている。
か、可愛いかも。無茶苦茶かわいいかも!
近くで見ると、髪は赤味の強い薄茶色だった。色名なら、ピンクベージュとでもいったところか。そのピンクベージュの髪を肩の高さで切りそろえ、毛先は外に反り返るようにはねている。そして、大きな目は焦茶色。肌は白くて、頬はほんのりと紅がさしている。
まるでお人形さんみたいとは、この子のためにある言葉じゃないだろうか。
美雨は、元より子供好きなのだ。美雨自身には弟も妹もいないけれど、たまに子供と接する機会があれば喜んで相手をする。今は阿久津の影響で教師志望だけど、それまでは保育士になりたいと思っていたくらいなのだ。
「取ってあげるよ、どれ?」
美雨がそう言うと、ピンクの髪の女の子は棚の高いところを指差した。女の子が指しているあたりの絵本を一冊抜いて、これ?と訊くと首を横に振る。その隣の絵本も引き出してみたが、やっぱり首を横に振った。
「もっと上の、ドラゴンの本」
「もっと上?」
美雨は上の方を見あげてみた、すると、背表紙に描かれた見覚えのあるちびっ子ドラゴンを見つけた。
「フライング・グリーン?」
「うん!」
『フライング・グリーン』 というのは、チビドラゴンのグリーンが活躍する絵本で、美雨も子供の頃には大好きだった。龍王の息子でありがなら空が飛べないグリーンが幾多の試練を乗り越えて飛べるようになるまでのお話で、淡い水彩で描かれた絵も可愛い。
やっとわかってもらえたせいか、ピンクベージュの髪の女の子はまるで花が咲いたかのような笑顔を輝かせた。両手を上に精一杯伸ばして、ぴょんぴょんと飛び上がっている。
可愛い、すごくすっごく可愛いよー。
思わずぎゅっと抱きしめたくなったけれど、そんなことしたら変な人と思われてしまうので美雨は慌ててもう一度書棚を見上げた。背表紙が何冊か並んでいる中に、あのお馴染みのドラゴンのイラストが見える、確かに見えるのだけれど。
どうして児童書コーナーなのに、こんなに高い本棚を使ってるの……。
美雨の身長は、151cmしかない。去年までのクラスならダントツで一番小さかったのだが、今年はセスナのおかげで何とかそんな不名誉な一位は獲得しないで済んだ。しかし、いくらクラスで二位に浮上したとは言っても美雨の身長が151cmしかないことに変わりはない訳でつまりは、手が届かないのだ。しかし、全く届かないという高さでもない。つま先立ちして精一杯に腕を伸ばせばなんとかなりそうな。
「これか?」
指先を何とか届かせていた本を、誰かが美雨の背中越しにひょいっと抜き取った。驚いて振り向いた美雨の目に、薄茶色が飛び込んで来る。
「なんだよ、またこれかよ」
「グリーン!グリーン!」
雪都の手から絵本を奪い取ると、ピンクベージュの髪の女の子、晴音は満足そうにそれを胸に抱えた。
「もう五回は借りたぞ、それ」
「いいの」
「よくない、読まされるのは俺だっての。飽きた、違うのにしろ」
「やだ、グリーン!」
思いきりイーッと歯を見せると、晴音は絵本を抱えて走って行ってしまった。雪都はその背中にのんびりと、コケるぞーなんて声をかけている。そんな雪都を美雨は、ただただ呆然と見つめた。
美雨と雪都の家は近い、ゆっくり歩いても十分とかからない。そしてここはその二人の家からほど近い市営図書館なのだから、別に会っても何の不思議はない。そう、全く不思議ではないのだけれど、だけど美雨は本当に驚いていた。
今、確かに目の前に立っているのが同じクラスの永沢雪都であるという、その事実に。
「中森、ありがとな」
雪都にそう言われて、美雨はパチパチと目を瞬いた。
「……え?あ、や、えええ?」
「何?」
「ああ、あー?」
「だから何だよ」
美雨の意味を成していない声に、雪都は怪訝そうな顔をした。その顔を見た途端に美雨は焦った、これでは変な子だと思われると慌てて言葉を探す。
「えっと、だから、あのね」
「……」
「その、つまり、えっとぉ」
「……何が言いたい?」
「うっ、だからね」
雪都の自分を見る目が段々と冷たくなって来たような気がして、美雨はさらに焦った。だけど、焦れば焦るほど言葉が出て来ない。
「だから、あのね」
「今の、妹さん?」という、ようやく絞り出した美雨の問いかけは、雪都の「あのバカ」という呟きに遮られた。雪都の視線の先で、ピンクベージュの髪が床に寝転んでいる。いや、転んでいるのだ。
「晴音!」
床にうつ伏せに転んだまま、うわーんと泣き出した晴音に向って雪都が駆け出した。その白いシャツの背中を美雨はやっぱり呆然と見送った。