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135 お兄ちゃんは心配


 高層ビルが立ち並ぶ中にあってもひときわ高いシルエットを誇る飛鳥井財閥本社ビルの最上階、総裁である柊也の執務室の扉を小林忠嗣(こばやしただつぐ)は軽くノックした。

 小林ですと名乗れば、入れと簡潔な返事が返る。

 忠嗣は銀縁の丸眼鏡を人差し指の先で押し上げてから、ゆっくりとドアノブを引いた。


 「柊也さま、御所望の品が届いております」

 「そこに置いておけ」

 「は」


 柊也の命で、通販型のDVDショップに注文を入れたのは忠嗣だ。忠嗣はこの飛鳥井グループでは一応、総裁秘書という肩書になっているが、先祖代々飛鳥井家に仕えている小林の現当主である忠嗣の本当の肩書は執事だ。柊也は公私混同するような愚かな経営者ではないが、執事である忠嗣だけには仕事とは関係のないプライベートなことでも頼む。

 全部で三本のDVDを注文して、二本はすぐに届いたのだが、残りの一本は在庫切れとかで今日になって届いた。忠嗣は、DVDショップの店名が印刷された小箱を来客用の応接セットのガラステーブルの端に置いた。中に入っているのは、『宇宙怪獣ドドムⅢ キングメカガガンドン来襲』だ。タイトルからして、どう考えても特撮怪獣映画だろう。


 このDVDを取り寄せよと柊也からメモを渡された時、正直なところ忠嗣は自分の目がおかしくなったのかと思った。だけど穴があきそうなほどメモを睨んでも、柊也の字で走り書きされた三本の映画タイトルは、巷でドドムシリーズと呼ばれる怪獣映画のものだったのだ。


 忠嗣は柊也の幼少期から仕えているが、飛鳥井家の長男として聡明すぎるほど聡明な柊也がこのようなものを欲しがったことは今まで一度もなかった。どうしたんだ!と、心の中で絶叫したものの、それを口に出すほど忠嗣は教養の低い執事ではない。何も言わず問わずに注文した。

 先に届いた二本、『宇宙怪獣ドドム』と『宇宙怪獣ドドムⅡ 冥王星大決闘』が柊也の使っている大きなデスクの端の、書類が山積みされている上に無造作に乗っているのがちらりと見えたが、心中でマーブル模様を描いて渦巻いている疑問やら意見やらは一切口にしない。


 総裁席に座り、黙々と執務仕事をこなしている柊也に失礼しますと頭をさげて、忠嗣は退室しようとした。しかし、踵を返しかけた忠嗣を「待て」と、柊也が呼び止めた。


 「はい、何かご用でしょうか、柊也様」

 「用というほどのことではないのだが……」


 いつもなら歯切れよく命を下す柊也が珍しく言い淀んだ。少し俯いた顔は、何かを思案しているようだった。


 「何か、気がかりなことでも?」

 「気がかりと言えば、気がかりなのか……いや、そうではないな」


 柊也は、使っていた万年筆を置いた。そして、ふぅっと長く息を吐いた。


 「柊也様、どこかお加減でも……」

 「いや、そうではない。少々寝不足ではあるが、そうではないのだ。ただ、私はどうも世間に疎いようだ。今更かもしれぬが、そのようなことに気づいてしまってな」

 「はあ……」


 いつでもどこでも毅然とした態度を決して崩さない柊也だが、子供の頃から傍にいる忠嗣に対してだけは、たまにこんな風に弱音を吐くことがある。ふぅっと、また長い息を吐き出した柊也に忠嗣は、子供か孫を見るような真っ直ぐな眼差しを向けていた。


 「小林には、娘がいたな?」

 「はい、私の不徳の致すところか跡取り息子には恵まれず、娘ばかりが三人もおります」

 「確か、すでに三人とも嫁に行ったのだったか」

 「はい、幸いなことに三人とも良縁に恵まれました」

 「つかぬことを訊くがその娘たちは、高校生の頃にはどのようなものに興味を持っていたかわかるか?」

 「いえ、恥ずかしながら娘たちのことは全て妻に任せきりでしたので、私にはわかりかねます」

 「そうか……」

 「あの、柊也様?」


 三度、ふぅーっと長く長く息を吐いた柊也に、忠嗣の瞳が翳った。具合は悪くないと言われたが、本当だろうか?かなり疲れているように見える。


 「柊也様、少しお休みになられては?」

 「いや、寝不足なだけだから心配には及ばぬ。それよりも、悪いが娘たちに訊いてもらえぬか。このドドムシリーズとやらは、女の目から見て面白いものなのか?」

 「……は?」


 執事は、主人に訊き返してはならない。それは執事としては当たり前の鉄則で、優秀な執事である忠嗣が柊也の言葉に訊き返したことなど今までなかった。

 けれど、今度ばかりは訊き返してしまった。

 忠嗣が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたのをどう取ったのか柊也は、これのことだとデスクの端に置いてあった二本のDVDを持ち上げた。


 「何度か観てみたのだが、どうしてもわからぬ。このようなものは子供、それも男児が好むのではないだろうか。高校生の、しかも女子が好むようにはどうしても思えぬのだ。わからぬ、どう考えても理解できぬ」


 うーむと考え込んでしまった柊也に忠嗣は、どう答えていいかわからなかった。

 セスナが怜士と観に行った映画が十年ぶりに制作されたドドムシリーズ最新作『大宇宙戦争 ドドム対キングメカガガンドン』だということを忠嗣は知らないし、柊也はセスナが怜士とつき合っているから一緒に映画を観に行ったのだと思っていたのが実はそうではなく、二人はつき合ってないらしいということをセスナから聞いて、それならば亡き妻に託された大切な妹は単に映画を観たかっただけであって怜士はたまたま一緒に行っただけというか、つまりはセスナと怜士は特撮マニア仲間というものかと推測するしかない訳だが、そのあたりの事情も忠嗣はもちろん知る由もない。

 柊也はこれまで、セスナは女らしく可愛いものが好きなのだと思っていた。一緒に買い物に行けば、フリルやレースがたくさんあしらわれた可愛らしいものばかりに目を奪われているし、セスナの部屋にはセスナが刺した刺繍のフレームがいくつも飾られている。

 しとやかで女らしい妹だと、柊也はずっとそう思ってきた。なのに、ドドムだ。

 怜士とドドム映画を観て来たと聞いた時には、恋人である怜士の趣味に無理して合わせたのだろうと思った。けれど、それも違ったようなのだ。


 「これは、面白いのか?わからぬ、何度観てもわからぬ」


 柊也の寝不足の理由はまさかの怪獣映画鑑賞……忠嗣はくらりと一瞬、気が遠くなりかけた。いやいやいや、聡明過ぎるほど聡明な飛鳥井グループ総裁、飛鳥井柊也に限ってドドム観てたから寝不足だなんてそんなことはあり得ません、絶対にあり得ませんから。

 それでも、ぐるぐると忠嗣の心の中でマーブル模様が渦巻く。ギャオーとどこかからかドドムの咆哮が聞こえたような気がしたが、それは絶対に空耳に違いなかった。




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