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school days  作者: まりり
120/306

119 ドクドク鳴る


 小柄な体格に全く合ってない大きなバイクにひょいっとまたがると、楓は「じゃあねですー」と独特な言い回しの捨て台詞を残してあっという間に走り去ってしまった。

 お礼を言う暇もなくて、門扉の前に一人取り残された美雨はパクパクと口を開けたり閉めたりした。その間にも、楓は角を曲がって見えなくなってしまう。ブロロロロという排気音もすぐに聞こえなくなって、あとには薄っすらと夕焼けに染まった道が静かに続いていた。


 電話して、お母さんからお礼を言ってもらえばいいかと思いながら美雨は家に戻った。玄関であがり框にあがる時、浴衣の裾がからんで足をとられそうになる。


 「あ、歩きにくい……」


 着物なんて滅多に着ないのだから当たり前だが、とにかく歩きにくい。その上、足を大きく開けば裾も開いてしまうので、いつもより歩幅を狭くしなければならないようだ。

 歩幅に気を取られていたら、裾が足に絡まる。ゆっくり歩くなら何とかなるが、そんなにとろとろ歩くのもどうかと思う。祭りには、一人で行く訳ではないのだから。


 「やっぱり、浴衣なんてやめておけばよかったかなぁ……」


 自分の運動神経のなさを恨めしく思いながら美雨は母の部屋に入り、入り口すぐのところの壁際に置いてある大きな姿見に自分の全身を映してみた。


 真剣な顔で鏡を見つめている美雨は、夜を思わせる深い紺色の地に赤と白と黄色で打ち上げ花火が描かれている浴衣を着ている。シンプルな柄が可愛くて、二年ほど前に呉服屋の店先で一目惚れして母にねだったものだ。

 だけど、せっかく買ってもらったのに試着したきり一度も着ていなかった。着る機会が全くなかったのだ。

 晴音から七夕祭りに誘われた時、実は真っ先にこの浴衣のことが頭に浮かんだ。あの浴衣が着れる、そう思った。


 「似合ってる……のかな?わかんないや。でも、おかしくはないよね」


 鏡に顔を近づけて、美雨は首を傾げた。

 いつもは簡単にシニヨンに結っている髪は、楓の器用な手先によってサイドが編み込まれ、高い位置でくるりとまとめられて可愛い花飾りがつけられている。首を傾げると、その飾りについた鈴がチリンと小さな音をたてた。


 「う、うーん?」


 浴衣の着方がわからなくて、美雨は母にSOSを出したのだ。すると、仕事で外出しなければならない母に代わって、母のアシスタントをしている楓が駆けつけてくれた。

 実家が旅館だという楓は、手馴れた様子で美雨に浴衣を着せてくれ、そして髪まで結ってくれてからすぐに帰って行ったのだ。

 楓が中森家にいた時間は、多分三十分にも満たなかっただろう。お礼を言う暇もなかった、本当に。


 「そうだ、お母さんに電話しとかなきゃ。楓さんにお礼言っといてって、言わなきゃ」


 一人で家にいることが多いため、すっかり癖になってしまっている独り言を呟きながら、美雨は母の部屋を出てリビングに置いてある電話に向かった。暗記している母の携帯のナンバーを押そうとして、ふと思いついて壁の時計を見る。

 母は、今日は業者と打ち合わせがあるから来れないと言った。もしかしたらまだ打ち合わせ中だろうか。だったら、電話なんてしない方がいいだろうか。


 「夜にかければいいかな……晴音ちゃんと一緒だから、そんなに遅くならないだろうし」


 独り言が口をついて出て来る。

 聞く人はいないのに口に出してしまうのは確かに癖になっている、なってはいるがこれはいつもより多い。

 それより用意しとかなきゃ、何を持って行けばいいかな、お財布とハンカチとテッシュくらいでいいかな、携帯も入れとかなきゃ、これでいいかなおかしくないかな、どうかな……などと、ぶつぶつ言いながら美雨は家の中をうろうろと歩き回った。


 浴衣に合わせて一緒に買ってもらった、底の部分がかごになっている丸い巾着袋に財布やらハンカチやら入れて、それで出かける準備は終わった。時計を見ると、あと十分ほどで六時になる。小さな巾着袋の紐を両手で握り締めて、美雨はリビングの真ん中に突っ立っていた。


 どうしてだろう、胸がドクドクと鳴っている。

 ドキドキではなくて、ドクドク。

 ドキドキより、もう一段上位な鼓動が美雨の胸を打つ。


 お祭りに行くだけなのに、本当にそれだけなのに。


 彼は、六時に迎えに来ると言った。約束の時間まで、あと九分と三十秒、二十九秒、二十八秒……。


 「そうだ、絆創膏!」


 慣れない下駄で、足が痛くなるかもしれない。絆創膏を持って行った方がいいだろう。もしかしたら浴衣を着て来るかもしれない、晴音の分も。

 そう思いついて美雨は、二階の突き当たりにある自分の部屋に向かって裾に足を取られながらも駆け出した。絆創膏ならキッチンに置いてある救急箱の中にも入っているけれど、いつも学校に持って行っている絆創膏の方がイラストつきで可愛いから晴音が喜ぶだろうと思った。

 自分の部屋に入り、机の上に置きっぱなしにしていた学生鞄を開けて中を探る。ピンクの水玉模様のポーチを取り出し美雨は、中から数枚の絆創膏を出した。


 「えっと、うさぎさんのと犬のやつと……あ、これも可愛いかな」


 足に貼るために持っていくのだから何でもいいだろうに、美雨は晴音が好きそうなのを五枚ほど選んで、それも巾着の中に入れた。すると、これで本当に準備が全部整ってしまった。


 胸がドクドクと鳴る、もうすぐ彼が迎えに来る。


 「いやいや、晴音ちゃんが一緒だし!」


 そうだ、何も彼と二人きりで行く訳ではない。彼の妹も一緒なのだから、これはデートではない。


 「デ、デート?」


 自分の考えにうろたえて、美雨はよろりとよろけてしまった。咄嗟に机の端を掴んで体を支える。不自然な体勢からどさりと椅子に座り込んで、そこで目に飛び込んできたものに一瞬、美雨の体は硬直した。

 フォトフレームに収められ、机の上に飾られた一枚の写真。一年生の時のキャンプで撮ってもらった、親友のあゆみと澪とそして、憧れの先生が写っている大切な写真。


 「阿久津先生……」


 美雨は、写真の中で穏やかに微笑んでいる阿久津優介を見つめた。憧れの人、大好きな人。誰よりも好きな……。


 その時、ピンポーンと玄関でチャイムが鳴った。約束の時間には少し早いが、晴音と雪都が迎えに来たのだろう。

 美雨は立ち上がった、そして自分の部屋を出て慌てず階段を下りる。


 これは、デートではない。そんなこと、考えるまでもなく当たり前のことだ。ただ、晴音を彼と二人で祭りに連れて行くだけ。

 雪都には、希羅梨という彼女がいる。美雨にだって好きな人がいる、ずっと想い焦がれている人がいるのだ。


 そんなことを自分に言い聞かせながら階段をおりていると、胸のドクドクは少しずつおさまってきた。どうして自分はあんなに舞い上がっていたのだろうと思うと、美雨はくすっと笑ってしまった。


 可笑しくなんてないけど、可笑しい。馬鹿みたいと思った。


 階段をおりきった所で、またチャイムが鳴った。はいはいと小さく呟きながら美雨は玄関に行き、扉を開けた。立っていたのは、予想通りに雪都だった。

 美雨の幼馴染は、いつも通りの無愛想な顔をして立っていた。だけど、彼の傍らにいるはずの小さな女の子は見当たらない。美雨を見るといつも「みゅうちゃん!」と、可愛い声で呼んでくれる晴音の姿がないのだ。

 不思議に思って顔をあげた美雨に、雪都はごめんと頭をさげた。晴音が親と一緒に祭りに行っちまったんだと、彼の声が続く。


 「……え?」

 「悪いな、自分勝手なやつで。あいつが誘ったのにな」


 すぐには雪都の言っている意味が理解できなくて、美雨は大きく目を見開いた。晴音が、親と一緒に……。


 「えっと……じゃあ、お祭り行くのは中止?」


 そう訊くと、雪都はもう一度ごめんと頭をさげた。ぷしゅーっと、美雨は何かが自分の中から抜けて行くような気がした。


 「本当にすまん」

 「あ……やだ、そんなに謝らなくていいよ。晴音ちゃんだって、お父さんとお母さんと一緒の方がいいだろうし」


 いいよいいよと言いながら、胸の前でぱたぱたと手を振っている浴衣姿の美雨を雪都はじっと見つめた。


 「中森……」

 「もう謝らなくていいってば」

 「じゃなくて、祭り……俺と行くか?」

 「え?」

 「せっかくそんな格好したんだろ、俺と二人で行くか?」

 「……」


 雪都のグレーがかったの瞳が、まっすぐに美雨を見ていた。


 一旦は収まっていた鼓動がまたもや騒ぎだした。

 ドクドクドクドクと、鳴りだした。




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