114 いちご同盟
月曜と木曜の週二回、予備校の授業を終えて外に出るたびに美雨は嬉しいような申し訳ないような、だけどやっぱり嬉しいような気持ちになる。みゅうちゃんだと、晴音の両手があがるのを見るたび、心がほわっと温かくなるのは何故だろう。小さな手を握って歩く夜道は不思議といつも晴れていて、忘れかけていた星座の名前を不意に思い出したりするのだ。
「あれ、オリオン座だ」
「おりおん?」
「うん、星座だよ。晴音ちゃんは、プラネタリウムに行ったことない?」
「行ったことある!お父さんとお母さんと行った」
「お兄ちゃんは?」
「お留守番」
なるほど、その日はきっとのんびりできたんだろうなと、今も美雨のすぐ後ろにいてくれる幼馴染の彼がベッドに寝転んで昼寝している姿なんかを思い浮かべてみる。いつも妹の世話をしている彼に両親が時たま、晴音を連れ出すことによってお休みをあげているのかもしれないと思ったのだ。
「プラネタリウム、楽しかった?」
「よくわかんなかった」
「そう?」
「起きたら終わってた」
「寝ちゃったんだね」
晴音の背丈は小柄な美雨の腰あたりまでしかなく、その頭が歩調に合わせてぴょんぴょんと元気よく上下する。こんな遅い時間に晴音ちゃんをつき合わせるのは悪いよと、何度か彼に言ってみたけれど、どう言ってもいいんだと答えるばかりで取り付く島がなかった。
そして、そのままずるずると夜のお迎えは続いている。
本当にいいのかなぁと、美雨は思う。週に二回ずつが、二週間。今夜で、もう四回もこうして迎えに来て貰ってしまった。
いくらいいと言われても、これはさすがに甘え過ぎではないだろうか?
幼馴染の彼だけならともかく、五歳児の晴音にまで来て貰うのは気が引ける……そこまで考えて、美雨はあることに気づいてうっと詰まってしまった。もしも晴音が来なくなったら、彼と二人きりになるのだろうか?と言うか、なります。当たり前です。って、それってどうなのだろう。
「アイス食べたい!」
「え?」
「アイスアイス!お兄ちゃん、アイス買ってくれるって言ったよね?」
何の前触れもなく、突然アイスアイスと騒ぎだした晴音は、美雨に手を引かれたままで首だけひねり、後ろの兄に不満そうに訴えた。
「朝、保育園の帰りにアイス買ってくれるって言った!」
「あー、そう言えば言ったか。つーか、お前も忘れてたんじゃねえかよ。何で今頃思い出すんだよ」
「思い出したもん、アイスアイス!」
「んな時間に食ったら、腹こわすぞ」
「アイス!」
仕方ねえなと顔をしかめて、それでも雪都は美雨に次の角を左に曲がってくれと言った。美雨の家に帰るなら右なのだが、左に曲がって少し行ったところにコンビニがあることを思い出して、美雨はくすくすと笑った。
「永沢くんて、何だかんだ言って晴音ちゃんに甘いよね」
「甘くない、普通だ」
「そうかなぁ?」
普通の高校生は、五歳の妹の面倒なんて見ないだろう。子供好きな美雨でさえ、ずっと妹の世話をしろと言われたら出来るだろうかと思う。
保育園の送り迎えから食事の世話、それに寝る前の絵本まで雪都は読んでやっているらしい。
美雨にはとても出来そうにない。高校生は意外と忙しいし、その上受験生だ。今だって自分のことだけで精一杯なのだから、とても妹の面倒なんて見れないだろう。
「よし、アイスは私がご馳走するよ。いつも迎えに来てもらってるお礼、安くて悪いけど」
「いいって、そんなん」
「いいからいいから」
行き当たったT字路を左に曲がると、少し先にコンビニの明かりが見える。こんびにーと晴音は、美雨の手をぐいぐいと引っ張った。
「みゅうちゃんはアイス、どんなのが好き?」
「私は、いちごかな」
「いちご、好き!」
一緒だねーなんて声を揃える美雨と晴音に苦笑いして、コンビニ目掛けて走り出した二人を雪都はおいこらと追いかけた。晴音が二人いるみたいだ、なんて思ったことは彼女には言わない方が無難だろう。
「晴音ちゃん、いちごあったよ!いちごミルクバー」
「あったぁ!」
「永沢くんは、何がいい?」
「俺はいいって」
「いいからいいから」
あまり甘くないのがいいんだよねと、美雨はアイスクリームのショーケースを覗き込んだ。隅の方にコーヒー豆のイラストが描かれたアイスバーを見つけ、手に取る。
「コーヒー味のでいい?」
「ああ」
美雨が三本のアイスバーをまとめて持ってレジに向かうと、晴音がぱたぱたとついて来た。しかし、途中で足を止めて、「みゅうちゃん、みゅうちゃん」と美雨を呼ぶ。
「なあに、晴音ちゃん」
「お祭り!」
晴音が指差した先には、一枚のカラフルなポスターがあった。『ゆうひじんじゃたなばたまつり』と全部ひらがなで書いてあるのは、子供にも読めるようにだろうか。
「ああ、七夕祭りだね。もうそんな時期かぁ」
「みゅうちゃん、行こうよ」
「え?」
「一緒に行こう」
にっこりと笑う晴音に、美雨はえっとぉーと言葉を濁した。雪都の方を見てみたが、彼はいつも通りの無表情だ。
「行こう、ねえ、一緒に行こう」
「晴音ちゃん、あのね……」
「行こうよぉ、行こうー」
アイスを持ったままの美雨のスカートを両手で掴んで、晴音はぐいぐいと引っ張った。美雨はもう一度、助けを求めるように雪都を見た。雪都は軽く息を吐いてから、僅かに頷いて見せた。
じゃあ行こうかと美雨が言うと、晴音は文字通り飛び上がった。お祭りお祭りと、くるくると回り出す。
「永沢くん……えっと、いいのかな?」
「ああ、こいつは言い出したら聞かないからな」
ということはどうやら、美雨と晴音、それに雪都の三人で七夕祭りに行くことになったらしい。
美雨は、くるくる回り過ぎて目を回してよろけた晴音をバカと叱っている雪都をじっと見つめた。希羅梨の、明るい笑顔が頭を掠める……アイスを握ったままの手が冷たいことにハッと気づいて、美雨は慌ててレジに向かった。