109 暑いのは苦手
暑くなってきた、そう思うだけでうんざりする。じめじめした梅雨が終わるのは大歓迎だが、その後には夏が待ち構えていると思うだけで和香は、げんなりと憂鬱になってしまうのだ。
風邪一つ引かない丈夫さが自慢なのに、どうしても暑さだけは苦手だった。熱中症で倒れでもしたら仲間に迷惑をかけてしまうし、格好悪いとも思うので、不本意ながら適当なところでこうして休憩を取っている。
「あーあ、嫌になるな」
「どうかしたか?」
「べっつにー」
空き地の隅で腰を下ろし、汗をぬぐっている草サッカーの仲間である滝口雅也にそう答えてから、和香は空を見上げた。きれいに澄んだ水色の空だ、やはりもう雨は降りそうにない。
「阿部、俺もう塾の時間だから抜けるわ」
「んだよ、昨日もそう言って帰ったじゃんか」
「昨日は、スイミングスクール。今日は塾、じゃあな!」
そう言うと、雅也は草の上に放り出してあったランドセルを掴んで瞬く間に走り去って行く。その背中を見送るでもなく見送って、和香はハァっと息を吐いた。
暑い、髪の生え際から汗が滲み出て来る。
他のチームメイトたちは休憩を取らず、パス練習を続けていた。パスの連携が上手くいかず、この前の試合で大負けしてからはパスに重点を置いて練習メニューが組まれている。ミッキーマウスの声真似が得意なせいでミッキーと呼ばれている上田大貴が少し強めに蹴ると、こちらはヘーワと呼ばれている畑中平和が、受けられずにボールをこぼす。
下手糞と呟いて和香は、ハァーとまた息を吐いた。
夏は嫌いだ、自分が女なのだと思い知らされるから嫌いだ。
サッカーが好きだから、男子に混じって遊ぶのは別段おかしいことではないと思う。趣味の合わない女の子たちのグループに無理して入る必要はないし、男の子たちだって和香を女だからと特別扱いすることもなく仲間に入れてくれるのだからいいのだと思う。
ボールを追いかけて、泥だらけになって走るのが好きだ。少しぐらい嫌なことがあっても、思いきり体を動かせば忘れられる。
「……暑い」
だけど、暑くなって来ると男子について行けなくなる。根本の体力が違うのだから仕方ないことなのかもしれないけれど、サッカーの技量では誰にも負けない和香なのに、どうしてもスタミナで男に負けてしまうのだ。
男に生まれたかった。
女であることが嫌な訳ではないけれど、この世に生を受ける時にもしも選べるなら、和香は迷わず男を選ぶ。
どうして男と女なんだろう。
同じ生物なのだから、全部同じでいいのではないか。
種を残すためだと言うのなら、細胞分裂で増えられるようにすればいい。この世界を作った創造の神は、どんな思惑で人間を男と女に分けたのだろう?
男と女なんて違いがあるから様々な問題が生じてしまうのだと、和香は思う。何日か前、和香は街でセスナを見かけた。兄の彼女である筈のその人は、兄ではない男と一緒に歩いていた。
ここのところどことなく元気のない兄と、背の高い見知らぬ男と親しげに喋っていた兄の彼女……いや、すでに元カノなのかもしれない。
兄の口からはまだ、彼女と別れたとは聞いていない。ただ最近、セスナが家に来ないなとは思っていた。
そういうことだったのかと、他の男と歩いているセスナを見てわかった。つまりは、そういうことだったのだろう。
美和に教えた方がいいのだろうか。美和は和香とは違って人懐っこいから、時々遊びに来るセスナをすごく慕っている。
大好きなセスナが兄と別れたと知ったら、きっと美和はがっかりするだろう。
教えておいた方がいいだろうか、自分のようにひょんなことから知ることになるより、和香から教えた方がショックが少ないかもしれない。
だけど、何で私がそんなことをしなきゃならないんだと思う。
大体が男と女なんかに分かれているのが悪い、同じ生物なんだから同じでいいじゃないか。
細胞分裂だ、細胞分裂推奨。
そうなれば誰が誰を好きとか嫌いとか、そんな面倒な問題がなくなる。
和馬は多分まだセスナを好きで、セスナは多分もう和馬ではない男が好きで、最近の和馬はひたすら沈んでいて、セスナは楽しそうに兄ではない男と歩いていた。
「クソ、暑いっ!」
和香は立ち上がった、そして砂を蹴って走り出す。少しぐらいの嫌なことは、思いきり体を動かせば忘れられる筈だ。
ちんたらと行きかっていたパスを巧みにカットして、そのまま突っ走る。また滲み出して来た汗は構わず、和香はゴールに向けて力いっぱいボールを蹴った。