104 もう少しで届きそうな気がするんだ
校門の門柱の影に立って怜士は、ぞろぞろと出て来る制服の群れを目を皿のようにしてギョロギョロと見ていた。セスナは小柄だから人ごみに紛れられたら見逃すかもしれないと怜士は言うのだが、それにしてもあの目つきはまずいだろう。いくら何でも挙動不審すぎる……まあ、ヤバくなったら他人のふりをすればいいかと敦は両手を挙げて、ふわぁと大欠伸をした。
「セスナちゃんて、部活とかしてへんのか?」
「手芸部に入っている筈だ」
「今日は、部活はない日やねんな」
「知らん」
「はあ?」
「そんなこと、聞いたことねえから知らねえ」
「そないなことも調べんと網張ってんのか、お前は。わざわざ六時間目サボって」
「悪いかよ?」
ギロリと睨んだ怜士に、敦は呆れた眼差しを返した。つき合えと、無理矢理ここまで引っ張って来たのはどこのどいつか。沢浪北高校は共学だからそんなに変な目で見られずに済んでいるが、これが女子校だったら通報ものの行為だということにこのお坊ちゃまは微塵も気づいていないのだろう。
「いいな、セスナが来たらお前は適当に消えろよ」
「これでA定食一週間分やったら、割に合わんな」
「わかった、二週間おごってやる」
「食後のデザートつきやで」
「お前、大西フーズの御曹司だろうが」
「それはそれ、これはこれや」
何か言い返そうと口を開きかけた怜士だが、華奢な少女がこちらに向って歩いて来るのに気づいて慌てて顔を引きつらせた。いや、怜士は普通の顔をしたつもりなのだろうが、どうにも引きつったようにしか見えない。そのことを指摘しようかと敦は思ったが、あまりに馬鹿らしいのでやめた。大体、女の子一人お茶に誘うだけなのにどうしてこんな小芝居を打たなければならないのか。
「よ、よお、セスナ!偶然だな」
何が偶然や、思いきり待ち伏せてた癖に。
役者の才能は欠片もないことだけは確かな怜士の棒読みの台詞に、敦はそっぽを向いてこっそりと舌を出した。
「こいつの家がこっちでさ、まさかこんなとこでセスナに会うとはなぁ」
まさかも何もないやろ、まんま校門の前やっちゅーねん!その言い訳のどこに俺を連れて来る必要があるねんや、怜士よ。何とでも他に言えるやろ、ボケ。
「あ、こいつは大西敦。ほら、この前、映画館で偶然会ったって言ったダチ」
怜士が肘で小突くから、敦は仕方なくへらっと笑顔を顔に張り付かせた。セスナは数秒だけぽかんと大きな目で敦を見ていたが、ハッと気づいたように初めましてと頭をさげた。
「せっかくこんなとこで会えたんだから、茶でも飲みに行くか?この前の話もしたいし……なあ、白哉さんにバレてないか?つまり、その……」
「兄さまに、何の映画を観たのかと聞かれたので、『大宇宙大戦 ドドム対キングメカガガンドン』のパンフレットを見せたら、何も言われなかった」
「そ、そうか。よかった、のか?」
「わからぬ……バレてはないと思うのだが、あの後で兄さまは何か考え込んでおられたようだ」
敦がいとこの裕理と映画を観に行って、バッタリと怜士と会ったのは先週の土曜日のことだ。前から楽しみにしていた『大宇宙大戦 ドドム対キングメカガガンドン』が封切られたばかりだったから、てっきり怜士も怪獣映画マニアなのだと思って一緒に観た。というか、タダチケットがあったから押し付けて、引きずり込んだ。どうして怜士が一人で映画館にいたのか、その理由を訊いたのは映画が終わった後だった。
「やっぱ、『大宇宙大戦 ドドム対キングメカガガンドン』は、まずかったか?」
「そんなことないと思うのだがな」
「まあ、デートで観る映画じゃねえよな」
「そうなのか?」
「どこぞのバカップルは、デートで観てやがったけどな」
『どこぞのバカップル』のところで、怜士がギロッと敦を睨んだ。睨まれた敦は、はて?と首をかしげた。誰のことだろう、『どこぞのバカップル』。
再び、怜士が肘で敦を小突いた。仕方なく敦は、わざとらしくポンッと手を打つ。
「ああ、そうや。俺、用事があったんやぁ。悪いな、怜士。俺、帰らせてもらうわ。ほな、また明日な。さいなら」
見事なまでの一本調子でそう言うと、敦はさいなら、さいならと手を振り振り歩きだした。これでA定食二週間分デザートつきゲットなのだから、なかなかちょろい。持つべきは、アホで初心でお坊ちゃまな友達やなと、敦は歩きながら一人で何度も頷いた。
それにしても、あいつはホンマにアホやなと敦は思う。セスナの願いを叶えるために打った猿芝居のことを聞いた時にもアホやと思ったけれど、今日はドアホやなと思った。
女の子をお茶に誘うのに、どうしてこんなことまでするのか理解に苦しむ。大体、あの猿芝居がバレてないかどうかずっと気にし続けるなんて愚の骨頂だろう。
電話でもメールでもして訊けばええやんかと言ったら、携番もメアドも知らないときた。今週はお花の稽古が休みだったから会えなくて、あれからどうなったか訊けてないなんて敦の知ったこっちゃない。ホンマ、訳わからんわ。
もう少しで届きそうな気がするんだと、怜士は言った。いつもの非常階段の踊り場で、どこか遠い目をしてそう言った。
セスナに頼まれ事をされたことがよっぽど嬉しかったのだろうが、敦に言わせればいいように使われただけだろうという事になる。セスナに男がいるという事実は、一ミリも動いていない。それなのにあの初心なお坊ちゃまは、それで天と地がひっくり返った気分でいるようだ。
ホンマ、めでたいやっちゃなと敦は思う。もっとも、A定食さえゲットできたなら、その他のことは敦にとってどうでもいいことではあるけれど。