26
「王妃様!」
家臣たちの悲鳴が上がる。
「おうふっ! 大丈夫だから!」
わたしは仰向けに組み伏せられる。
「ルルルルルァ!」
「あなたねぇ!」
おチビちゃんは母親のレジーがいじめる、とわたしに泣きついてきて、離れようとしない。
その大きさは大型犬ほどもあり、下から見上げたらちょっとした威容を感じさせる。
全身の青さは、冬の青空よりも濃くて、若々しい。
もし空を飛んだらその中に溶け込むよりも、一層目立つのではないか、と思わせるほど。
ずいっと一歩踏み込んだ彼は、わたしの頬にまだ柔らかい頭を擦り寄せながら、態度で語る。
会いたかったよ、どうして行ってしまったんだ、寂しかったぞ、と。
「ごめんね、もう帝国には戻れないの」
人に慣れている騎竜でも、喉を誰かが触れることは、滅多に許さない。
だけどこのとき、おチビちゃんは素直にわたしの指先を触れさせてくれた。
こちらが言っていることが理解できるように、分かっているけれど寂しいんだ、とでもいうかのように。
「よしよし、また大人になって飛べるようになったら、迎えにきてね」
そう言うと、レジーが首を伸ばして来て、ひょいとおチビちゃんを咥えて引き上げる。
どうやら、そろそろ対面の時間が終わるらしい。
キュウンっと彼が鳴く。
「待ってるわ。そして、わたしを乗せて空を楽しませて頂戴。すこしの時間なら、陛下も空を飛ぶことを許してくれると思うから」
わたしは彼にひとまずのわかれを告げる。
竜騎士ガルドが隣で震えたまま立てないでいたのを知ったのはその時だった。
「引き起こして、ガルド」
「はっ、はい……!」
ガルドはレジーとおチビちゃんから視線を外さない。
いや、外せないのだ。
彼の指南役というのは名目だけで、竜に慣れていないことが手に取るように分かる。
でも彼の名誉のためにそれは内緒にしてやることにした。
「秘密ね?」
「は――っ。はっ!」
密やかに囁くと彼は静かにうなずいた。
嫌そうなやつに見えていたけれど、こうしてみると、ガルドにも可愛いところがある。
竜の指南役に、竜が苦手なんて、面白いじゃない。
わたしは立ち上がると、おチビちゃんと背中に移したまま待っていたレジーの頬に抱き着いて、久しぶりに硬い肌の感触を味わった。
懐かしい香りがする。
空と太陽と風の混じった香りだ。
結婚するとき、故郷に置いてきた、懐かしい自分を思い出した気がした。
「レジー。お願いがあるの」
「フッ」
「あの若い水竜を、ここから導いてやって欲しいの。彼にはちゃんと行くべき場所があると思う」
「ウルル」
レジーが了解した、と喉を鳴らす。
フィンにも伝わったようで、遠くに顔を出してこちらを見守っていた水竜が、心得たとばかりに閉じていた羽を開いてみせた。
「話がついたようですな」
「あら、貴方。竜の言葉がわかるの? さすが、指南役ね。わたしでもわからないのに」
「いやそんなこと――」
意地悪く伝えてみたら、ガルドはお腹を撫でていた。
彼の困ったときの仕草なのだろう。部下の竜騎士たちはすべてお見通しらしい。
それでも「さすがです」とか「ではこれでこの問題は解決ですか」とか感心したように盛り立てるのは、慕われている証拠だ。人望があるのはいいことだった。
この様子を見て呆れていたのはわたしだけではなく、レジーも同じだ。
おチビちゃんと顔を付き合わせて、「クククっ」と楽しそうに笑っていた。
そんな感じでひとしきり歓談が終わると、別れの瞬間が待っている。
レジーとフィンは、わたしたちと長い時間をここで過ごすことで、人を恐れている若い水竜が、機嫌を損ねてどこかに行ってしまわないかと、気にしているようだった。
四頭の竜がボートから離れていく。
船に戻る前に、彼らは空のはるか彼方へと消えてしまった。
「任せて大丈夫でしょうか」
船のデッキに戻ったとき、不安そうにガルドが言うので、港街を指差して言ってやる。
「あなた、ここで末代まで竜騎士の指南役として過ごしたいの? この土地がそんなに好きなら派遣するように、皇后陛下にお願いしてあげましょうか?」
「いえいえいえいえ! とんでもない! 帝国に帰還致します!」
この土地でずっと過ごすのは嫌だと叫ぶ彼をいじめるのは、少しだけ楽しかった。
ガルドたちはやはりこの街からの船で帝国に戻るという。
港に引き上げ、騒がせていた竜がもう現れないことを確認するために、数人の人を残してわたしとイリヤは王都へと戻った。




