表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

地球はカルボナーラだった

作者: 村崎羯諦

「ねえ、知ってる? 地球ってね、本当はカルボナーラなんだよ」


 女子トイレの個室の中で、クラスメイトの後藤さんは泣きながらそう言った。クラスメイトから水をかけられ、後藤さんの身体はびしょ濡れだった。紺色の制服は身体にくっついていて、長い髪の先からぽたりぽたりと水が滴り落ちている。彼女の右頬はいじめの主犯格である七尾美香からひっぱたかれて、赤く腫れていた。私はそうなんだと相槌を打つ。窓から差し込む夕日が床に貼られたタイルシートをオレンジ色に染めていた。


「歴史の中で人類はまず地球が平面だって考えて、それから長い月日をかけて球体だって考えるようになったけど、結局それも間違ってて、本当はね、地球はすごく大きなカルボナーラなの。知ってるよね? 卵とかチーズとかで作る、あのカルボナーラ」

「誰が言ってるの?」

「パパとママと、それと東尋教の人たち。みんながそう言ってるの」

「スカート……ハサミで切られてるよ」


 後藤さんが震える手で自分のスカートを確認する。お尻部分の生地を手前に持ってきて、ハサミで斜めに長く切られた場所を手でそっとなぞる。それから後藤さんは本当だね、と笑った。声はかすれていて、視線は私の目ではなくて、足元の水たまりを向いていた。廊下から誰かの笑い声が聞こえてきて、後藤さんが反射的に身体を震わせる。それから媚びるような笑顔をもう一度浮かべて、意味もなくごめんねと謝ってくる。クラスのみんなから嫌われているのに、それでも必死にご機嫌を取ろうとするその態度が、七尾さんたちの加虐心を煽っているということにも気づかずに。


「私もね、前はそれが本当だって信じられなかったの。だからね、パパとママがね、東尋教の人たちに土下座してね、お願いしたの。私が良い子になって、そのことをきちんと理解できるようにしてくれって」


 後藤さんが、今までまともに会話したこともない私にそう言葉を続けた。髪の先から水滴が一滴、落っこちる。彼女の開いた口から覗く八重歯は、虫歯で黒く汚れていた。


「東尋教の教会の暗い部屋でね、お勉強をさせられたの。お勉強中はね、私がわけわかんないこと言ったり、的はずれなことを言ったら、物干し竿で叩かれるの。私は一緒にいた弟よりも飲み込みが遅かったから、何度も何度も叩かれた。顔は学校にバレちゃうから、腕とか背中とか、そこらへんを何度も何度も。たくさん痣ができたし、泣いちゃうくらい痛かった。でもね、それは私が馬鹿だったから、悪い子だったから、そうされたの。パパとママは泣いてた。私がどうしようもないわからず屋だったから。でも、今は違う。今の私は良い子で、地球が本当はカルボナーラだってことを、ちゃんと知ってる」

「地球がカルボナーラだとして、一体誰がなんのために創ったの?」

「木星人が、木星人がこの地球を創ったの。木星人はね、前世で宇宙のあちこちをうんちとかおしっこで汚しちゃったの。だから現世ではね、何をどれだけ食べてもずっとお腹が空き続けるっていう罰を受けることになったの。お腹が空いて空いてしょうがない木星人はペットを食べたり、共食いしたりしたけど、やっぱり駄目で、それでこの地球を創ったの。これだけでっかいカルボナーラだったら、きっとお腹が一杯になるだろうって思って。なんでカルボナーラなのかと言うとね、木星人の中にはイタリア出身の人たちもいて、そういう人たちが木星の中で一番お料理が上手だからなんだよ」


 後藤さんは泣いていた。教室の端っこで七尾美香たちから露骨な仲間はずれをされている時と同じように、声と手を震わせながら。別に何を信じるかどうかはその人次第かもしれないけど、私だったらきっと、周りの人達に適当に合わせるけどね。口には出さなかったけれど、私は心の中でそうつぶやく。


「明後日なの」

「何が?」

「お腹を空かせた木星人が地球を食べにやってくる日が」

「ああ、そうなんだ」


 私は適当に相槌を打ちながら、あくびを噛み殺す。変に同情して話しかけたことをちょっとだけ後悔しつつ、私は後藤さんの顔を観察した。肌は白くて、目は二重で、唇も薄くて、色んなことを抜きにすれば可愛らしい顔立ちをしていた。こんな風じゃなかったらきっと、普通に友達とどこかに遊びに行ったり、誰か男の子と恋愛したりしたんだろうな。トイレの外から聞こえてくる誰かの話し声に耳を澄ませながら、私は思う。


「もし本当に地球がカルボナーラで、そのことを世界中の人たちが当たり前だって思ってたら、こんな風にいじめられることはなくて、みんなとも仲良くできたのかな?」

「多分、ね」


 風邪を引くから、保健室に行こう。私がそう提案し、後藤さんがこくりと頷く。私たちは保健室へと歩き出す。二人分の足音が綺麗に重なり合って、女子トイレの中で虚しく響き渡った。



*****



『―――昨夜未明に発生した、東尋教信者による集団自死事件についての続報です。死者95名という戦後最大規模の集団自死事件の首謀者と見られる東山道助氏の死亡が搬入先の病院にて確認されました。同日未明に世界各地で同時発生した新興宗教による集団自死事件との関連については引き続き捜査が進められています。警察は施設内の捜索を行い、生存者の確認を……』


 後藤さんとやり取りを行った三日後。私はテレビから流れ続ける東尋教の集団自死事件のニュースをぼーっと眺めていた。テレビ中継で私の家のすぐ近くが映し出される。神妙な面持ちのアナウンサーが身振り手振りで何回目かわからない事件の顛末について説明を行っている。隣の部屋からはお母さんが誰かと電話をしている声が聞こえてくる。誰々さんのところもそうだったらしいわ。お母さんは何度もその言葉をつぶやく。その誰々さんの部分には、色んな知り合いの名前が埋め込まれた。ひとつ上の先輩の名前、日本史の先生の名前、そしてそれから、後藤さんの名前。


 テレビ画面を眺めながら、私は後藤さんとのやり取りを思い出す。地球がカルボナーラであること。地球を創ったのは木星人だってこと。そしてそれから、もし本当に地球がカルボナーラだったら、いじめられることはなかったのかなと問いかける後藤さんの顔が思い浮かんで、消えた。私はその時、多分ねって言った気がする。でも、そのことを今更思い出したところで、私にはどうすることもできなかった。


 その時。緊急ニュースを告げるチャイム音がテレビから流れ、中継先からテレビ局のアナウンス室へと画面が切り替わる。画面の後ろ側では、色んな人が慌ただしく駆け回っていて、原稿を手にしたベテランのアナウンサーの表情はいつになく厳しい。何事だろうと、私はリモコンを握りしめたまま、ちょっとだけ前のめりになる。


『―――ニュースの途中ですが、さらにここで緊急ニュースです。今回の世界各国における同時多発の集団自死に関連して、アメリカ合衆国大統領による緊急会見がこれから開かれるとのことです。それではニューヨーク支部の内藤さん、内藤さーん?』


 テレビの画面が再び移り変わって、ホワイトハウスとその目の前に設置された演説台が映し出された。中継先のアナウンサーにより、この会見が世界各国で生放送されていることが説明される。そして、しばらくするとアメリカの大統領が現れ、演説台の前に立った。画面の向こう側から、誰かが息を飲む音が聞こえてきそうなほどに緊迫した空気。そして、大統領が話し始めるとともに、同時通訳の音声が流れ始める。


『アメリカ含め、各国による情報操作により、ある真実の隠蔽が長い間行われてきたことを皆さんにお伝えしなければなりません。すなわち、我々国家の巧みな情報操作により、全世界の人間が一つの嘘を信じ続けてきたということです。単刀直入に説明すると、その嘘とは、この地球は丸いということです。つまり、この地球は球体ではなく、さらには一部の人間が信じているような平面というわけでもないのです』


 カメラのフラッシュが焚かれる。では、地球は何なのか? 英語で聞き取ることはできなかったけれど、誰かがそんな質問を大統領にぶつけているような気がした。そして、大統領が一度だけうつむき、そして、顔を上げ、何かを決意したような力強い目で前を見つめた。私はテレビ画面をじっと見つめる。頭の片隅には、あの日の後藤さんの顔が思い浮かんでいた。大統領はゆっくりと周囲を見渡す。そしてそれから。アメリカ大統領は力強い言葉で、私たちに真実を告げる。


『地球は平面でもなければ、球体でもありません。地球は……地球は巨大なエビピラフなのです』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ