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中編 人間の娘と会うのは、本当に久しぶりだ

僕が穴掘り作業に割り当てられたのは、2週間前のことだった。その前は埋め立て地のゴミ山の中から携帯などに入っているレアメタルを回収する作業に従事していた。

ひと口に奴隷労働といっても、現場によってきつさの度合いはかなり異なる。監督官のイタチ人間は、重労働をまったく苦にせず働く僕の様子を見て最上級にきついと言われる穴掘り作業に推薦することを決めたらしい。奴隷なので贅沢は言えないが、僕としてはちょうど金属探しが楽しくなってきたところだったので、本当は別の現場には移りたくなかった。

穴掘り作業はとても過酷で、毎日奴隷のひとりか2人は命を落とすほどだったが、人一倍頑丈に生まれつき体力に自信のある僕にとっては命の危険を感じるほどつらい作業ではなかった。少なくとも、監視人に目をつけられないかぎりは殺される怖れはない。

最初の2、3日はいつ因縁をつけられるかわからないので常に気を張っていたが、次第に監視人とのコミュニケーションの取り方も分かってきた。犬人間がおべっかを言って自分にすり寄ってくる人間を好む一方、鱗人間たちは無駄話をせずに聞かれたことだけにハキハキと答える人間を好んだ。

どの動物人間が監視役にせよ、反抗的な態度を取るのだけはご法度だった。中には血気盛んに監視人に詰め寄っていくような奴隷もいたが、そうした者は徹底的にマークされて数日で殺される羽目になる。少しでも生還の望みを持ちたいなら、怒りの感情は胸の奥にしまっておくべきだ。

体力的にはぎりぎり耐えられたが、作業の単調さにだけは耐えられなかった。何しろ、毎日ひたすら使いにくいスコップで地面に掘った穴を広げているだけなのだから。

最終的に何のために穴が必要なのか奴隷の誰も知らなかったし、ひょっとしたら監視人たちすらその点は把握していないのかもしれなかった。それでも僕たちは毎日もぐらのように地中の土をかき出し続けた。

目的のわからない作業を延々とさせられるのは人間にとってかなりの苦痛を伴う。そもそもこれだけ苦労して穴を掘ったところで、穴を掘っていることには何の目的もないという可能性すらある。

これ以上穴が掘れないくらい採掘場が穴ぽこだらけになったら、今度はその穴を埋める作業を延々とさせられるのかもしれない。少なくとも、これまで掘ってきた実感では、何か価値のある財宝や歴史的遺物が発掘されそうな気配はまったくない。

鱗人間の監視の目が緩いときに他の奴隷と少し言葉を交わすことはあったが、基本的に僕は周りの奴隷と仲よくならないように意識していた。情が移ってしまったら、その子が死んだときにつらくなってしまう。協力し合って穴を掘るので名前くらいは知っておく必要があるが、互いのプライベートに関する話はまったくしなかった。

穴掘り奴隷はみんな10代後半から20代前半くらいの若い男子ばかりで、性格がよさそうだなと思う子はたくさんいたが、そういう子にかぎって体力がなくてメンバーに加わって早々に死んでいくのだった。

ある朝、いつもと同じように収監所から採掘場に連れていかれるものと思っていたら、先導の鱗人間たちが現場とはまったく違う方向に歩き始めた。この2週間毎日朝早くに採掘場に行って夜遅くに収監所に帰ってくるという以外の行動パターンは一切なかったので、導かれるままに未舗装の道を歩きつつも少し驚いた。

僕は内心これから何が始まるのだろうと不安に感じながら、自分より古くから現場にいる奴隷のひとりにたずねた。

「今日は穴堀りやらないのか?」

奴隷少年は僕と話していることを鱗人間たちに悟られないように、こちらには一切視線を向けずに答えた。

「今日はラッキーな日だよ。月に1回のぎょう虫検査だ。この日だけは奴隷労働やらなくていいって法律で決められてる。酷使してた身体を休ませられるから、僕たちは皆ぎょう虫検査の日が来るのを心待ちにしているんだ」

あとで知ったことだが、ぎょう虫検査はあらゆる奴隷現場で月に1回の実施を義務づけられているらしい。僕は前の現場で1度も検査を受けたことがなかったが、厳密に言うとそれは法律違反にあたり、使用者は奴隷管理法違反で罰せられる可能性がある。

なぜか「ぎょう虫検査」という名称で呼ばれているが、もちろんぎょう虫検査だけで1日も使うはずはなく、実際におこなわれているのは簡単な健康診断と、体力測定だ。

健康診断といっても、奴隷の健康に気を配るのが目的ではなく、主に奴隷の人間から監視人に病気がうつることを防止するために実施されている。

人間のようなまめな衛生管理が不得手な犬人間が社会を支配するようになってから、寄生虫や、感染症、伝染病が街中にはびこるようになってしまったため、流行り病による大量死を防ぐためには、検査で早期に病気の徴候のある奴隷を見つけ、殺処分するしかない。さらに体力測定をおこなうことで、奴隷ひとりずつの戦力値を類推するのにも役立っている。腕っぷしの強い奴隷を普段から重点的に監視していれば、反乱の芽を早期に潰すことができるからだ。

ぎょう虫検査は地区ごとに設置された奴隷健康管理センターでおこなわれる。僕たちが連れてこられたのは8階建ての立派なビルだった。入口のドアを開けると、ライフル銃を持った警備員らしき犬人間がふたり、僕たちを待ち受けていた。

犬人間は「妙な真似をしたら撃ち殺すぞ」と言わんばかりにこちらを睨みながら、大勢いる奴隷たちを縦2列に整列させた。自分の奴隷番号を呼ばれた者からふたりずつ順番に受付に進むシステムだ。僕は列の中ほどに並んでいたので、番号を呼ばれるまで数分待たなければならなかった。鱗人間たちは建物の中には入ってこず、列の最後尾で逃げ出す奴隷がいないか監視していた。

ようやく自分の番号を呼ばれ、隣に並んでいた奴隷と共にフロアに入ると、そこには案内役のヒツジ人間が立っていた。ヒツジ人間は奴隷への応対とは思えないほどにこやかに笑いながら、検査表を手渡した。そこには10種類以上の検査項目が記されていた。窓口が込み合わないように、グループごとに回る順番が決められている。僕たちふたりが割り振られたのはFグループだった。

「Fグループの方は視力検査からのスタートになります。16番の窓口でお待ち下さい」

僕たちは視力検査、聴力検査、身長・体重測定、嗅覚・味覚検査、胸部レントゲン撮影、頭部CT撮影、尿検査、血液検査、ロールシャッハテスト・バウムテスト等の心理テストなどを淡々とこなしていった。

奴隷になる以前に受けた普通の人間の健康診断とほとんど内容は変わらないようにも思えたが、検査官がすべてヒツジ人間だったことと、狂犬病やジステンバーの予防接種がセットになっている点は明らかに人間の健診には見られないものだった。

ヒツジ人間の看護士たちは皆とても親切で、奴隷を見下しているような態度はまったく見られなかった。僕は故郷で犬人間たちに拉致られて奴隷になってから2年以上が経過していたが、動物人間からまともに対等な人として扱われたのは、これが初めてだった。

午前中の最後の検査がぎょう虫検査だった。検査官の女性のヒツジ人間に尻を見せるのが少し恥ずかしかったが(ヒツジ人間と言っても、ヒツジのDNA が少し混じっているだけなので見た目は普通の若い女性とそんなに大きく変わらない)、検査はあっけないほどすぐに終わった。

「お疲れ様でした。午前中の検査はこれで終了です。午後1時から体力測定を開始しますので、それまでご自由に休憩なさって下さい」

ヒツジ女はにこやかに笑い、軽くお辞儀した。

僕たちは建物の地下にある『適度な放牧』という名の無料カフェテリアで昼食をとった。

店内はセルフ方式で、すでにたくさんの奴隷たちが列をなして注文する順番を待っていた。センター内で見かけた医師や看護士はヒツジ人間ばかりだったが、カフェテリアの店員は全員ノーマルの人間みたいだった。肉料理が多いので、ベジタリアンが多いヒツジ人間にはつらい職場なのだろう。けっこうな人数が並んでいたが、メニューが書かれた貼り紙を眺めながら何を注文するか考えているうちにすぐに順番はやってきた。

僕はビーフカレーを頼み、連れの奴隷ヒロトはハンバーグ定食を頼んだ。感動的なことに、定食には味噌汁がセットでついていた。カレーのトッピングの福神漬けはセルフで乗せ放題だったので、スプーン3杯分も入れてしまった。

僕たちはダリ風の絵画が掲げられた壁近くの2人がけの席に腰を下ろし、夢中になって食事をした。水っぽくてあまりスパイスの辛みが感じられないカレーだったが、奴隷になってからほとんど毎日カビの生えた異様に固いパン以外の食べ物を口にしていない僕にとっては、究極のごちそうだった。奴隷になってからの食事は「ごはん」ではなく、ただの栄養摂取だった。

僕はこのひどくありきたりなカレーにより、久しぶりにごはんを食べることの喜びを思い出した。こうして人間らしい食事をしていると、まだ平和だったころ家族でひとつの食卓を和気あいあいと囲んでいたときの記憶が呼び覚まされて、ひとりでに涙が流れてきた。この食事を再びするためなら、どんなにつらい奴隷労働も耐えられるだろう。

「奴隷生活にもいいことってあるんだな。ここの看護士、カフェテリアの店員、皆親切だ。また検査受けに来られるなら、あと1ヵ月なんとか頑張れそうな気がする」僕は言った。

「まったく同感だ。ぎょう虫検査万歳だな」ヒロトは深くうなずき、ハンバーグの最後の塊を口に放り込んだ。

食事のあと緑茶を飲みながらくつろいでいると、カフェテリアの隅っこに併設されている売店の存在が気になり始めた。冷えたドリンクやサンドイッチやちょっとしたスナック菓子が売られている、ごく小さな売店だ。黒いエプロン姿の少女みたいな小柄な店員がひとりで暇そうにカウンターに座っている。食事と違って売店の商品は有料なので、購買力のないほとんどの奴隷たちは店の前を素通りしていた。

「ちょっと売店行ってくる」

そう宣言して勢いよく椅子から立ち上った僕を見て、ヒロトは胡散臭げに眉をひそめた。

「売店行ってくるって、お前金なんか持ってないだろ」

「金なら持ってるよ。前サイコロやったとき、ヤマジからけっこう巻き上げたから」

監獄での夜は退屈なので、奴隷たちは日々看守に隠れて様々なギャンブルに興じている。僕のいる檻グループでは、サイコロを3つ投げて出た目の合計が最も大きい者が勝ち(ただし、3回とも1の目が出たら無条件で勝利)というシンプルな遊びが最近流行っていた。

監房の床はでこぼこなのでサイコロが思わぬ弾み方をするため、やってみると意外とエキサイトしてしまう。奴隷の中には秘密裏の商売によってちょっとした収入を得ている者が少なくないので、ギャンブルの原資に困ることはまずなかった。僕の場合体力があるので、面倒な労働を肩代わりしたお礼に他の奴隷から現金をもらうことも時折ある。

僕はヒロトをテーブルに残し、ひとりで売店に入っていった。店員が急に背筋をすっと伸ばして「いらっしゃいませ」と澄んだ心地いい声で言った。そのとき、店内に他の客はいなかった。

僕は食品には目もくれずにまっすぐにドリンクの棚まで歩いていき、砂糖の入った甘い飲み物を探した。奴隷になってからほとんど水以外の飲み物を飲むことを許されなかったので、ジュースが飲みたくてたまらなかったのだ。そのとき僕が1番飲みたかったのはコーラだったが、あいにくコーラは売り切れていたので、棚に置かれている20種類ほどの缶ジュースの中からカルピスソーダを選んだ。

お金にまだ余裕があるので他にも何か買いたかったが、食欲はカレーですでに満たされていたので、悩んだ挙げ句チロルチョコを4個だけ買うことにした。ヒロトと2個ずつ分ければ、彼も喜んでくれるだろう。

カルピスソーダとチロルチョコを持ってレジに行くと、店員の女の子は椅子から立ち上がり、「ありがとうございます」と言って微笑んだ。つぶらな瞳と表情筋大活躍の柔和な笑顔は、初見の客の99%を虜にしてしまうだろう。

身体の線はそこまで細くないが、大人にしてはかなり背が低い。しかし、カラフルなマニキュアや金平糖みたいなイヤリングや飾り気のないメイクからは、確実に大人の色気が漂っている。

くすんだ茶色の髪を頭の高い位置からポニーテールにしていて、日本人ではないのか、眉や目の色もかなり褐色がかっていた。着ているエプロンに大きく、「I AM A BOY」と刺繍されている。

遠目に見たときも綺麗な女の子だなと思ったが、間近に見ると想像以上に美しくて、めまいすら感じるほどだった。奴隷生活で異性と出会うことはほとんどないので、僕らは根本的に若い女性に対する免疫を失っている。僕は自分の奴隷としての身分も忘れて、恋に落ちていた。その瞬間「甘い飲み物を飲みたい」という願望など、どうでもよくなっていた。

「全部で580円になります」

女の子が言った。値段が高すぎる気がしたが、おそらく大半はATSW への賄賂に消えるのだろう。僕はカーゴパンツのポケットを探って、ぐしゃぐしゃに畳み込まれた千円札を取り出し、丁寧にシワを伸ばしてから彼女に手渡した。奴隷相手の商売に慣れているのか、女の子は薄汚れた千円札を見ても嫌な顔ひとつしなかった。

「あなた、見ない顔ね。最近転勤してきたの?」

女の子がお釣りを数えながらたずねた。「転勤」というのはかなり優しい表現だ。本当は奴隷の「転売」と呼ぶのが正しい。

「2週間前に今の現場に変わったところだよ。正直なところ、ぎょう虫検査に来るのは生まれて初めてで、こんな楽園みたいな場所あるのかって驚いてる」

「どこの奴隷健康管理センターもこんなに奴隷への待遇がいいわけじゃないわ。ヒツジ人間管轄の地域はたいがい寛大に接してくれるけど、ヤギ人間管轄のところはけっこう奴隷につらく当たってるって聞いた。そこの所長の人柄にもよるみたいだけど」

「カフェテリアの店員は皆普通の人間みたいだったけど、きみもそうなの?」

僕は会話が終わってしまわないように、新たな話題を提示した。

「正確に言うと人間とシマリス人間のハーフなんだけど、表向きはプレーンだってことにしてる。ハーフってわりと、いじめの対象にされるから」

女の子は嫌な記憶を思い出したのか、わずかに顔を雲らせて言った。プレーンとは、動物の遺伝子が混じっていない普通の人間を指す俗称だ。

動物人間と普通の人間は交わって子どもを作ることができるが、身分上の差別の壁が厚いため実際にハーフの子どもが生まれるケースは稀だ。異種の人間と交わった者はほとんどの場合裏切り者として同種の人間たちのコミニュティから村八分にされる羽目になる。ひどい場合は中絶を強要されたり、生まれたばかりの子どもを「揺りかごの死神」と呼ばれる過激団体に殺されたりする。彼女がハーフであることをひた隠しにしてきたというのも、納得できる話だ。

「すごく、苦労してきたんだろうね」

僕は言った。

「今はそうでもないわ。少なくとも自分の家があるし、ちゃんと働いた分だけの給料はもらえてる。あなたたち…」

奴隷とは違って、と言おうとしたが、さすがに面と向かって相手の身分に言及するのは失礼だと思ったのか、彼女は急に口をつぐんだ。

プレーンの人間の約8割は動物人間たちの奴隷になっているが、残りの2割は多少の人種差別を受けながらも何も制限を受けずに普通に生活している。その2割はビジネスで成功した超富裕層と、動物人間にとって役立つ専門知識を有していると認められる者、もしくは公共・福祉団体の職員に採用された者の3パターンにほぼかぎられる。

簡単に言うと、動物人間にとって金づるになる人間か、運よく気に入られた人間以外はまともな生活はできないということだ。稀に監視人に気に入られて奴隷の身分から普通の身分に昇格する超ラッキーな人間がいるが、解放された奴隷のことは俗に「首輪落ち」と呼ばれる。

「1ヵ月後、またぎょう虫検査あると思うんだけど、この売店に来たらきみに会えるかな?」僕はたずねた。

「平日だったら、大体いると思うわ。前はシフト制だったけど、今はもう1人の店員は腰痛が悪化して出てこられないから、ほとんどひとりでやってるの。その分給料が上がるから実は嬉しいんだけどね。でも、どうして私に会いたいの?」

彼女は不思議そうに聞いた。

「だって、すごくかわいいからさ」

僕は言った。こうしたとき、ためらいなく素直に自分の気持ちを表現できるのが

僕の唯一の長所だろう。彼女は急にノーモーションのジャブを喰らったボクサーのように、明らかにうろたえていた。

「私がかわいい? 冗談でしょ。チビだし、ハーフだし、見た目だって普通の人間と違ってるのに」

そこがいいんだよ、と思ったが、あまり細かい特徴をあげつらうと変態扱いされそうなので、黙っておいた。

「冗談じゃないよ。僕が今までの人生で会った女性の中で、ぶっちぎりで1番かわいい」

おそらく彼女はプレーンの人間にも、シマリス人間にも、他の動物人間にも、ここまでストレートに口説かれたことはないのだろう。あっという間に耳まで真っ赤になった。

「それは、どうもありがとう」

彼女はボソボソとお礼を言ったが、これ以上口説いたら店を放り出して逃げ出してしまいそうな顔をしていた。僕も少し恥ずかしくなってきたし、ちょうど他の客が入ってきたところだったので、今回はこのへんで退散することにした。

「最後に、名前だけ教えてもらってもいい?」

彼女は入ってきた客に会話を聞かれないか少し警戒しながら、うなずいた。

「ステイよ。あなたの名前は?」

「自分の名前は奴隷になったときに捨てた。周りからはフカシギと呼ばれてる。奴隷番号はTCー31529。僕は『父ちゃんの最高の肉』って覚えてる」

ステイはそれを聞いてクスッと笑った。

「あなた、何だかおもしろい人ね。フカシギって名前もあまり聞かないし。毎日生き抜くのも大変だと思うけど、私もできたらまたあなたに会いたいわ。頑張ってね」

彼女が会いたいと言ってくれるとは思わなかったので、僕は少し有頂天だった。初回の成果としては100点満点だ。袋に入れずにカルピスソーダとチロルチョコを持ち帰ったが、あとで数えてみるとポケットには4つ買ったはずのチョコが2つしか入っていなかった。浮かれすぎてどこかで2つ落としてしまったらしい。ヒロトと1つずつ分けてもよかったが、せっかくステイから買った物なので、結局こっそりひとりで食べた。

午後から体力測定をやっているあいだも、ずっと頭ではステイのことばかり考えていた。ろくに運動に意識を集中していなかったが、記録員のヒツジ人間は半分寝ているような顔でこちらを見ているだけなので、多少手を抜いたところで気づかれる心配はない。

ただし、体力測定の数値と実際奴隷労働をしているときの体力があまりにも違いすぎると、あとで監視人の処刑の口実にされる恐れがあるので、ある程度の成績はおさめておく必要がある。幸い僕は恵まれた運動神経を持っていたので、完全に頭が上の空でもほとんどのテストで上位の成績が取れた。反復横跳びに至っては、途中1回足を滑らせかけたにもかかわらずその日の奴隷全体でトップの記録だった。

翌日から再び穴を掘る労働に従事したが、頭の中はやはりステイのことでいっぱいだった。僕としてはどうにかして「首輪落ち」を達成して、ステイと結婚したかった。

仮にステイと恋人同士になれたとしても、僕が奴隷であるかぎり彼女と結婚することはできない。身分違いの恋を彼女の親や親戚が許すはずがないし、そもそも奴隷には結婚権がないからだ。だから、僕は一生懸命に土を掘っているふりをしながら、奴隷生活を抜け出すための方策をあれこれ考え始めた。

首輪落ちする1番手っ取り早い方法は、現場の監督官に気に入られることだが、鱗人間のボスであるワイルダーという男はTHE堅物と言ってもいい奴で、とても異人種が気軽に話せそうな雰囲気の人間ではない。そこで、僕はNo .2のズイキという名の鱗人間に照準を絞ることにした。

ズイキはすでに初老の年齢だったが、小型の巨人かと見間違えるほど筋骨隆々の男で、強いがゆえに常に雰囲気に余裕があった。他の鱗人間のように理由もなく奴隷に暴力を振るったりはしないが、強烈な責任感のためか監視の目は誰よりも厳しい。一瞬でもサボるとすぐに鞭が飛んでくるし、鞭の打ち方もすべての鱗人間の中で1番痛みを伴うものだった。背中の中央に大きなこぶがあるので、一部の奴隷たちから「こぶ取りじいさん」というあだ名で呼ばれている。

ズイキに気に入られる方法は、ひとつしか思い浮かばなかった。奴は毎週日曜日になると、奴隷ふたりを連れて野山に山菜狩りに出かける。鱗人間たちはそこで採れたわらびやぜんまいを使った山菜ごはんが大好物なのだ。

ズイキは自分の手は一切汚さず、この目的のためにわざわざ山菜の知識を習得させた奴隷ふたりに専属として山菜狩りを任せていたが、僕は子どものころから生活のために田舎の山奥で毎日食糧を採取してきたので、正直なところ彼らより上手に山菜を集める自信があった。ズイキに気に入られるには、山菜狩りのスペシャリストとして認められるのが1番の近道だ。

問題は、すでに専属の山菜狩り要員が決められている中にどうやって入り込むかだ。いくら自分の実力に自信があっても、自ら「山菜狩りに行かせて下さい」などと志願するのは無謀だった。そんなことを頼んだところで、穴掘り作業をサボりたいだけだと思われてその場で処刑されるのが関の山だろう。

そこで、僕は専属の山菜狩り奴隷のひとり、たかやまっさんに一服盛ることにした。ある日曜日の朝食中、それとなくたかやまっさんの隣に座った僕は、パン皿に手を伸ばすふりをしながら彼のスープに粉砕した睡眠薬を投入した。その昔、不眠症の奴隷からもらったかなり強力な効き目のある薬だ。奴隷用のスープは水のように薄かったので味の変化に気づかれるのではないかとハラハラしたが、幸いたかやまっさんは鈍感な人物だったので普通にスープを飲み干していた。

日曜日は穴掘りに行かなくていいので、たかやまっさんは見るからに上機嫌だった。普段は寡黙な人物で、周りの奴隷と話しているところを一度も見たことがないが、この日は隣に座っていたからという理由だけでかなり僕にも積極的に話しかけてきた。「最近、穴掘りの調子どう?」とか訳のわからない声のかけ方をしてきたので、適当に「はぁ?」と答えておいた。

あまりにもべらべら喋るので、薬が効いてないのではないかと一瞬不安になったが、食後5分ほど経つと急に呂律が回らなくなってきた。たかやまっさんは「あれっ、今日何だか体調悪いな…」とひとりつぶやいたが、その時点ではまだ意識ははっきりしているように見えた。

食事のあと1日の身支度を整えるために奴隷たちは一度準備室と呼ばれる大部屋に寄るが、廊下を歩くたかやまっさんの足取りは明らかにふらついていた。けっきょく、彼は準備室にたどり着く前に足をすべらせて派手に昏倒し、鱗人間用のヘルメットが並んだ棚の角にしたたかに後頭部を打ちつけた。

「何の騒ぎだ」

物音を聞きつけて、鱗人間たちが一斉に廊下に飛び出してきた。監視人たちは一瞬奴隷たちが反乱でも起こしたのかと思って警戒していたが、状況を把握すると一様に呆れ顔になって大の字になったたかやまっさんの身体を蹴り始めた。たかやまっさんは後頭部をもろに打ちつけたにも関わらず外傷はほぼゼロだったが、完全に昏睡状態に陥っており、派手にいびきまでかいていた。

「これは、一体どういうことだ?」

1番最後に廊下に出てきたズイキが、たかやまっさんの顔を見下ろしながらたずねた。

「おそらく、二日酔いで潰れてるんだろう。このあいだ、貯蔵庫からどぶろくと蜂蜜酒が数本盗まれていた件は知ってるだろ。あのときは誰が犯人かわからなかったから処罰できなかったが、こんなに分かりやすく酔っ払ってるなら一目瞭然だ。酔いが覚めたら死ぬまで鞭打ちの刑にしてやる」テナガ、という名の鱗人間が言った。

「そいつを処刑するのは困る。大事な山菜狩り要員なんだ。貴様、わしの楽しみを奪うつもりか」

ズイキはただでさえ見栄えの悪い顔をさらに歪ませてうなった。

「そうは言っても、このザマじゃ山菜と雑草の区別をつけるどころか、まともに山道を登ることも無理だろうよ。山菜狩りは他に代役を見つけるしかないだろう」

テナガは肩をすくめた。そうしているあいだにもふたりの鱗人間がたかやまっさんの身体を担ぎ上げ、目覚めさせるために水風呂へと連行していった。だが、睡眠薬がよく効いているはずなので、たかやまっさんは容易には目覚めないだろう。

「山菜採りにはコツがいるんだ。昨日今日始めた奴に務まるかよ」

ズイキは見るからにイラついた様子で言った。しかし、残った奴隷ひとりでは充分な量の収穫が見込めないことはわかっていたので、最終的には新たな山菜狩り奴隷のオーディションをやることに同意した。

出発前の点呼をやるためにすでに奴隷たちは建物の前で整列していた。僕はいつもは目立たないように列の中央辺りに陣取るのだが、この日は逆に目立つために列の先頭に並んでいた。ズイキは奴隷に用事を言いつけるとき、自分のすぐ目の前にいる者を指名する傾向がある。先頭でやる気のあるオーラを出していれば、山菜狩り役に選ばれる可能性は高いだろう。

しばらくするとズイキが現れ、整列している奴隷たちをひとりずつ順番に睨みつけていった。指一本動かそうものなら容赦なく鞭が飛んでくるので、奴隷たちは緊張しながら必死に気をつけの姿勢を続けていた。四方にいる監視人はズイキの指示でいつでも鞭を打てるように構えている。いつも以上にズイキの眼光が鋭いので、恐ろしさのあまり思わず唾を飲み込んでしまう奴隷もいた。けっこう大きな音だったので普段なら鞭打ちの刑にあってもおかしくなかったが、ズイキは無視して話し始めた。

「山菜狩り奴隷にひとり欠員が出た。したがって、新しい候補を今すぐに決める必要がある。我こそはと思う者は名乗り出よ。この役目に採用されれば日曜日の穴掘り作業は完全に免除になるが、その代わり充分な量の山菜を採って来られない奴はその場で処刑させてもらう。どうだ、それでもやる気のある人間はいるか?」

まさか立候補制で決めるとは思ってなかったので少しとまどったが、どちらにしてもこのチャンスを逃すわけにはいかない。僕はズイキの目を見つめたまま堂々と挙手した。その瞬間、周囲の奴隷たちが少しどよめいたが、それを僕は自分の勇気に対する皆からの素直な賛辞だと勝手に解釈していた。だが、ズイキの視線が僕だけではなく僕の背後にも向けられているのを見て、ようやく他にも手を挙げた奴隷がいることに気がついた。

僕は背後を振り返り、列の最後方にいるそいつの姿を見た。リーロイと呼ばれている、ひときわ背が高くやせっぽちの少年だ。右腕の肘から先がないが、本人が言うには監視人にもがれたわけではなく、生まれつき右手がないらしい。僕はほとんど話した記憶はないが、噂によるとかなりのマザコンらしく、監獄内では9割方母親の話しかしないそうだ。そんな豆腐メンタルでよく過酷な奴隷労働に精を出せるなと関心してしまう。

リーロイは緊張のあまり全身を震わせていた。なぜ山菜奴隷に立候補したのか、自分自身でよく理解していないように見えた。彼はなぜかズイキではなく僕の顔を真剣に凝視していた。

「残念ながら空いている枠はひとつだけだ。今からふたりで素手で殴り合いをしてもらう。最後まで立っていた方が山菜狩り役に採用だ」

ズイキが宣言した。部下の鱗人間がうなずき、細長い木の棒で素早く地面に相撲の土俵くらいの大きさの円を描いた。その円の中がバトルフィールドになるということらしい。ズイキは僕とリーロイにフィールド内に入るように指示したあと、僕たちが逃げられないように円の周りを隙間なく奴隷たちで取り囲ませた。

普段僕ら奴隷は、奴隷が監視人に暴力をふるわれている姿は日常的に目にしているものの、奴隷同士の決闘を見る機会などまったくなかった。バトルフィールドのそばで間近にバトルを見られることもあって、一部の奴隷たちは明らかに興奮していた。中にはボクシングファンが贔屓の選手を応援するように、大声で僕やリーロイの名前を叫んでいる奴隷までいた。しかも、僕にとっては腹立だしいことに、明らかにリーロイに対する声援の方が大きかった。

「お前、右手ないのか」

ズイキがふと、リーロイの腕を見て言った。

「さすがに、片手しか使えないのでは圧倒的に不利だな。対戦相手もどちらか一方の腕しか使えないというルールにしないと、公平な決闘とは言えない」

「じゃあ、僕も左手だけで闘いますよ」

僕はすかさず言った。片手で闘った経験など一度もなかったが、思いっきり拳を振り回せば一撃で相手を倒せる自信はあった。リーロイは身長こそ僕よりずっと高いものの、穴を掘る様子を見ているかぎりではそんなにパワーも体力もあるようには思えなかった。彼の方が片手での運動に慣れているというアドバンテージを加味しても、こちらが負ける可能性など考えられない。

審判役の鱗人間が勢いよく旗を振り下ろし、決闘が始まった。驚いたことにいきなりリーロイは開始と共にこちらの懐に突っ込んできて、左手だけで一瞬で5発ものパンチを繰り出してきた。僕は無意識の反応だけでその攻撃を全て交わしたが、正直パンチ自体は速すぎてあまり見えていなかった。追撃を避けるため、慌てて相手との距離を空けた。

改めてリーロイを見ると、先ほどまでの不安そうな表情は消えて一気に闘う男の顔に変わっていた。明らかに格闘技を専門に習った経験のある人間の構え方だった。これまでの奴隷生活では一度も見たことがないほど、気迫に満ちている。

パンチの技術では敵いそうにないので、ひたすらバトルフィールドの中を走り回って相手の体力を消耗させる作戦に出ることにした。僕は運動神経がいいので、どれだけ弾丸のようにパンチを出されたところで一定の間合いがあればすべてよけきることができる。お互いに片手だけしか使えないので、コンビネーションパンチがない分相手の攻撃を見切るのは簡単だった。スタミナ勝負なら、僕は絶対的な自信がある。

案の定、5分ほどひたすら逃げ回っていたら、先に相手の方が疲れてきた。僕があまりにも攻撃をしないので周りの奴隷たちは次第に野次を飛ばしてくるようになったが、僕は誰に嫌われようと一向に構わなかった。大事なのは、どんな手を使っても山菜奴隷の地位を手に入れることだ。

完全にリーロイは肩で息をしていたが、それでもまだ一発を狙っていることは雰囲気で感じられた。一方で僕も間合いを取りつつ、唯一の必殺技である飛び膝蹴りを放つチャンスを窺っていた。子どものころ遊びで練習していただけなので、実戦で使用したことは1度もないが、いい角度で顎に膝を入れることができれば、一撃KOだろう。僕は相手のパンチの打ち終わり、最もガードの甘くなる瞬間を狙っていた。

リーロイは我慢の限界に達したようで、とうとう一気にこちらの間合いの中に飛び込んできた。僕がカウンターの膝を合わせるタイミングを計ろうとしたとき、突然彼はくるりと背中を向けた。僕は一瞬何が起こったのか理解できず、完全に虚を突かれた。コンマ数秒後、強烈な裏拳が僕の顔面を襲った。

前髪に風圧を感じたが、またしても僕は間一髪のところで攻撃をかわした。緊張で額にいっぺんに汗が吹き出した。一瞬反応が遅ければKO されていただろう。しかし、ピンチのあとにはチャンスがやってくる。僕は、リーロイが勢いよく裏拳を繰り出した反動で体勢を崩しているのを見逃さなかった。僕は一気に間合いを詰め、リーロイの顔面に渾身の左ストレートを放った。

リーロイの左拳は裏拳を打ったまま流れていたので、どう考えても僕の攻撃の方が先に当たるはずだった。だが、先にクリーンヒットさせたのはリーロイだった。彼は裏拳を放った体勢からさらに身体を半回転させ、前腕のない固い右肘で僕の左ボディーを痛烈に強打した。

うめき声と共に、僕はその場に崩れ落ちた。あばら骨が何本か折れた音がはっきりと聞こえた。起き上がって闘おうにも、まともに呼吸をするのさえ厳しい状況だった。

僕はアルマジロのように背中を丸めてうずくまったままとどめの一撃を待っていたが、すでに勝負ありと見たのか、リーロイはそれ以上攻撃を加えようとはしなかった。彼はきわめて冷静な表情で僕が苦しむ様子を観察していた。

「今のは反則だ! お互いに左手しか使えないってルールで闘ってたはずだろ」

見物人の奴隷のひとりが声を上げた。

「俺は右肘を使っちゃダメだなんて、言われた覚えはないぜ。フカシギは確かに右手を使えないって決められてたけどな」

リーロイが右肘を左手でさすりながら答えた。よほど強い衝撃でぶつかったのか、肘全体が真っ赤になっている。

「確かに、俺たちはTK3002(リーロイのこと)に右肘を使うなとは言ってない。そもそも不自由な右腕が武器になりうるとは思ってもみなかったからな。お前はどう思う、ズイキ?」

審判役の鱗人間が言った。

「これが正式な試合なら失格だが、所詮は非公式の決闘。したがって、結果がすべてだ」

ズイキは勝者を祝福せず、かと言って敗者も蔑まず、無表情に言った。僕はしゃがみこんだまま苦しみ続けていたが、その場の誰ひとりとして手を差し伸べようとはしなかった。



































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