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前編 しっぽによる世界の席巻

穴を掘れ。穴を掘れ。穴を掘れ。望みうるかぎり大きな穴を。大イノシシがはまりこんだら出てこれなくなるほどの、超ド級の穴を。あるいは、巨人のケツの穴に似た、真っ暗で壮大な穴を。

僕たち奴隷は、いつものように横一列に並ばされ、ひたすら穴を掘っていた。背中に焼けつくような陽射しを浴びながら、冷凍庫に数年間放置したティラミスみたいにカチカチに固まった地面にスコップを突き刺し、少しずつ赤土をかき出していく。

巨人族(ギガンティス)より貸し出されたスコップは重い上にクソ長かったので、誰ひとりとしてまともに扱うことができなかった。しかし、人間用の掘削道具は辺りに存在していないようだった。

僕たちは毎朝何組かのグループに分けられ、その日担当する穴をあてがわれていた。監視人たちが「採掘場」と呼ぶそのフィールドには、月の表面かと思うくらい無数の穴が存在していた。

1グループあたりの人数はまちまちで、3人くらいで掘ることもあれば、8人くらいで協力して掘り進めることもあった。でも、大体は5、6人でグループを組むことが多かった。5人で掘り始めて、1日終わるころにはひとり倒れて4人になっている、というケースが最もスタンダードなものだ。それくらい、穴を掘る作業は苛酷を極めた。

穴掘り奴隷たちの総数は80名ほどだったので、毎回できるグループの数は大体15組くらいだった。それぞれのグループに監視人が最低ひとりは張りつき、サボっている者がいないか絶えず目を光らせている。

監視人を務めるのはたいてい(ウロコ)人間だったが、人手が足りないときはたまに犬人間や小さめの巨人がヘルプでくることもあった。一番厳しいのはもちろん鱗人間だったが、巨人はたまに奴隷をつまみ食いすることがあるので、一番恐ろしいのは満場一致で巨人だ。反対に、犬人間はたいてい愛想がよかったし、けっこうこまめに水分補給を許可してくれたりもするので、犬人間が来る日はラッキーだといえる。

鱗人間とは、文字通り身体の表面ががさがさの鱗に覆われた人間たちのことである。細かい分類を言うと、トカゲ由来のトカゲ人間と魚由来の魚人間の2種類の人種がいるが、超人類分類学に通じていない普通の人間には見分けがつかないので、ひっくるめて鱗人間と呼ばれている。鱗人間といっても、鱗があるのと肌の色が緑がかっているという特徴をのぞけば、それほど見た目はノーマルな人間と変わらない。

しかし、言葉が通じるのにも関わらず鱗人間たちは徹底的に僕たち奴隷に冷淡だった。彼らは常に奴隷を厳しく監視し、少しでも手を抜いたと思うとよくしなる鞭を容赦なく奴隷の背中にふるった。

奴隷たちは全員上半身裸で作業していたので、肌にまともに食らう鞭の痛さといったらなかった。一度鞭の標的になると、最低でも血が出るまでは鞭をふるい続けられる。鱗人間はちょっとした口実で鞭を打ちたがるので、事実上すべての奴隷の身体が鞭の傷痕だらけだった。全員ミミズが地面を這い回ったあとみたいな背中になっていた。中には傷口が水ぶくれになったり、ひどい内出血を起こしている者もいた。しかし、それなどまだマシな方で、鱗人間はときには鞭打ちに夢中になるあまり暴行を加えすぎて奴隷をあやまって殺してしまうことさえあった。

監視人が故意に奴隷を殺してしまった場合、一応雇い主の財産を棄損したことになるので面倒な始末書を書かされる羽目になる。それにもかかわらず、監視人による奴隷の殺害は一向に減る様子はなかった。鱗人間たちは心の底から鞭打ちを楽しんでいた。彼らにとって監視人は、やりがいや充実感でいっぱいの、理想的な仕事のようだった。福利厚生もそれなりにいいらしい。

人類がこんなに不幸になるなんて、10年前は誰も予想してなかったに違いない。初めて「超人類」が生み出されたとき、一部の学者は警鐘を鳴らしていたものの、世論の大半は人間のDNAと優れた運動能力を持つ動物のDNA をかけ合わせることにより、人類の身体能力を劇的に進化させられるというその試みにかなりの期待を寄せていた。

じっさい、いちばん最初に作られた犬人間とカラス人間とチーター人間は、ノーマルな人間たちと仲よく共存しているように見えた。彼らはおしなべて人間に従順で、争いを好まない平和主義者たちだった。彼らは遺伝子操作によって人間に仕えることに最大限の喜びを感じるように設計されていた。噛み応えのあるビーフジャーキーやよく光るガラス玉さえ与えておけば、彼らは人間のために無給でいくらでも働いてくれた。

最初に反乱の徴候がみえたのは、意外にも最も人間に従順だと思われていた犬人間たちだった。一部の好奇心が強い犬人間たちは人間に飼われているだけの生活に物足りなさを感じるようになり、次第に空いた時間を使って犬人間同士で群れを作ることを覚え始めた。

そのときには犬人間の総数は数十万にふくらんでいたので、気がつけば全国至る場所に犬人間たちのコミュニティができるようになり、人間には関知できない独自の情報網が発達していった。

その中枢機関は犬人間たちのあいだでDTSW(Dog tail saves the world =犬の尻尾は世界を救う、の略)と呼ばれてるようになった。DTSW はみるみるうちに勢力を拡大し、やがて犬人間たちのあいだでDTSW の会員になることが一種のステータスになった。

DTSWは全国の犬人間の人権を守るべく、人間の政府と対等に交渉を交えるまでに影響力を増大させていった。

まず最初に最低賃金や労働時間短縮に関する法律が整備され、続いて適切な居住空間の提供(それまでは、狭い犬小屋に犬人間を住まわせることが常識だった。)や、パワハラの禁止(お手やおすわりの強要がこれにあたる)、いつでも好きなときに散歩に出て行ける権利など、DTSW の奮闘のおかげで次々に犬人間たちの人権は向上していった。

もちろん、ある程度権利を主張したとはいえ、この時点では犬人間たちの人間に対しての従順さや奉仕の精神は、まったく変わっていなかった。むしろ、ちゃんと人権が守られるようになったので、大半の犬人間は人間たちに泣いて感謝しているくらいだった。ヒトラー的な一匹の犬人間さえ現れなければ、おそらく今でも人間と犬人間たちは仲よく共存していたはずだ。

革命を起こした犬人間は、名前をガンジーといった。その名前はもちろん飼い主の人間につけられたものだが、はからずも彼はインドのガンジーと同じように、犬人間全体にとっての救世主へと成長していく。ただし、平和的な手段に徹底的にこだわったインドのガンジーと違い、犬人間のガンジーは徹底的に破壊的な方法を好んだ。

ガンジーの飼い主は、いつの時代にもいる身勝手な人間だった。ガンジーがまだ幼かったころ、そのクソ人間は「プードルの血が入った犬人間の方が召使いに相応しい」という理由で、あっさりガンジーを山奥に捨てた。

そのときはまだDTSW が組織される前だったので、飼い主は犬人間を不法投棄しても一切罰則を受けなかった。

行き場を失ったガンジーは、いつしか同じように人間に捨てられた「野良」の犬人間の群れに混ざり、ふもとの民家に出没しては食糧や金品を略奪して回る生活を送るようになった。

もちろん、略奪される人間の側も黙ってはいない。人間たちはしばしば「狩人」と呼ばれる犬人間の習性を知り尽くした暗殺部隊を山に送り込んできた。さらに奴らは、古典的な毒エサを野良集団の通り道の至るところに仕掛けた。犬人間は普通の犬より遥かに頭が回るが、それでも多くの野良がしたたるような脂身の臭いに負けて簡単に毒殺された。

その点、ガンジーは悪魔のように狡猾だった。彼は狩人の仕掛けるすべての罠を軽く一瞥しただけですべて見破ったし、第六感が異常に発達しているので、敵が接近する気配を風上にいるときですら事前に察知することができた。多くの犬人間が狩人を恐れて一方的に逃げ回る中、ガンジーは逆にしばしば殺したての狩人の死体を引きずって帰ってくるほどだった。

森の中を走って逃げるふりをしながら狩人の集団を巧みに分解し、敵がひとりきりになったところで背後から牙で襲いかかるのがガンジーの常套手段だった。犬人間の大半は牙など持っていないのに、なぜかガンジーの口には狼そのもののような立派な牙が生えている。そして、誰に教えられたわけでもないのに、彼には生まれつき正確に一撃で獲物の喉元を切り裂く才能が備わっていた。

ガンジー自身はまったく権力欲を持たない人間だったが、あまりにも実力が抜きん出ているのでいつの間にか勝手に野良集団のボスに昇格させられていた。それだけではなく、彼と一緒にいれば狩人から身を守れるというので、そこらじゅうの野山から次々に野良たちが集まってくる事態となった。気がついたときには、ガンジーは日本全国にいる1000匹以上の野良犬人間の頭目の座に治まっていた。

野良が組織化してしまった以上、人間側ももはや彼らを狩るのをあきらめたみたいだった。いつ頃からか野山で狩人を見かけなくなり、ふもとの街からは略奪を怖れて人間の姿がすっかり消え去り、ゴーストタウンとなった。

しかし、全国に住む野良たちの物々交換ネットワークのおかげで、わざわざ人間から略奪をやらなくても充分に群れ全体が食べていけるだけの食糧を確保することができるようになった。ガンジーは生まれて始めて平穏な日々を手に入れた気分だった。彼はその時点では、近いうちにボスの座を引退して、死ぬまでささやかに目立たない山奥のほこらで暮らしていくつもりでいた。

転機が訪れたとき、ガンジーはすでに45歳になっていた。犬人間の平均寿命は50歳~60歳くらいなので、すでにけっこうな高齢だ。

ある日、ガンジーがお気に入りの岩の上で日光浴をしていると、DTSW からの使者を名乗る若い犬人間が現れた。使者がたずさえていた日本語の文書(野良とはいえ、学のある犬人間はたいてい日本語での読み書きができる)を読むと、DTSW の年次総会に野良の代表として出席してほしいという要請が記されていた。高い人権意識を掲げるDTSW としては、野良たちの意見も差別せずに取り入れていきたい方針なのだという。

ボスの座を後進に譲ってけっこうな年月がすぎていたので、なぜDTSW が自分を指名してきたのかよくわからなかったが、東京までの旅費は向こうが持ってくれるらしいし、毎日暇を持て余していたところだったので、旅行気分で招待を受けることにした。

しかし、ガンジーはこのDTSW の年次総会で、頭をかち割られるほどのショックを受けることとなる。ガンジーのような生粋の野良にとって、飼い主を持つ犬人間たちは恵まれた人々の象徴だった。彼らは今日食べる物の心配をする必要もなければ、狩人たちに撃ち殺される恐怖に脅えることもない。それどころかすべての人間は彼らの味方で、常に主従関係という固い友情で結ばれている。

この世界で神のような権力を持つ種族が味方であるということは、自分たちが神であるのとほとんど同じことだ。住む世界が違うからこそ、ガンジーは決して飼い犬たちと関わろうとしてこなかったし、むしろ彼らは敵の一部という認識だった。じっさいに戦闘を交えた経験こそなかったけども、もし山で狩人と一緒にいれば、容赦なくその犬人間を殺しただろう。

ところが、総会が始まってガンジーは腰を抜かすほど驚いた。出席者たちが先を争うように、次々に人間に対する不満の言葉を並べ立てていったからだ。尻尾に対するリスペクトが足りない、喫煙所増やすならもっとマーキング・エリア作れよ、本物の犬はひたすら可愛いがるくせに、どうして我々犬人間は奴隷扱いなのか? 等々、すべての発言者がかなりの熱量で人間の悪口を吐きまくっている。

その姿を見て、ガンジーは始めて不幸なのが自分たち野良だけではなかったことに気がついた。この世に人間が存在するかぎり、犬人間は永遠に幸福になどなれないのだ。その真理に彼はようやく、たどり着いた。

遠く幼かったころ、血統がよくないという下らない理由であっさり自分を捨てた元飼い主の顔が思い浮かんだ。ガンジーはかつて狩人と闘う過程でたくさんの人間を殺してきたが、それは人間が憎いからというより、殺らなければ殺られるからという単純な理由で殺したにすぎなかった。しかし、元飼い主の顔が思い浮かんだとたん、これまでにはなかった明確な人間への殺意が芽生えた。

「人間たちに戦争を仕掛けて、皆殺しにしてやりましょう。DTSW にいるすべての犬人間の力、野良たちの力、さらには他の動物人間たちの力を結集すれば、それができるはず」

ガンジーが発言すると、人間への不満の応酬であれほど騒がしかった会場が、一瞬にして水を打ったように静まり返った。会場には見物客も合わせて300名くらいの犬人間がいたが、誰もが息を呑み、エイリアンを見るような目でガンジーの方を凝視している。

ショックでしばらく皆が呆然としていたが、驚きの眼差しが軽蔑の眼差しに変わるのに、長い時間はかからなかった。タブーに踏み込んだ者に対する無意識の拒絶だ。犬人間はもともと人間を尊いものとして見るように強固に遺伝子操作されている。野良でさえひとりの人間も殺せないのが普通なのに(ガンジーは特殊な例外だ)、飼い犬一筋である彼らが人間様に殺意を抱けるわけがない。まして、皆殺しにするだなんて、神をも恐れぬ冒涜行為だ。その場で人間の当局に密告されても、おかしくないかもしれない。

激昂した何人かの見物客がガンジーに殴りかかろうとしたが、どうにか周りに静止されてその場では事なきを得た。もっとも、老いているとはいえガンジーの戦闘力をもってすれば、3人の若造など相手にはならなかっただろう。

ガンジーは議長から厳重注意を受け、発言の撤回を求められた。ガンジーは言われた通りに撤回したが、内心では革命への決心をより一層固めていた。とはいえ、冷え切った周囲の空気を見ると、孤立無援の感じは拭えない。おそらく、今後二度と総会に呼ばれることはないだろう。

会場を出ると、10人ほどの若者の集団に取り囲まれた。髪の毛を赤や青や緑色に染め、渋谷風の最新のファッションに身を包んだいかにも血気盛んな連中だ。ガンジーが思わず身構えると、グループの頭目らしい毛先を金髪に染めた犬人間がいきなり仰向けにアスファルトの地面に寝そべった。

それは、明らかに「ちんちんスタイル」だった。野良たちのあいだではほとんどおこなわれない仕草だが、飼われている犬人間にとってちんちんスタイルが相手への絶対的な服従を示すシグナルであることくらいはガンジーも知っていた。普通は犬人間が飼い主となる人間と最初に契約するさいに、永遠の恭順の意思を示すために行われる。犬人間が犬人間に対してちんちんスタイルをやることは、普通の感覚ではまず考えられない。

若い犬人間はたっぷり30秒ほどちんちんスタイルをやったあと(一応人間なので、仰向けになるだけで本当に陰部を露出させるわけではない)、おもむろに立ち上って叫んだ。

「先ほどのガンジー様の発言、我が身に染み入りました! 私も人間などという悪鬼の類いは、この世から駆逐されて当然だと思います!」

周りの若い犬人間たちがいっせいに「そうだ、そうだ」とうなずいた。どうやら、DTSW の年老いた頭でっかちの幹部たちとは違い、若い犬人間たちの一部はガンジーの革命思想に一瞬にして感化されてしまったようだ。自分の考えを若い世代を中心に広めていけば、いずれ大きな革命ムーブメントを起こせるのではないか? この時点でガンジーには、DTSW を乗っとるまでの明確なビジョンがあった。

ガンジーはまず、大衆を突き動かすにたる強大な思想作りに臨んだ。彼は図書館に行き様々な文献をあたる中で、ヒトラーの推進した優生思想が一番広く犬人間の洗脳に使えると手応えを掴んだ。

優生思想とは、特定の優れた遺伝子を持った人種が世界を支配した方が、人類全体がより幸福になれるという考え方だ。ヒトラーが想定したのはアーリア人種の優越性だったが、この考え方は犬人間にも当てはまることにガンジーは気づいた。

つまり、ノーマルな人間より、人間の遺伝子を改良して生まれた犬人間の方が人種としては明らかに優秀である。それならば、劣っているはずの人間たちが犬人間を支配している現状は明らかにおかしい。本来は、優秀な犬人間の方が人間を支配するべきではないか?

この論調で民衆を煽りまくれば、やがて大きな支持を得られるはずだ。ヒトラーがのちに独裁者となって一般市民を迫害することもしっかり文献に書かれていたが、ガンジーは自分にとって都合の悪い箇所はすべて読み飛ばした。

ガンジーはさっそく自らを慕う若者たちと共にしっぽナチ党(略称TNP)という政党を結成した。しっぽナチ党は広場やショピングモールなどあらゆる施設に予告なしに現れ、ゲリラ的に犬人間たちに対して演説をおこなった。人間の警察に追い回されることも多かったが、ガンジーの巧みな演説(ヒトラーの演説をそのまま参考にした)を目にした犬人間たちはかなりの確率で足を止めて話に聞き入ることになった。

長年1000人以上の野良たちの頭目を務めてきただけあって、ガンジーは人心掌握術にかなり優れていた。演説を数分聞いただけで、しっぽナチ党への入党を決意する犬人間が続出した。党員の数は順調に伸びていき、やがて全国いたるところでTNP の秘密集会が開かれるまでになった。

一方で、ガンジーは資金集めにも余念がなかった。ガンジーは荒くれ者の野良たちで結成した強盗団を高級住宅街に放ち、ひたすら人間たちの持つ宝石や、高額な絵画や、現金などを奪わせ続けた。彼らの活動のせいで、街の治安は一気に悪化した。コールセンターを作り、若者たちに朝から晩までオレオレ詐偽の電話をかけさせたりもした。かわいい犬人間の娘がいれば、積極的に人間相手に売春をさせた。

しかし、いちばん金になったのはアリクイ人間の間食用の蟻の密売だった。蟻を育てるのに多少のコストはかかったが、アリクイ人間にはなぜか成功者が多かったので、たんまり代金を支払ってもらえた。

豊富な資金で大半の幹部を買収できたので(もともと、飼い犬である犬人間はあまり金を持ってない)、DTSW の乗っとりはあっけないほど簡単にいった。ガンジーは幹部になった翌日にはもうDTSW の頭目の座を手にしていた。もちろん強硬に反対する者はいたが、目立つ人物を数人野良集団を使って見せしめに殺したあとは、誰も声高に彼らの優生思想に反対できなくなった。絶対的権力者に必要なのは、恐怖とカリスマ性だ。

すぐにでも人間に対して宣戦布告したかったが、ひとつ大きな障害があった。大半の犬人間たちは優生思想そのものの概念は理解できても、人間に対する愛情の念を深く遺伝子に刻み込まれているので、どうしても人間に殺意までは抱けずにいたのだ。

大半の犬人間は、殺戮よりも平和的な手段で人間よりも上の立場になりたいと考えているようだった。しかし、人間が黙って犬人間に権力を譲渡するはずがない。血を流さずに革命を成就できるなどという考えは、ガンジーにとっては大甘もいいところだった。どうにかして、犬人間たちに人間への殺意を植えつける方法はないものか。

彼が採用したのは、催眠術だった。ヒツジ人間がうつ病治療のために開発した強力な催眠術を応用すれば、「人間を殺すのは、この世界にとっていいことだ」という思念を大衆の潜在意識に植えつけられるはずだ。

ガンジーは著名な催眠術師のヒツジ人間を雇い、犬人間専用の政見放送を通じて毎日朝と夕方の2回に渡って人間への憎しみを増大させる暗示を全国の犬人間たちに送り続けた。

最初はあまり効果がないようにも思えたが、1週間、2週間と続けていくうちに徐々に犬人間たちの心がすさんでいく様子が観察されるようになった。全国各地で犬人間が飼い主を噛んでしまう事故が多発しているという報告を聞いたとき、洗脳が成功しつつあることを確信した。これまで優生学にまるで興味を持っていなかった保守派の人々でさえ、こぞってしっぽナチ党の集会に参加してくるようになった。ガンジーはいつ戦争が始まってもいいよう、秘密裏に武器の生産や党員の軍事訓練に力を入れた。

さすがに活動の規模がここまで広がると、犬人間の活動になど毛ほどの興味もない人間たちも、しっぽナチ党の存在を認識するようになってきた。しかも、「人間を絶滅させろ」とかかなり過激な主張をしていることまで知られ始めていた。

ガンジーたちにすれば、当局にこれ以上目をつけられる前に早急に戦争の準備を進める必要がある。しっぽナチ党のアジトの場所を知っているのは本当に信用のおけるひと握りの犬人間だけとはいえ、仮にガンジーが逮捕されるような事態になれば間違いなく革命は頓挫するだろう。

ガンジーたちはDTSW の議会で正式に人間への宣戦布告決議を採択するべく調整を続けていたが、すでに強力な催眠効果によって暴徒と化した犬人間たちの群れが人間に襲いかかる事件が全国で頻発する事態になっていた。

栃木では20代のOLが通り魔的犬人間から顔面を数十針も縫う大怪我を負わされ、福岡では公園のベビーカーに乗っていた3歳児が無残に噛み殺された。狂犬たちはすぐさま警察に駆除されたが、事件がニュースで報道されるたびに多くの人間は犬人間に恐怖を抱くようになっていった。

犬人間を召使いとして雇っている者は、その召使いに少しでも狂犬の徴候が見られると進んで保健所に連れていき、殺処分した。その結果、保健所に連れて行かれる気配を感じた犬人間の多くは、飼い主の家から逃げ出した。

街には、今や誰の所有物でもなくなった犬人間たちが溢れていた。戦争はほとんど自然発生的に始まった。犬人間たちは4匹~10匹ほどの群れを作り、次々に民家に襲いかかった。犬人間たちの手には、DTSW が秘密裏に大量生産したAK47アサルトライフル(犬人間仕様)が握られていた。犬人間たちはそれまでの奉仕生活のうさを晴らすかのように人間の頭を次々に蜂の巣にしまくった。広場は大量の人間の死体で埋めつくされた。

最初のうち、ゲリラ的に現れる犬人間たちに人間側はまったく太刀打ちできないでいた。DTSW のメンバーが審議中の国会を爆破した結果、総理大臣を含む政府の要人の大半が死亡してしまったので、自衛隊を動かす立場の国が機能不順に陥っていた。

警察は真っ先に犬人間撲滅に乗り出したが、謎のハッカー攻撃を受けたため捜査情報はすべてDTSW に筒抜けだった。加えて、遺伝子操作により人間より遥かに優れた身体能力を持つ犬人間たちにとって、ピストルで立ち向かってくる一般の警察官など水鉄砲を持った子どもとそう大差なかった。犬人間の優れた嗅覚と敏捷性があれば、ひとりで機動隊員5、6人くらいは楽にあの世送りにできた。

犬人間たちはゲリラ攻撃を繰り返すことによって善戦していたが、しょせん犬人間の数など全体で50万匹しかいないので、1億人以上いる人間相手には明らかに多勢に無勢だった。

ガンジーは圧倒的な戦力差を埋めるべく、他の動物人間たちに援軍を要請した。ハイエナ人間、ペリカン人間、ラクダ人間、ヒグマ人間などが協力の意向を固めた一方、ブタ人間、ペンギン人間、コウモリ人間などは人間の側についた。コアラ人間とナマケモノ人間は人間と犬人間どちらの側にも立たないというスイス的態度を表明したが、そもそもコアラ人間もナマケモノ人間もかなり人口が少ないので、どちらについたとしてもあまり影響はなかっただろう。

犬人間50万+動物人間25万のガンジー軍は、プレーンな人間にしか感染しないウィルスを街中にばらまいたり、フードを被って普通の人間が大勢いる会社や飲食店に紛れ込んで自爆テロをおこなったりして抗戦したが、人間の側もいつまでもやられっ放しではいなかった。

警察犬は犬人間よりも優れた嗅覚を武器にいくつもDTSW のアジトを探し出したし、発見された犬人間たちは自衛隊から身体能力の高い者だけを選りすぐった特殊部隊「新狩人」の手により皆殺しにされた。人間たちはさらに狂犬病ウィルスを意図的にDTSW のメンバーが潜んでいそうな場所にばらまいた。特殊に加工された狂犬病ウィルスは発病するまでに1週間ほどのタイムラグがあったので、1匹が感染すると次々に犬人間のあいだで感染が広がっていった。

動物人間vs人間の戦争が始まって1ヵ月のあいだにDTSW は30万人以上の人間の殺戮に成功したが、一方で犬人間の死者も7万匹を超えていた。このまま戦争を続けても、どちらが先に絶滅するかは火を見るより明らかだ。DTSW 内でも「もう人間たちに全面降伏するべきではないか」という意見が多勢になっていたが、ガンジーは戦い抜く姿勢を崩さなかった。

今さら降伏したところで犬人間全員の殺処分は免れようはなかったし、どうせ死ぬんだったら戦士らしく堂々と闘って死んだ方が彼の主義には合っている。それに、ガンジーはまだ人間に勝てる奥の手を隠していた。

実は、ガンジーは秘密裏に四国に理化学研究所を建てて、そこで新たな合成人間の作成に着手していた。彼が生み出そうとしていたのは、圧倒的な戦力値を持つ最強の新人類だった。ギリシャ神話に出てくる1つ目の巨人が理想のイメージだ。巨人が数体いれば、街ごと人間を焼き払うことも可能になるだろう。

幾度も試作を繰り返し、最終的に人間の遺伝子に花崗岩の遺伝子、屋久杉の遺伝子、動かない鳥ハシビロコウの遺伝子を混ぜ合わせることによって巨人(ギカンテス)は完成した。巨人はまったく日本語が喋れないという欠点はあったが、その頑丈さと不死身具合と戦闘力に関してはガンジーの期待以上のものを持っていた。

残念ながら目の数はひとつではなく5つもあったが、巨人という名に相応しく最小のものでも身長は3メートル以上あった。犬人間の命令を守るように遺伝子操作されているが、危険性がないことがわかっているガンジーでさえ、最初に対面したときは恐怖感を抑えられなかった。

巨人の投入により、一気に形勢は犬人間の側に傾いた。何しろ、巨人には銃撃も爆撃も一切効かないので、自衛隊の特殊部隊すらほとんど太刀打ちできなかった。巨人を倒せるとすれば核兵器くらいかもしれないが、一般人が多く住んでいる街中に原爆を投下するわけにもいかない。巨人の5つの目は抜群のセンサー能力を持っていたので、瓦礫の中に隠れている人間を探し出して殺し尽くすのに最適だった。巨人は鋭い爪で生きたまま人間をマグロの解体ショーのように分解し、中の血や臓器や脳を長い舌でぺちゃくちゃすすった。

政府は明らかに劣勢になった時点で、初めてアメリカに援軍を要請した。しかし、アメリカからの回答は「動物人間による侵攻は日米安保条約の集団的自衛権の範囲には含まれないので、米軍を対動物人間戦争に派遣することはできない」というものだった。早い話が、日本を見捨てるということだ。

中国やロシアにも支援を要請したが、どこの国もこの戦争に関わり合いになるのを避けているようだった。犬人間とまだ良好な関係を築いている国々にとっては、下手に日本を助けてしまって自国の動物人間たちの反乱を招くことはデメリットにしかならないのだ。

こうして国際社会からも見放された日本は、DTSW に無条件降伏し、民族皆殺しを免れる代わりに一生動物人間たちの奴隷となって働くことを受け入れた。

DTSW はATSW(獣の尻尾は世界を救う、の略)に名称変更され、犬人間たちは正式に日本列島全体の統治権を国連に承認された。






















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