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「いいか、ルールは簡単だ。相手を倒れさせるか剣を吹き飛ばす、もしくは場外へ出した方の勝ちだ。今回は寸止めにしてやるよ」
「それはどうも。舐めるんじゃないわよ」
二人は間合いを取ると、静かに腰から木剣を抜く。審判のジャックが開始の声を上げれば、そこから試合開始だ。
すーっと息を吸って、止める。
目をつぶり、目の前にいる相手を思い描いた。
そうやって、意識を前だけに集める。
「始めっ!」
「はあっ!」
その言葉と共に、相手の騎士が大きく踏み出す。
剣は真っ直ぐ突き出されるが威力に欠けていた。おそらくその一撃でヴェルーナを怯ませて、追撃で早々にカタをつけようというのだろう。
それを瞬時に読み取ったヴェルーナは剣を垂直に構え、身体だけを僅かに外へ流した。
狙い通り、威力が弱い剣は簡単にヴェルーナの剣に勢いを殺されその隙に剣を素早く引き寄せて今度はヴェルーナが相手の首横を狙って突きを繰り出す。
相手はぎょっとして、即座に後退する。
相手が立て直す前に追撃するため、ヴェルーナは踏み込んだが思うように身体が動かない。
たったあれだけの動きであるというのに、短剣とは全く違う獲物の負担が思っていたよりも重くヴェルーナにかかる。
それでもそれを悟られるわけにはいかない。
そう思って、踏み込んだ勢いのまま上半身だけをひねって上段からの振り落としをした。ヴェルーナの筋肉は悲鳴をあげ、腰が軋むがお構いなしだ。
しかし、相手もそう何度もやられる程生半可に剣を握ってきてはいない。
ヴェルーナの弱体は察していないが、それでも隙が多いことに気づいたのだろう。空間を縫うように腕が通り、剣が鋭く滑る。
見事手元に近い剣の腹に当てられ、柄が剣から離れそうになるが寸でのところで堪えて今度こそ体勢を立て直す。
今度はヴェルーナが防御する側となった。流し、躱しながらもじりじりと後ろへ足が動く。
このままでは場外となり、負けることになる。
それだけは嫌だった。
「…っ、やああっ」
相手が横切りを繰り出した瞬間、ヴェルーナは左下から思いっきり右上へと剣を走らせた。
強い力でぶつかりあった剣からびりびりと振動が腕に伝わり限界を迎えようとしている筋肉を刺激する。声に出したいくらい、痛みが襲ってきたがそんなことを気にしてはいられなかった。
鍔迫り合いになり、均衡状態となる。そうなれば有利なのは向こうの方だ。
負けたくない。負けられない。
純粋にそれだけだった。
「はっ」
相手が力強く唾を引き下げると、不意をつかれたヴェルーナは前のめりになる。その瞬間を狙われた。
相手の剣が、至近距離から上へと振り上げられヴェルーナの身体は為すすべもなく浮き上がった。
このまま、地面に落ちて負ける。そう確信した。
しかし、ヴェルーナを受け止めたのは固い土ではなく、広く僅かに固いものの柔らかさを持つ誰かの胸だった。
それが誰なのか理解する前に、その手がヴェルーナの腕から剣へ握る手へと這わされそのまま拳ごと上へ勢いよく持ち上げた。
低く大きく、木剣の音が響きどすっと相手の木剣が持ち主から離れ地面に刺さったのが視界の端でわかった。
そして飛んだ剣が相手の剣であること、自分を受け止めた人間が誰なのかも。
「…俺がいない間に事を起こすとは、いい度胸だなお前ら」
「ゲ、ゲーティス…」
「だ、だ、団長…!」
ヴェルーナの肩を抱きながら、剣を取り上げたのは紛れもなくゲーティスだった。それも、ブチ切れ状態というおまけがついたゲーティスだ。
手に力こそこもっていないものの、その声の低さから彼がどれほど怒っているか想像に難くない。
ヴェルーナ以上に顔面を蒼白させている騎士は何も言えず口をパクパクとさせるだけだった。
永遠にも感じられる一拍を置いたあと、草木を吹き飛ばす怒声がヴェルーナの鼓膜を揺らした。
「お前らは俺が不在の僅かな時間すら大人しくしていることもできないのか!もしどちらか一方でも怪我をしてみろ、今さきほどまで必死になって他の団長どもを説き伏せてきた俺の苦労と疲弊をすべて帳消しにするほどの面倒事が俺を待っているんだぞ!第一、騎士がそう簡単に剣の実力をひけらかすな!その軽率さが任務での油断を招き、団へ迷惑がかかるんだぞ、団員である自分が損なわれたときの損失がどれほどのものか理解していないのか!」
まさに烈火の如し、だ。
獣を追い詰めるときとは違う、燃え盛るゲーティスの怒りの炎に慄くしかない。
大地を揺らしていると言っても過言ではないゲーティスの説教を止めたのは、ジャックだった。
「まあまあ。そのヘンにしときましょうよ。しっかり止めなかった俺にも責任はあるし」
「ジャック!そもそも、何故お前がいながらこんなことになっている!何のためにお前に任せたと思って―」
「す、すみませんでした団長!」
ゲーティスの怒りの矛先がジャックに向きかけたとき、それを遮ったのは今しがたまで相手をしていた騎士だった。
頭を下げ、九十度まで腰を曲げた姿勢に流石のゲーティスも口を閉じる。
「お、俺が勝手な真似をして新人に、その子に勝負を仕掛けたんです!俺が悪かったんです!申し訳ございませんっ」