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アネモネの言霊   作者: 水無月 桜黒
第一章 黒騎士と盗賊
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 木の上で一息ついた突如、下から音が耳に届くよりも速く蔦がヴェルーナめがけ放たれた。

 反応する間もなく容赦ない力で地面に叩きつけられる。

 蔦はまるで生きているかのようにヴェルーナをぎちぎちと締め上げていく。

 よく見れば蔦には魔術がかかっている証である、微かな緑の光をまとっていた。

 と、いうことはつまり。


「予想以上に逃げ回ってくれたな。おかげで楽しめたが、俺もいい加減仕事をしなくちゃいけないんでね。逃げ場だけは予想通りで助かったよ」


 この男、腹立つ。

 ヴェルーナは直感的にそう思った。

 人を食った物言いと高慢な態度、何事もないようにしている癖に蔦の力を緩めようともしない。


「…しかし、その前に一つ確認しなきゃいけないことがある」


 その、打って変わって無機質になった声色にたらりと汗が背中を伝った感覚がした。

 感情を捨てた瞳に映っている自分の顔は、どのようになっているだろうか。

 一歩、また一歩と男が接近してくる毎にヴェルーナの感覚は鋭敏になっていった。


 目は恐ろしい程冴え月明かりの青白い世界が爛々と輝いているように見える。草木の青い匂いが鼻をくすぐり、肺を満たしていくことすらわかる。そして耳は、ブーツが草を踏む音男の呼吸、木々のざわつき、どこかにいる獣の息遣いまでを聞き取っている。

 まるで自分が別の生き物に支配されていくようだった。


 男はゆっくりと腕を上げ、ヴェルーナへ手を伸ばした。

 その指先がついに仮面に触れようとしたとき、ヴェルーナの五感全てが弾け飛んだ。


「『触るな』!!」


 それは、響いたなんて甘いものではなかった。

 空気全てを震わせ歪め混ぜて濁らす。

 鼓膜を通り過ぎ脳に直接働きかけてくるその“言葉”に、男は石像のごとく動きを止めた。瞬きすらすることができないようだった。

 ヴェルーナといえば、そんな男を観察する余裕すらなかった。

 ふーっふーっと酸素を吸うことすらままならない、まさしく獣のように目が光り魔力によって起きた風が髪や服を吹き上げていた。

 もはや理性を有する人間ではなくなろうとしている。

 視界が闇に侵食され音も匂いも男の顔も呑まれていく中、ヴェルーナの意識は途切れた。










 冷たい。あと固い。

 泥のような闇から浮き上がってきたヴェルーナが感じたものは、まずそれだった。

 ぼやける視界が徐々にはっきりしていくと、石畳が見える。どうやら自分はこの上に寝転がっているらしい。

 ゆっくり身体を起こすと、筋肉が悲鳴を上げ思わず呻いた。

 痛い。とにかく痛い。今まであったどんな筋肉痛よりも痛い。なんだったら、怪我をしているだろうところも痛い。


「ん…?怪我…?」


 よく見れば手首や足首、至る所に包帯や手当がされていた。 

 どう考えたって、あの男と対峙したときの怪我だろう。そう思うとぐつぐつと怒りが沸いてきた。

 それに、なんと絶望的なことだろう。仮面がなくなっていた。マントは着ているが、寝ているうちに着崩れたのかフードは外れ長い髪があらわとなっている。

 これでは女であることは明白で、言い訳などできないだろう。


「あのクソ男…!」

「お褒めに預かり光栄だな」

「うわあ!?」


 憎しみを込めた言葉にまさか返答があるとは思わず、素っ頓狂な叫び声をあげる。

 顔を上げると昨日の黒騎士が、鉄格子越しにこちらを呆れ顔で見ていた。

 鉄格子、というものに今頃気づきヴェルーナは周りを見渡した。

 そこは紛う事なき牢屋で、閉じ込められているのは自分だった。


「ここは…」

「王都の王立騎士団本部だ。随分寝てくれていたからな、何事もなく移動出来た」

「王都!?」


 まさか、いつの間に街から出ていたとは。

 旅人人生の中でも、ヴェルーナは王都に入ったことがなかった。

 混乱するヴェルーナをよそに黒騎士は向かいの鉄格子に背中を預け腕を組んだ。


「あんだけいろんなとこのお偉いさんを引っ掻き回していたんだ。支部に置いとくには、荷が重い」


 その判断は至極真っ当であるとヴェルーナも考えていた。

 平民から見れば英雄でも貴族から見てみれば、立派な犯罪者だ。そして貴族は平民よりも権力が強く、主張の価値があった。

 故に、ようやく捕まえた盗賊を放置するとは到底思えなかった。


「それで?処刑でもする?貴族に対する反逆行為だものね、さっさと始末したいんじゃない?」

「そう死に急ぐなよ、お嬢さん。俺達からしてみれば、むしろあんたの活躍はありがたいものだった」


 どこまでも舐め腐った態度が癪に障ったが、ひとまず視線で先を促す。


「お前が盗みに入った貴族は軒並み、黒い噂があった奴らだ。お前からしたら平民を苦しめる奴をとっちめる程度だったかもしれないが、俺達からしてみれば盗みの調査ついでに屋敷の中を探れる絶好の機会になったわけだ。おかげで大人しく素直に探られた奴らはお縄になり、調査を拒んだ奴らにはなにかよからぬことがあるのではと真っ向から疑うことが出来たわけだ、加えて」

 

そこで区切ると男は懐から書類の束を取り出した。

 あれは、ヴェルーナが盗み出したアンザスの悪行が綴られた書類だ。いつの間に取られていたのだろう。


「ここに書かれている内容はすべて、俺達が極秘に探りを入れていたアンザスの裏を暴いてくれている。アンザスの筆跡まで残されているんじゃあ、もう言い訳は出来ない。本当にいい仕事してくれたぜ」

 

 微塵も褒められた気がしない。

 だが、自分の行いが然るべき結末に行き着いたことの安堵の方が大きかった。

 アンザスの悪行を暴けたのならば、目的はすべて達成出来たと言えるだろう。


「それじゃあ、あの時あんたがあの屋敷にいたのって…」

「ああ。相次ぐ盗賊被害に怯えたアンザスを逆手にとって屋敷の警護、という名目の元俺が探りを入れていた。まあ、俺が見つけ出すよりも早くお前が手に入れたけどな」


 なんと不運なことか。

 それではあのときこの男と出会ったのはまったくの偶然ということだ。

 盗みに入る家のことは徹底的に調べるのがヴェルーナの仕事でのポリシーであるのに、一体どこでこんな最重要情報を見逃したのだろうと過去の自分に頭を抱えた。

 最も、この男のことだから情報管理は鉄壁の守りであっただろうが。


「…という訳で、だ。お前の功労に免じて一つ提案がある。これを呑めば、お前の身の安全は保証される」

「…呑まなければ?」

「まあ勿論、反逆罪で刑罰対象だな。良くて禁錮刑、貴族の判断次第じゃ処刑される」

 

 それはヴェルーナにとって、困ったことになってしまう。

 先程は虚勢を張って処刑など怖くないという態度をとったが、ヴェルーナはこんなところで足止めを食らうわけにはいかないのだ。

 自分が今旅をしている本当の目的を果たすまでは、死ぬわけにはいかない。

 沈黙を交渉の余地ありと受け取った男は、まっすぐにヴェルーナの瞳を見つめる。


黒騎士団(うち)に来い、言霊使い」


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