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貴族を荒らしに荒らしまくってくれた件の盗賊が、実は自分の恩人で主君にも等しい人物の愛娘だったなんて誰が予想出来ただろうか。
ヴェルーナを騎士団本部へ連行する間、ゲーティスは必死に策を練った。本来ならこのまま処刑されるところをどうにかこうにか切り抜けてかつ手元に置いておけるような妙案をひたすら馬車の中で考え、ようやく出た答えがヴェルーナを騎士見習いとして黒騎士団に引き入れるという案だった。
我ながら随分こじつけた理由だとは思ったが、ヴェルーナにもヴェルーナでどうしても生きなければいけない理由がありそこを突っ込まれることはなかった。実際、ヴェルーナのおかげで悪事を暴くことができたので概ね間違ってはいないが。
その後も随分と奔走した。
ヴェルーナが盗賊だとおいそれと公表するわけにはいかない。ただでさえ、貴族だけで構成されている組織でそんなことがわかれば猛然と避難を浴びるだろう。
そうしてまた考えて、結果黒騎士団の面々と騎士団団長達にだけ盗賊であることを告げることにした。ある程度事情を知っている人間はいた方がいいし、黒騎士団の面々がそんなことを一々気にするとは思えない。まさか、初日から嬉しさのあまり新人いじめに近しいことをするとは思わなかったが。
団長の説得には骨が折れた。
カルヴァとグレタは割とすぐに賛成してくれた。グレタとしては女性で人のために盗賊までやってのけたヴェルーナをとても賞賛していて自分のところに引き入れたがっていたほどだ。問題はローガンだった。
「容易には認められん。どれほど悪事の検挙に功績を残したとしても立派な不法侵入に窃盗罪だ。万が一、犯罪者を騎士団に入団させた等と広まってみたまえ。騎士団の信頼が地に堕ちるどころではなくなるぞ」
「そのために今団長会議で上げているんだろうが。腕は確かだし、本人も善悪の区別くらいついている。あいつのおかげで本来なら後回しにされていたかもしれない案件がいくつも上がってきたんだぞ。充分情状酌量の余地はある」
そんなやり取りを幾度も幾度も繰り返し、ついにあの頑固者のローガンが白旗を振った時には思わず拳を握ったほどだ。
さあ、準備は整った。
あとは彼女を舞台に乗せるだけでいい。
自分は彼女を舞台に乗せるためにお膳立てをするだけのモブキャラクターで、彼女はこの物語の主役だ。
これでようやく長年の恩を返せると思った。
「誕生日も名前も知らなかったのか」
「うん、だって捨てられたんだし。師匠に拾われたときに師匠が全部くれた。だから、本当のことなんて知らなくていいんだけどね」
一つ、面倒なことがあった。
それは、彼女が自分は拐われたのではなく捨てられたのだと思っていることだ。
そうじゃない、お前は拐われたんだ。何度彼女に言おうと思ったことか。
「…本当の親に会いたくないのか」
「会いたくないし知りたくない。貴族のせいで色んな人が苦しんできたのを見てきたから、貴族は嫌いだし。それにその人達は娘だって捨てたんだから、会ったところで多分恨み言しか出ないよ。だから会わない。私を育ててくれたのは師匠で、私の親も師匠だよ」
ヴェルーナの話に度々登場する、師匠と呼ばれる男はかなり胡散臭く感じられた。
名前も知らない、と言っていたが彼女の名前は正真正銘彼女が誕生するときに贈られたものだ。年齢も一致している。突然現れたというが彼女の両親が貴族だということも知っていた。知っていて、なにも教えていなかった。
この上なく怪しい。もしかしたら、彼女を拐った犯人と関連があるのかもしれない。あるいは…。
さらに不信感を抱く一件として、ヴェルーナがジャックを突然襲ったこともあった。
「…その短剣を抜いて、とんでもない速さで的確に急所を狙ってきた。正気に返ったら自分が何をしていたか覚えていないし、衝動に駆られてとうわけでもなさそうです。一応短剣は取り上げておきました」
「力のことに触れた途端に…か。しかも本人は覚えていない。なにか裏があるんだろう。引き続き、監視を続けてくれ」
「……わぁってますよ」
そう疑ったならば、まだ彼女の両親の元へ還すには早い。まだしばらく彼女を自由にさせておく必要がある。
ジャックを監視につけて、授業としてヴェルーナに魔術を身につけさせ力を安定させた。万が一、力が暴走してヴェルーナが言霊使いだと露見すればそれこそ面倒だ。
初めはそう、すべて目的のためだった。
恩を返すため、主人の願いを叶えるため、そして何よりアクインの名を継ぐに相応しい人間だと周りに認めさせ有無を言わせない地位を手に入れるため。すべて私利私欲のための行動だった。そのはずだったのに。
エーリーやジャック、黒騎士団の団員と笑顔を浮かべたり適当にからかうとすぐに顔を赤くして反発してきたりしてそのくせ授業で褒めるとふにゃりと幼く笑うのだ。本人には自覚がないだろうがそれはまるで陽の光のような暖かい、柔らかな笑みなのだ。
絆されていると、自分でも思った。
一途に己の正義を持って下っ端騎士に丸腰で向かっていったところを見たときは、心臓が止まるかと思うほど焦った。するりと出た信じているの言葉に、泣きそうに顔を歪めたときも胸が締め付けられた。
(俺は…これでいいのか。このままあの娘の心を利用するだけして、あとは捨て置くつもりのままでいいのか)
ゲーティスがそんな葛藤を抱いているなどとは露知らず、彼女が語った過去はゲーティスが想定していたよりも過酷なものだった。
化け物と言われ、誰かを傷つける自分を恐れ、そして自分を恐れた人間に傷つけられた。人間不信にだってなる。そしてその不信は、自分をそんな目に合わした第一人者の両親へ向けられている。
(俺もいつか…)
恨まれるのだろう。
あのルビーの瞳で射殺すほどの憎しみを持って自分を糾弾するだろう。その程度は甘んじて受けるつもりだ。そうされても仕方ない、そうする権利が彼女にはある。
今まで彼女の世界は、彼女を育ててくれた師匠と唯一の友人だった白鴉だけだった。
そして与えられた新しい世界は、彼女にとってあまりにも暖かくて離れがたい、大事なものになってしまった。
そんな想いを抱かせてしまったことに今更ながら罪悪感が生まれる。
あんな平穏を与えなければ、あの娘は現実を目の前にして自分だけを恨み彼女自身が傷つくことなんてなかったのに。
それでももう、舞台の幕は上がろうとしてしまっている。引き下がることは出来ない。そう確信したのは、あの招待状が届いたときだ。