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アネモネの言霊   作者: 水無月 桜黒
第三章 疑惑と思惑
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「…半年前、国立保護施設から五人の言霊使いが脱走した」

「脱走…!?」


 脱走とは穏やかではない。

 それも、国立保護施設からの脱走とはどう考えてもただ事ではない。

 国立保護施設は、国内で発見された言霊使い達が自分達の力をコントロールするためそしてその希少な力を守るために作られた施設だ。

 しかし、実際のところどこにあるのか、何をしているのか、そこに暮らしている人達がどんな風に過ごしているのか、国民のほとんどが知る由もないのだ。


『国は保護すると言っているが、言い方を変えりゃあ体のいい飼い殺しだ。それこそ貴族みたいなしっかりとした後ろ盾がない人間なんか、死ぬまで保護施設にいる場合だってある』


 かつてゲーティスが言っていた言葉を思い出す。

 体のいい飼い殺し。保護施設に入った者の安否。誰も何も知らないことだ。


「そこからまたしばらく立ち、数ヶ月前には三人、この一ヶ月では二人脱走している。どれだけ警備を固めていても必ずその網目をくぐって行ってしまうせいで、騎士団にもついに警備要請が下された。しばらくのうちは我々団長間での話だったのだが、そうも言ってはいられないほど事が大きくなってきたのだよ」


 静かな声で説明をするローガンですら少しの疲れが滲んでいる。


 魔物に脱走。


 ゲーティスが忙しかったのはこれが原因だったのだ。

 魔物はともかく言霊使いの件は国家機密と言ってもいい。それ故に頻繁に開かれる団長会議と団長としての執務、魔物対処への黒騎士団の役振りなどやらなければいけないことは山ほどある。

 加えて、カルヴァをはじめとした他の団長はヴェルーナが言霊使いであることを知らないためそれを隠す手回しにも労力は使われたはずだ。ゲーティスは様々なことを抱えながら、過剰すぎるほどに働いていたのだ。


「結局、どんなに俺達が頭を捻っても保護施設は騎士団ではなく国王直属の私設部隊によって仕切られてしまっているんだ。騎士団でどうこうしろって言われてもなんにもわからない状態で、無茶振りにもほどがあったんだが街に出たとなれば事態は変わってくるぞ」


 そう言ったカルヴァは嬉しそう、というよりも好戦的な肉食獣を連想させるような笑みを浮かべている。

 ローガンは無表情だが、事態の進展を快くは思っているようだ。


「至急団長を招集する必要があるな。その後国王陛下に報告すべきことをまとめなければ。君はアクインを呼んできたまえ。どんな仕事に手をつけていても必ず連れてこい。いいな」

「は、はい!」


 自分の団の上司に命令されるよりも大きな声で返答し、大急ぎでカルヴァの執務室をあとにする。本当に、あのモノクルをした氷帝の男は苦手だ。





今度こそ咎められるだろう速度で廊下を渡り、ゲーティスの執務室についたときにはもう息も絶え絶えとなっていた。


「んー…体力落ちたのかな…毎日ちゃんと鍛錬してるのになぁ」


 なんて、どうでもいいことをぼやきながら扉に手をかける。自分のところの上司だからとノックすることを失念していたが、まあそんなに重要なことでもないだろう。

 そう思って、扉を開けたのだ。



「――あの子はあんた達の都合のいい人形じゃない!」



 激しい怒号と共に目に飛び込んできたのは、今にも斬りかかりそうに剣先を突きつけているジャックと魔術を発動する構えを取ったゲーティスのまさに一触即発の光景だった。

 信じられないそれに言葉を失う。


 ジャックは今まで見たこともない殺気がみなぎる眼でゲーティスを睨みつけている。怒号もジャックのものだった。怒り狂っている、その空気でヴェルーナの肌が粟立った。

 対するゲーティスも、殺気とはいかなくとも剣呑な気配を隠そうともせずに放ち右手で今すぐ魔術を発動することが出来るように戦闘態勢となっている。冴え渡る瞳はキツく細められつり上がって、眉間には深い谷が浮かんでしまっている。

 立っているだけで精一杯なこの場で、ヴェルーナは無意識に身体を震わせた。


「―…ぁ」

「っ!?」


 ヴェルーナが必死になって吐き出した息で、ようやく第三者が現れたことに気がついた二人はこれ以上ないくらいに焦った顔でヴェルーナを振り返った。


「ヴェル、」

「ヴェルーナ、どうしたの。なにか、急ぎの用?」


 ジャックの問いかけに、ようやくここに来た本来の目的を思い出す。

 剣を収め、何事もなかったかのように話すジャックの声にはまだ少し棘が残っていた。


「あ、あのね…今日の巡回での件で団長会議を開くから至急来るようにってローガン団長から…」

「ああ、エーリーから報告があった。わかった、行ってくる。悪いが、あとの業務は任せたぞジャック」


 そう言うとゲーティスは平淡な声で了承し、そのままヴェルーナの脇を抜けて出て行ってしまった。

 目は、合わなかった。


「ジャック、あの」

「ヴェルーナ、今のどこまで聞いてた」


 ジャックの態度は今までになく冷たかった。

 それに怯えるヴェルーナに目をやり、肩をすくめて小さく笑うと頭にぽんっと手を置く。


「…ごめんね。怖がらせたかったわけじゃないんだ。俺もちょっとイライラしていてさ」


 優しい笑顔はいつもヴェルーナに見せるジャックの姿だ。


「ううん、私も勝手に入ってごめん…ジャックとゲーティスが喧嘩しているとこ、初めて見た」


 ゲーティスの無茶振りにジャックが軽い文句を言いながら引き受けている、もしくはジャックの冗談にゲーティスが振り回されて最終的にゲーティスがため息をついて諦めるところばかりいつも見ていた。

 ゲーティスとジャックは少し、不思議な関係をしている。

 ゲーティスが上司であるのは絶対なのだが、ジャックはそれよりもゲーティスに近い距離にいる気がする。かといって親友とかその類の距離といえばそうではなく、近くではあるのに見えない壁がそこにそびえているのだ。意識的にお互い手を伸ばさないようにしている。つかず離れず、遠からず近からず。


「喧嘩、ね…あの人は俺のことなんか、相手にもしちゃくれないよ。昔から力技でも舌戦でも勝てたことがない。それどころかわざと手加減されたことだってある」

「昔から…って、ジャックとゲーティスっていつからの付き合いなの?」

「いつから、というか…まあ腐れ縁みたいなもんだよ。あの人はどうだか知らないけど、俺はそうだと思っている」


 濁しながらもそう語るジャックは疲れたような、少し寂しそうな表情をしていた。

 あからさまにごまかされてもそれを深く掘り下げる気は起きなかった。

 ジャックの瞳に、ゲーティスに対する諦めともう一つ何か悲しい色をしてものを見つけてしまってはこれ以上は何も言えなかった。


「じゃあ俺、ちょっと外出てくるからヴェルーナは皆と合流して。訓練場にいるはずだから、報告書はそのあとでいいよ」


 そう言ってジャックはもう一度ヴェルーナの頭を撫でて、部屋を出て行ってしまった。

 扉の閉まる音だけが大きく部屋に響いた。


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