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しばし騒ぎながらではあるが、街を巡回しエーリーに手本を見せるため積極的に人々に話しかけていく。そうして話を広げていけば、思わぬ情報を手に入れることがあるのだ。これも盗賊業をしていたときに身につけたものである。
「最近万引きが増えている?」
「そうなのよぉ。しょっちゅう、ってほどじゃないんだけどね、時たましていく人がいるのよ。もしかしてこのあたりを住処にしている路上暮らしかと思ったんだけど、どうやらそうじゃないらしいの」
八百屋の女将と話しているときに、不意に寄せられた情報にエーリーと二人で顔を見合わせる。
まだ聞いたことのない話だ。
「このあたりで見る顔じゃないし、着ている服がちゃんとしたものなんですって。あたしは直接見たわけじゃないけど、前にやられたパン屋さんがとっつかまえたときに気づいたらしいんだ。なんかやたら身なりがきちんとしているし、ほっそりとしていたから最初は貴族かなんかだと思ったらしいよ」
身なりがちゃんとしていて、ほっそりとしている。つまりあまり筋肉質ではないとか、不健康な感じではなかったということだろうか。
「その捕まえた人は?衛兵に連れて行かれたんですか?」
「それがねぇ。不思議な話なんだけど、捕まえて縄をかけようってしたまではいいんだけど急に暴れだして、抑えようとしたらパン屋のご主人いきなり倒れちゃったんですって!その場にいた人もなにが起きたのかわからなくて、ぼーっとしてたら逃げちゃったみたい」
「いきなり、ですか?」
雲行きが怪しくなった話にエーリーが眉を顰める。
どうしてだろう、ただの事件ではない気がする。
「ご主人が言うには、暴れだした途端頭が痛くなったらしいのよ」
「偏頭痛かなにか…タイミングが悪かったんでしょうか」
「いやどうもそうじゃねぇらしい」
話に口を挟んだのは、店の奥から出てきた八百屋の主人だ。
険しい顔をして、低い声で唸りながら事の顛末を語りだす。
「あいつが言うには、暴れだした時に奇声みたいな、とにかく声を発したらしい。『離せ』とかそんな言葉だったらしいんだが、上手く聞き取れなかったみたいだ。なんでかって聞いたらあいつには、声がブレて聞こえていたんだと。だからなんて言ってるかわかんなかったってさ。ただ、その妙な声を聞いた瞬間、頭ん中がぐっちゃぐちゃに掻き回されたみたいになって身体がいうことをきかなくなっちまって、それから気を失ったって」
ヴェルーナはガツンと殴られたような衝撃に襲われた。
その現象を、ヴェルーナは知っている。己の身を持って、幼い頃から知っている。
「パン屋のご主人は、大丈夫だったんですか?」
「ああ、そのあとすぐに目を覚ました。けど、倒れたときに打ち所が悪かったのか足が動かなくなっちまったんだ。なんか、重い鎖に縛られているみたいなんだと。おかげで、パン屋を続けるのが難しくなっているらしい」
エーリーと八百屋の主人との会話を遠くに聞きながら、ヴェルーナは必死に頭を動かす。
間違いない、その万引きした犯人は言霊使いだ。
詳しいことはヴェルーナにはわからない。
きっとゲーティスや魔術に長けているグレタならわかるだろう。どっちにしろ、ここだけの話にしておくには重すぎる。団長クラスの人間に話すのが妥当だ。
エーリーもそう判断したのか、夫妻に丁寧にお礼を言ったあと急ぎ足で本部へと戻った。
「ひとまず団長に報告しなければ。これは僕達の手には負えません」
「それじゃあ私、カルヴァ団長のところへ報告に行く。警備担当は紅騎士団だから、今後の防犯対策も考えてくれるかもしれないし」
「そうですね、そうした方が早いでしょう。ヴェルーナ、お願いします」
元々、紅騎士団の仕事を請け負っているわけでカルヴァかオリッヅに報告にいかなければならなかったのだ。それなら、多少付き合いがあるヴェルーナの方が適任で、エーリーもそう判断しヴェルーナを残して執務室へ去っていった。
本部を咎められない程度の速度で可能な限り早足で移動する。
どうにも落ち着いていられなかった。
十中八九言霊使いによる事件。どうにもそれが他人事ではない気がするのだ。
妙な胸騒ぎを抱え、赤みがかった重厚な扉をノックし入室の許可を伺う。
「…おや、ヴェルーナさん。そんなに急いで、いかがされたのです」
扉を開けまず出迎えたのは、案の定オリッヅだ。
「すいません、あの…巡回中に気になることがあってその報告をしにきたんです」
「気になること?」
「おい、オリッヅ。誰が来た」
そのまま要件を聞こうとしたオリッヅだが、部屋の奥から投げかけられた声にちらりと目線をやりヴェルーナを中へ向かい入れた。
「失礼します…ってロ、ローガン団長…」
てっきり部屋にはカルヴァとオリッヅだけだと思っていたのに、思ってもみなかった先客がそこにいた。
執務椅子に腰を下ろしているカルヴァの前に、一本の剣がごとく凛々しく佇んでいるのは瑠璃騎士団団長カミル・ローガンその人だ。モノクルをし、その知識量の深さや品が良いとわかる仕草は一見騎士よりも学者に見える。
手を後ろに組みこちらに向ける視線はいつも通り冷たい。これだけで凍えそうだ。
正直、ヴェルーナはローガンが苦手だった。
「あの、お取り込み中だったらすいません。出直します」
「いや、いい。ちょうど私の用件も済んだところだ。アクインのところの小間使いが息を切らしながら訪ねてくるというのも珍しいものだな」
モノクル越しから放たれる容赦ない視線がとてつもなく痛い。
これはこの場で言わないと解放されない雰囲気だ。
この空気に気づいているのかいないのか、カルヴァはにこやかなままだ。
「それで、ヴェルーナ。急いで来た用件とはどうしたのだ」
「…巡回中に気になる情報を入手しました。先に知らせておいた方がいいと思ったので」
そう前置きして、ヴェルーナは先ほど聞いた話を余さず報告した。その最中、ローガンも真剣に聞いていたので緊張感は笑えないほど高まっていたが。
最後に影響を受けたパン屋の主人が下半身不随になったことを伝え口を閉じると、二人はひどく顔を曇らせて押し黙った。
「…まさか、このタイミングでこの話が上がってくるとはな。どう思う、ローガン」
「偶然、ではなかろう。ここまでの事態に発展してしまっている中、まだ王都にいたとは考え難いが有り得ない話でもない。偶然と捉える方が無理だろう」
重々しい応酬の中、ヴェルーナが口を挟めることも出来ない。
ただ二人の反応が気になった。
言霊使いによる事件を深刻に捉えてはいるが、どうやら他にも懸念すべきことがあるらしい。
「………あの」
「……おや、まだいたのか。主人のところへ戻らなくてはいいのか」
ついに耐え切れずに遠慮がちに口を開いたヴェルーナに、本当に今そこにいた事に気が付いたらしいローガンが氷でも吹きかけられているのではないかというほど冷たい声を浴びせる。
「なんかすいません…それより今回の件がなにかと関係があるんですか?」
「………アクインからは、まあ何も聞いてないよな」
思わず素で謝ってしまったが、気になっていることを問うた。
不自然なほど間を空けてカルヴァは答えたが、それは答えとは言い難く余計にヴェルーナを混乱させる。
「いいのではないか。今聞かずともいずれ近いうちに全団員に知れ渡るのだ。言う人間と場所に相違があるだけで、何の問題もあるまい」
「お前な、そういうことじゃないんだ。確かにそうなんだが、こう…ってお前に言ってもわからんわな」
やれやれ、と変わらずストレートな物言いをするローガンに肩を落としたカルヴァは視線を上げ、ヴェルーナと目を合わせた。