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「…ヴェルーナ」
ゲーティスの声は少し疲れているように感じた。
ゲーティスの横にフラフラと覚束無い足取りで立つ。
先ほどまでのダンスの高揚感など忘れ、手足がどんどんと冷えていっていくのを感じた。
「ちょうどいい。こちらが、今回のパーティーを主催された現国王の御子息、第二王子の、ザクリア公爵ご夫妻だ」
ゲーティスの紹介すら耳に入らないほど、ヴェルーナは目の前の男女に目を奪われていた。
ザクリア公爵は今年で四十半ばだと聞いていたが、そうは見えないほど凛々しく厳格さがにじみ出る瞳をしていて、衣装に包まれた身体はがっしりと逞しかった。
公爵夫人は、穏やかに微笑んでいるが儚さよりも咲き誇る大輪の花のように華やかだ。伸びた背筋は鋼でも入っているのかと思うほど美しい。頭からつま先まで気品に満ちている。
公爵は、燃えるような紅の髪をしていた。
ヴェルーナと同じようで、彼女よりも濃い赤。
自分を見つめる夫人のワインレッドの瞳は、自分とよく似た色だ。
目元、鼻、口元、髪の色、瞳の色、顔の輪郭。
何も言われずとも、悟った。
この人達が―
(私の、両親…)
脳天を貫かれたような激しい痛みがヴェルーナを襲った。
頭から一気に突き刺され、一歩も動くことが出来ない。
周囲の音が遠ざかっていく。
ぐるぐると回る視界の中で、二人の姿だけがはっきりと浮かんでいた。
「ヴェルーナ、どうし―」
「っ!」
ゲーティスの伸ばされた腕をするりとくぐり抜け、ヴェルーナは無我夢中でその場から逃げ出した。
ただひたすら、ひと目から逃れたかった。
己の持つこの色が、何を示すかわかってしまった。
ここに来て異様なほどに視線を浴びる理由も、こそこそと噂をされる訳も。
「…はあっ、はあ…」
気づけば会場を離れ、人気のない裏庭へと抜けていた。
虫の声と噴水の音、風に揺れる木々のざわめきだけが満たすこの場所には広間の喧騒など届くわけがない。
誰もいない、暗闇。
そういえば、前にもこんな状況があった。
暗闇の中自分とゲーティスは出会い、そしてゲーティスから逃げることに必死だったあの時。
「…見つけた」
「…っ!」
その声に肩が大きく揺れる。
ゆっくりと後ろを振り返ると、走ってきたのだろうか、髪をわずかに乱し息を切らしているゲーティスがそこにいた。
つかつかと躊躇いなくヴェルーナの前に立ちふさがり、あっという間に腕を握られた。
「慌てるのもわかるが、俺の話を聞け。あの人達は―」
「いや、聞きたくない!離してよ!」
「おい、落ち着けって!気づいたんだろ!あの二人が」
それ以上言葉を続けさせまいと身体を捻って、死に物狂いで抵抗するが動きにくいドレスと元々の体格差のせいで即座に押さえ込まれてしまった。
それでもその先だけは聞きたくなくて、目を固く閉じゲーティスから少しでも距離を置こうと身を引く。
それすら許さないゲーティスはヴェルーナの腕を強く引いて、顎を掬って無理やりに視線を合わせた。
「…っく、なんで、よ…!なんで、今更…!」
みるみるうちに薄い涙の膜がヴェルーナの視界を覆って、声がかすれる。
自分が生きてきた中で、最も知りたくなった事実がこんなにもあっさり暴かれてしまった。
知りたいなんて、思ったことすらない。
むしろ知りたくなかった。
自分を捨てた親など、他の人間と同じように自分を忌み嫌った親のことなど知りたくもなかった。
親はいない。
自分にとっての家族は師匠と白鴉のネッピだけだ。
そう思って、生きてきたのに。
それでよかったのに。
「なんで今更、私の前に現れるのよ!私のことを捨てた癖に、嫌った癖に!」
「落ち着け。お前は知らないんだ、本当のことを。真実が見えていない。だから俺の話を聞け」
「しん、じつ…?」
真実とは、一体なんなのだろう。
ヴェルーナにはわからないそれを、ゲーティスは知っているのだとでもいうのだろうか。
呆気にとられて抵抗をやめたヴェルーナから身を離して、ゲーティスは静かに語りだした。
「…ヴェルーナ。お前は十三年前に誘拐された、第二王子殿下の娘だ」
「誘拐…?どういうこと?」
聞きなれない言葉だった。
誘拐とはどういうことだろうか。
自分は両親に捨てられたのではなかったのか。
「十八年前、ザクリア家に第二子となる女児が生まれた。胸に言霊使いの印を刻んだその子供は、家族と共に幸せに暮らしていた。だが、子供が五歳になった時。真夜中の闇と共に現れた何者かによって子供は誘拐され、それ以来行方が知れないままだった…」
何故それと自分が繋がるのだろうか。
誘拐、というのは物騒な話ではあるがヴェルーナの話とは結びつかない。華の刻印も、特殊な状況ではあるが世界に一つだけの限られた事象であるわけではない。
困惑するヴェルーナに、ゲーティスはさらに続けた。
「行方が知れず、誰によって攫われたかすらわからない中で娘を探す唯一の手がかりがあった。この国で限られた者しか持つことが出来ない手がかりだ」
「…まさか」
「赤は、王族に連なる者の証の色だ。お前の赤髪と瞳を見れば、わかる人間にはお前が王族関係者だと見破ることが出来る」
だから、行く先々でヴェルーナの容姿は注目されていたのだ。
王族をお目にかかる機会が早々ない田舎の平民達はともかく王都に出入りする商人や衛兵達が、ヴェルーナのことを物珍しそうに見ていたのはただ単に赤髪が珍しいのではなく王族の色であったからなのだ。
そこでふと、ヴェルーナはあることに気がついてしまった。
「…それじゃあ、ゲーティスは最初から私が何者なのか、わかっていたの」
「……」
ゲーティスは答えなかった。それが何よりの証拠だった。
ゲーティスはヴェルーナが王族に連なる者だと知っていて、自分の傍に置いた。
あまつさえ、こんな場所にまで連れてきている。
ゲーティスの狙いがなんなのか、ヴェルーナにはわからなかった。
「…ゲーティス、あなたの目的はなんなの。何のために私を騎士団に入れたの。言霊使いの保護といっていたけど、私を手元に置いていた本当の理由はなに」
「……」
ゲーティスは尚口を開こうとしなかった。
「ゲーティス!」
「…ザクリア公爵夫妻は、俺の恩人なんだ」
ぽつり、とか細い声が漏れた。
ゲーティスからこんな弱々しい声が出るなんて思いもしなかった。