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アネモネの言霊   作者: 水無月 桜黒
第三章 疑惑と思惑
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 そんなことがありつつも、ついに来てしまったパーティー当日。

 前日からゲーティスの屋敷に滞在していたヴェルーナは朝から使用人達に、あれやこれや世話を焼かされていた。

 準備、と言われて昨夜は風呂で懇切丁寧に洗われたあとは入念に肌の手入れをされ指先を整えられ髪を梳かれただけでぐったりして泥のように眠ったのだが今朝はその比ではない。

 パーティーは夜と聞いているのだが、こんなに朝早くから準備しなければならないのか。ゲーティスも屋敷にいるはずだが姿は見えないし、不安なことこの上ない。


「ヴェルーナ様、レースの手袋をつけましょう。淑女は手元まで完璧でなければなりませんもの。タコだらけの手ではいけませんわ」

「ヴェルーナ様、イヤリングは如何ですか。赤い髪に映えるように瑪瑙を使ったものに致しましょう」

「御髪を整えますのでヴェルーナ様はこちらに座ってください。化粧も致しますので少しの間は動かないでくださいませ」


 次から次へ使用人が来てはヴェルーナを仕上げていく。

 それに対して、はいかわかりました、しか答えられないのでもうおしゃべり人形にでもなった気分だ。

 幾度か出入りしているうちに使用人とも話すようになったのだが、ここまで生き生きしているところは未だ見たことがなかった。


 一回だけ、身体にオイルを塗りたくってマッサージをされそうになったときくすぐったさに耐えかねてやんわりと拒否したらさらに笑顔で追い詰められたので主人に性格が似ているのかもしれない。

 昼を挟み、日が西へ傾き始めた頃ようやく全ての支度が整え終わり使用人達はやりきった顔で自分達の仕事っぷりを眺めた。

 当のヴェルーナは開いた口が塞がらない。


「こ、これが私…?本当に?」


 鏡に映っているのは、かつて平凡な村娘で盗賊だった騎士見習いヴェルーナではなかった。

 映っているのは一人の麗しき令嬢、一輪の花だった。

 アネモネ色の髪は複雑に結われ上げられて、耳には瑪瑙の石が煌めいている。手首から指先を覆う手袋は繊細なレースでそれだけで上品さを演出している。濃紺のドレスはヴェルーナの髪と瞳を際立たせていた。

 全てが煌めいてヴェルーナを彩っている。


 信じられない。

 その一言に尽きた。


 呆気に取られているとき、コンコンッと控えめに扉が叩かれた。

 使用人が扉を開けると、一人の女性がそこに立っていた。


「奥様!?」


 口々に驚愕の声を上げる使用人達に、ヴェルーナも目を見開いた。


 奥様、ということはこの女性がアクイン夫人。

 今まで会ったことがなかったのは、ゲーティスに頼まれていたからだ。

 身体の弱い母には出来るだけ会わずに、挨拶は侍女に言伝をしてくれと言われてからずっとそうしてきたので実際に顔を合わせるのは初めてなのだ。


 色素が薄い、かげろうのように儚い女性だと思った。

 肌は白く、さらりと流れる髪は白金色で瞳は透き通ったスカイブルー。深窓の姫君、とはまさに彼女のことだろう。

 そこで我に返ったヴェルーナは、慌てて膝を折り頭を下げる。


「あ、アクイン夫人。ご挨拶も申し上げず誠に申し訳ございません…」

「あらあら、そんなに畏まらないで。立ってその可愛いお顔をよく見せてくださいな」


 鈴音のような声に恐る恐る立ち上がり、目を合わせる。

 アクイン夫人は女神のような微笑みで佇んでいた。まるで一枚の宗教画のようだ。


「お会いするのは初めてね。初めまして、ゲーティスの母レティニアと申します。いつも息子がお世話になっています」

「あ、えっと、ヴェルーナです!お世話とかそんな…!」

「本当だな、世話してんのはどっちだか」


 ばっと扉の方に目を向けると開いた扉に寄りかかって腕を組んでいるゲーティスがいた。

 つかつかと近づくと、ヴェルーナを上から下までじっくりと観察する。


「……うん、馬子にも衣装」

「はあ!?あっ、すいません…!」


 思わずいつもの声量で吐き出してしまったが、病弱なアクイン夫人の前で出すものではなかったとヴェルーナは慌てた。

 しかし夫人は気にしていないどころか可笑しそうに手を口元に当てて笑っている。

 よかった、怒ってはいなそうだ。


「ふふ、聞いていた通り元気なお嬢さんなのね。この子、恥ずかしがり屋だから口は悪くなってしまうけどとても似合っているって褒めているのよ悪く思わないでね」

「母上、あまり余計なことは…」

「あら、余計なことではないわ。上手く伝えられない貴方の代わりに伝えたのよ。もちろん私も素敵だと思っているわ」


 どこまでもマイペースを貫く夫人に冷静を装いつつも動揺しているのがバレバレのゲーティスを見て、ヴェルーナは今度こそ驚愕した。

 ゲーティスよりもずっとか弱そうな女性に、大の男がたじたじになっているというのは滑稽すぎる。

 頑張って笑いをこらえたのだが、流石に気づいたらしく睨まれてしまった。

 なんとか話題をそらそうと咳払いしたゲーティスの顔は若干赤かったが、そこは突っ込まないのが良心というものだろう。


「それはそうと母上、起きていて大丈夫なのですか。あまり無理をされてはまた寝込みますよ」

「調子がいいからこうして挨拶に来られたのよ。それにせっかくヴェルーナさんが来てくださっているのに一度も顔を見せないなんて失礼でしょう」

「わ、私のことは気にしないでください!それよりも奥様はご自分のことを…」

「優しいのね、でも調子がいいのは本当なのよ」


 穏やかに微笑む夫人と少し困ったような顔で体調を気遣っているゲーティスの光景を、ヴェルーナはどこか遠くで見つめていた。


(これが、親子…)


 子は親を思い、親も子を思う。そこになんらかの思索などありはしない。


(私と師匠も、あんな感じなのかな…)


「ヴェルーナさん」

「は、はい!」


 優しくヴェルーナを呼ぶと、夫人はヴェルーナの手を取り優しく握った。

 レース越しに伝わる体温はわずかに低くとも、人の持つそれだ。


「この子は多くのことを背負って生きてきました。それはきっと今もこれからも変わることはないでしょう。その中で、この子自身が苦しむ決断をしなければいけないときが来るわ。そのときはどうか、この子の傍で支えてください。私はこの子を自分のお腹を痛めて産んだわけではないけれど、それでも愛しい私の息子よ。私と、家に縛られながらも一つの愛を貫いたあの人との、大事な宝物なの」


 柔らかく甘くて少し寂しそうで、けれど愛に満ちた言葉を夫人は囁いた。

 例え血が繋がっていなくともこの人はゲーティスの母で、ゲーティスも母と慈しんでいることがわかる。

 夫人の言葉に答えないことこそ、卑怯なことだ。


「…奥様。わ、私は未熟者なのでゲーティスの役に立てるのかわかりません。迷惑はお互い様だけど、私にはゲーティスが背負っているものとか全然知らなくて、だから私には何も出来ないと思うんです。…それでもいいんでしょうか」

「…ええ、いいのよ。ありがとう、ヴェルーナさん」


 その後しばらくすると夫人の侍女が迎えにあがり、彼女はたおやかに退室していった。最後まで陽光のような笑顔を絶やさず、決しておしゃべりではなかったがヴェルーナの気持ちをほぐす手伝いをしてくれていた。


「…優しい、素敵なお母さんだね」

「まあな。あんなに儚く見えてもアクインの荒波を乗り超えてきたんだ、根は相当図太いと思うぞ」


 そう揶揄っていても、声に棘はなかった。

 ゲーティスも、夫人のことを第二の母として受け入れているのだろう。母上、と呼ぶ声にどこにも悪意がないことが証拠だ。 

そしてゲーティスも着替えに行き、ヴェルーナの身支度もついに仕上げにかかった。

 窓の外は刻一刻と闇に染まろうとしていく。



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