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「ふっ…っく…!」
耐えろ。
耐えろ、耐えろ。
「も、ちょ、待って…!」
耐えろ、耐えろ、耐えろ。
耐え―
「耐えられない!くすぐったい!無理!」
「ヴェルーナ様、じっとしてくださいませ。でないと終わるものも終わりません」
「ごめんなさい、ジュリエッタさん!でもごめんなさいくすぐったいです!」
早口でまくしたてると、ヴェルーナは途切れ途切れの呼吸を繰り返した。
現在ゲーティスの屋敷にて、ドレスの採寸を行っているヴェルーナは何度目かの叫びを上げて蹲る。職人の弟子、ジュリエッタはメジャーを持ったまま不満顔だ。
今度こそ、と気合を入れ物々しい形相で胸の下にジュリエッタの手が回るのを見つめる。
視線を下に下げると胸に刻まれている花の印。薄い生地で出来たシャツを着ているとはいえ、目を凝らせば簡単に見えてしまう。
この印が、自分が言霊使いである証なのだとしみじみ考えた。
最近、授業での魔術に慣れてきたことで今度は魔力の込め方の訓練に移った。
魔力の使い方を覚えたあとはコントロールを覚えるというわけだ。
今まで微細にしか流せなかったものをさらに量を増して、溢れるラインを見極める。苦労はしているが、自分の力が着実にモノになっていくことが嬉しかった。自分の魔力の容量も、おおよそ理解が出来てきている。
「…はい、もう楽にしてくださって構いませんよヴェルーナ様」
思考にふけっている間に、なんとか苦難の採寸が終わったらしい。
ゲーティスが言った通り、屋敷に招かれた仕立屋はたった二人だった。
弟子のジュリエッタと職人のディゼットは根っからの仕事人で、顧客の事情に首を突っ込むこともしないし詮索もしない。変にもてはやすこともせず、黙々と仕事をしていくことからアクイン家御用達となったようだ。
「ヴェルーナ様、今回は時間が限られている故現在流行している一般的な型で作らせていただきます。ご希望があればできる限りは取り入れさせていただきますが…」
「あ、大丈夫ですお任せします。私そういうの全然わからないので…」
「かしこまりました」
そういうと、荷物からいくつもの生地を出してきては、ヴェルーナの前に陳列させていく。
暗い青と緑、うっすら黄色がかった白、薄い紫などずらりと並ぶそれは中々に壮観だった。
「ヴェルーナ様の明るい髪色はとても映えますから、それを活かした生地に致しましょう。生地を当てて見ますから、少しの間動かないでくださいね」
どうやらまだまだこれは続くらしい。
ドレスを作るって大変だな、とつくづくヴェルーナは思った。
そこから一週間弱、相当ディゼット達が頑張ったらしいドレスは完成しゲーティスの屋敷に届けられた。
レッスンの方もあらかた終わり、ヴェルーナの仕上がりもゲーティスから直々に太鼓判が押されるまでに到達したのであとは当日を待つのみだ。
ゲーティスは変わらず多忙だ。
というよりも、今は騎士団全体がざわついている。
ヴェルーナは今日も今日とてジャックと共に、騎士団本部の中でゲーティスを探し回っていた。
至急の書類が届けられたのだが、肝心のゲーティスが不在、副団長のジャックが判断していいものでもなさそうなのでちょうど手が空いているヴェルーナと二人でゲーティスを探しているわけだ。
その道すがら、行先に話し込んでいる女性二人を発見しヴェルーナは声を弾ませた。
「キャシー副団長、グレタ団長!」
「おや、ヴェルーナ。元気だね」
「ヴェルーナちゃん、ごきげんよう」
ヴェルーナの声にぱっと顔を上げたのは、藤黄騎士団団長グレタ・シトリンと同じく副団長のキャシー・ヘインズだった。
ボリュームのある栗毛を肩上でカットしたグレタと見事な金髪を美しくかつ質素にまとめているキャシーは、この騎士団の中でも珍しい女性の騎士だ。
女性騎士がいると聞いたときは心底驚いたが、彼女達は騎士という称号に相応しい実にたくましい経歴と実力を持っていた。彼女達が指揮する籐黄騎士団は騎士団の中で唯一女性ばかりの少数精鋭部隊で、その辺の男達よりもめっぽう強いらしい。
そんな二人とは、ゲーティスの紹介で会い幾度か関わっていくうちにすっかり親密になって今ではお互い見かけあったら気軽に声を掛けるほどの仲だ。
「お疲れ様です。お話の途中すいません、ゲーティス見ませんでしたか?」
「アクインか?いや、今日はまだ見ていないが…。あいつも突然姿を消すからな」
グレタでもわからないとなると、外にでも出ているのだろうか。
首を捻っていると、ふとキャシーの持っている書類が目に付きわずかに見える文字でその内容を察してしまった。
「…また、被害が出たんですね」
「…ああ、また魔物の被害報告が上がってきた。ここのところ、一週間に一回は届いている」
今騎士団を騒がしているもの、それは少し前から多数寄せられてきた魔物の被害報告だった。
魔物とは、なんらかの原因によって大気に蔓延した魔力濃度が基準値よりも大幅に上回った際にその影響によって凶暴化した突然変異の獣のことだ。
近年では国内で数えても極少数であった魔物が、ここ数週間で突如急増し目撃証言が相次いで騎士団に届いている。
「まだ人間が襲われたなどの報告はないが、時間の問題だろう。国内各地での現象故に原因の特定も困難を極めている。頭の痛い問題だな」
「これのせいで騎士団内もギスギスしちゃっていますからねーなにせ魔術関連は籐黄騎士団、獣の討伐は瑠璃騎士団、都市の警備は紅騎士団なので」
なぜそれでギスギスしてしまうのだろう、と説明を求めるためジャックを仰ぎ見た。
彼は苦笑しながらもヴェルーナのわからないことはきちんと説明してくれるのだ。
「普通なら、犯罪が起きたら捕まえるのが紅騎士団、捕まえたらそれを尋問したり調査したりするのが瑠璃騎士団、もしそれが魔術関連だったらその次に籐黄騎士団へ、みたいにきちんと役割分担で回していくんだよ。それが今回は獣の討伐、犯人の特定、原因究明って全部のことが重なっちゃったから全部同時に動かなきゃいけない。各地の騎士団が他のところと協力するってのが中々難しくなってるんだろうね」
ジャックの説明にようやく納得で出来ると共に、やれやれとため息をついてしまいそうになる。
四つに分かれている騎士団は、当然その団独特の雰囲気がある。
それぞれの相性が悪ければ、騎士達の軋轢も生まれてしまうわけで。だからこその役割分担なのだが、今回はその円滑方式もあまり役に立たない。互いに協力しなければいけないのだ、地方の騎士団はさぞ大変だろう。
「うちはまだ特に命令が下ってないけど、もしこの件に関わったらもっと険悪になるだろうね」
「そんな…そんなことしている暇ないのに」
「ヴェルーナの言うとおりだな。だが、中々支部に釘をさしても細かいところまでは目が行き届かん。これはこれで由々しき事態だよ」
眉間を揉むグレタの心労はかなりのものだろう。団長という立場も十分重いもので、少し同情してしまう。
しばしの沈黙が場に広がったとき、キャシーの小さな唇がヴェルーナの耳に寄せられた。
「ところでヴェルーナちゃん、パーティーの支度は大丈夫?」
「はい、おかげさまでなんとかなりそうです。本当にありがとうございました」
ヴェルーナがパーティーに出席することは、グレタとキャシーは知っている。
というのも、二人は国王の近臣で子爵家の由緒正しいご令嬢なのだ。ゲーティスに聞いたときは飛び上がるほど驚いたものだ。
同じ女性ならではの立ち振る舞いを二人に頼んで教えてもらったため、彼女達と今の距離を築けたのだ。
「……結局、グレタ団長のパートナーってローガン団長ってことになったんですか?」
「…ああ、それね。うん、二人がすごく嫌がって揉めまくったけど…一応そういうことになったの」
小声で本人には聞こえないようにこの間までの諍いの件について尋ねると、キャシーも複雑そうな疲れたような表情を浮かべた。
ローガンというのは瑠璃騎士団団長カミル・ローガンのことだ。
冷徹無慈悲、氷帝の名を冠する彼は絶対的正義で犯罪者の尋問を行い、それを受けた者は泡を吹いて気絶し自ら罪を告白し許しを請うという。彼の恐ろしさは他の団にも轟いているので騎士団全体から畏怖されている人物だ。
そんな彼もやんごとなきお家の出身で、既に親から爵位も継いでいる男爵だ。
そして諍いの原因は、グレタとの関係であった。
「あの騎士団随一の不仲であるグレタ団長とローガン団長が許嫁だなんて…」
出会えば口論、剣を握れば手加減無用、趣味も好みも正反対、会議での議論はもっぱらこの二人。
ゲーティス曰く、二人が黙れば会議は一時間は早く終わる。
紅騎士団もそうだが、幹部クラスの人間は皆濃い。総じて濃い。ゲーティスのサディストが優しく感じられるほどだ。
瑠璃騎士団と籐黄騎士団全体が仲が悪いのは確実に上に立っている人達のせいだろう、とヴェルーナは考えている。まあ、黒騎士団と紅騎士団も言えた義理ではないがまだ平和的だ。
「キャシーさんも出るのか、よろしくね」
「…貴方とは一生よろしくすることはないわよ、ジャック」
ああ、こっちもこっちで仲が良くないのか。
正直各団の溝の原因は団長達にこそあるのではないのか。
こう言った困った大人達に囲まれて、日夜成長していくヴェルーナだった。
(大人ってめんどくさいなあ…)