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アネモネの言霊   作者: 水無月 桜黒
第三章 疑惑と思惑
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 レッスンは思っていたよりもずっと厳しかった。

 まず所作の時点でヴェルーナは心が折れそうだった。

 師匠の教育が決して悪かったわけではない。むしろ、平民にしては綺麗な方だったのだ。

 だが、貴族のマナーは清廉さと品の良さ、すなわち指先までも意識しなければならないことがヴェルーナには神経をすり減らすことこの上なかった。

 ダンスの方は、どうにかなると思っていたがこれも甘かった。

 そもそも動きづらいドレスを着ながら足を次から次へと踏み出し、相手に合わせて動かなければならない。


(貴族って、贅沢三昧で運動なんてお遊び程度にしかやらないと思ってたけど…ダンスが出来るってすごい…)


 また一つ、貴族への認識が変わった瞬間である。


 それと、最もの問題がそのドレスだ。

 これは揉めに揉めた。

 ヴェルーナはてっきり既製品を買うか借りるのかと思っていたのだ。

 それなのにゲーティスときたら…。



「あ?仕立屋呼ぶに決まってんだろ。既製品なんか論外だ論外」

「なんでわざわざ一回のためにドレス仕立てるの!?勿体無いじゃない!」

「どこの貴族だって、社交界がある度にドレスを仕立てている。着まわしなんかしたらその家の財政を疑われるからな」


(金持ちって怖い)


 どうやら金銭感覚が根本から違ったらしい。

 これに関してはヴェルーナが早々に折れた。

 貴族の慣習がよくわかっていない以上、そういった場に慣れているゲーティスに従ったほうがいいに決まっている。


「仕立屋を流石にここには呼べないし、その時は俺の屋敷に来てもらうからな」

「それはいいんだけど…私その…印が…」


 外部の人間に、言霊使いの印を見られることには抵抗がある。

 万が一、外に漏れてしまったら黒騎士団に所属しているとはいえ安全とは言えなくなるだろう。


「…安心しろ。呼ぶ仕立屋は口の堅い職人だ。流石にその辺は考慮して呼ぶ人間もその職人と弟子の二人だけだ」


 ゲーティスがそう言い切るならそれを信じるしかない。

 なにはともあれ、着実にパーティーの準備は進んでいった。










「はあ…通常業務外れててよかった。これやりながら仕事してたら一日じゃ絶対足りない」

「お疲れ様。ヴェルーナも災難だね、団長のごたごたに巻き込まれて」


 控え室でばてていると、目の前にカップが置かれジャックが来た。

 カップの中には、ホットミルクが湯気をくゆらせながら入っていて両手で包むとその温かさにほっとする。


「こっちこそ、ごめんジャック。忙しいのにダンスの練習付き合ってくれて」

「なんの、こんくらいはね。肝心の団長は手が離せないみたいだし、俺は通常業務サボれるしむしろ役得」

「仕事優先でお願いね」


 ダンスのレッスンは毎週休息日の二日間、騎士団の近くにあるジャックの自宅に邪魔をしてやらせてもらっている。

 ジャックの本家自体は別にあるらしいが、彼が息抜きで借りている家らしい。そこなら、ある程度の広さもあるし人目にもつかないので好条件が揃っているのだ。


 ヴェルーナがパーティーに出ることは極少数しか知らないことだ。

 貴族のパーティーに出ること自体異例なのに、さらにそれが王家主催のものである。

 貴族の中でも限られた者にしか出されていない招待状が、ゲーティス宛のものとはいえ正式な文書でヴェルーナが招かれてしまっていることが知られればまた要らぬ嫉妬心を買ってしまうだろう。

 今は軟化しているとはいっても、未だ騎士団の中でヴェルーナの立ち位置は危ういところにある。平民の女が所属していることで騎士団幹部へ直々に文句を言いに行った猛者もいるようだ。当然のように一蹴されたらしいが。


 黒騎士団の皆には、ゲーティスの仕事の都合で、と誤魔化している。

 嘘をついていることに罪悪感が湧くが、彼らもなんとなく言えない事情があることを察して何も言わずに疲労困憊のヴェルーナを労ってくれる。これには随分救われた。


「でも、やっぱヴェルーナは運動神経がいいね。大抵の貴族は小さい頃から教えられているから出来るんだけど、一度もやったことないのに数回のレッスンで、もうコツを掴んでる」

「もうそんなに時間がないから、そんなにゆっくり覚えてられないのよ。きっとパーティーが終わったらすぐ忘れるわ。少なくとも私に優雅な動きは似合わない」


 気づけばもうパーティーまで一ヶ月もない。

 迫り来る期日に緊張は増すばかりだ。


「ジャックも出席するんだよね?」

「ん、俺?あー…まあね、出なきゃいけないんだよね。本当は嫌でしょうがないんだけど」


 驚いたことに今回のパーティーはジャックも出席するらしいのだ。

 ただ、本人は乗る気ではないようで話題を振られると露骨に嫌な顔をする。一度は欠席することも考えたらしい。


「ジャックがいれば私も少しは心強いなー…」


 知り合いが全くいない全方位敵に囲まれるよりも、たった一人でもいいから顔見知りの人間がいた方が何百倍もいい。

 ジャックなら気心も知れている。


「ヴェルーナがそう言うなら、出るしかないな」


 しょうがないな、とでも言うように苦笑いを浮かべてジャックは自分のカップをあおる。

 ヴェルーナもホットミルクを口にした。中に溶かされた蜂蜜の甘さに心がほぐれていく。

 遠くで鐘の音が響いている。午後の就業の合図だ。

 午後は時間いっぱいマナーのレッスンだ。騎士団でやれるものはおおよそゲーティスが担当している。彼も忙しいだろうに、ヴェルーナが社交場で恥をかかないように最大限やれることをやろうとしてくれているのだ。


「…悪いと思っているならもう少し優しく教えられないのかしら」

「それは…まあ、団長だから」


 言外に諦めろと言われた。

 今日は一体どんな叱責が飛ばされるのだろうか。

 せめて前回言われたところは注意されませんように。

 そう思いながら、カップの中身を飲み干し重い腰を上げてヴェルーナは控え室を後にした。




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