21
連れてこられたのはゲーティスの執務室だ。
ゲーティスはさっそく机の上を漁りなにかを探しているようだ。
部屋に入ってようやく腕から手を離され、思わずため息が漏れる。強い力ではなかったが、それでも引っ張られると緊張してしまう。
そういえばここに着くまでずっと華冠をしていた。誰にも会わなかったから良かったものの、見られていたらかなり恥ずかしい。
頭からそっと取る。これは部屋に飾ろう。いつか枯れるかもしれないが、せっかく作ってくれたのだしできる限り大事にしたい。
「ああ、あったあった」
目当ての物を見つけたのかゲーティスの声は僅かに上がった。その手には、クリーム色の一通の封筒が握られていた。
「なにそれ?」
その問いには言葉ではなく渡された封筒が答えてくれるようだ。
無言で見ることを促される。
触ると少し指先がくすぐったい。随分といい紙を封筒に使っているようだ。裏返して見ると、既に切られている封蝋は赤色でよく見れば五芒星と花が描かれている。
この国にいればいやでも知っているこの紋章。
「王家の紋章…?」
どうやらただの手紙ではないらしい。
ごくりと唾を飲み込み、恐る恐る中に入っている二枚の羊皮紙を取り出す。
しばらく読み進め、読み終わると同時にヴェルーナはゲーティスに噛み付いた。
「ちょっと、これどういうことよ!」
「どういうって、読んだんならわかるだろう。王家が主催するパーティーの招待状だよ」
「それはわかるわよ。なんで同封されている出席者に私の名前があるのよ!」
そこに書かれていたのは、王家が主催するパーティーの招待状だった。
何故こんなものを見せるのだろうと思いながら、二枚目に目を通した。それは出席を伝えるための返信用の羊皮紙だったのだ。
そこに書かれていたのはゲーティス・アクイン、そしてその横にヴェルーナの名前だった。
どう考えたっておかしい。そもそも自分はこんな書類にサインをした覚えがない。
もしこれを出されてサインをしろと言われたら、断固しないと言い切れる。
つまり、ゲーティスの仕組んだことだ。
「…もう一度聞くわよ、どういうつもり。私はパーティーなんて出ないし、行きたくない。そんなところに行くなんてまっぴらごめんだわ」
「そう言うと思った。俺だってこれは本意じゃない」
ゲーティスはそう言うと、椅子に深く腰を下ろした。どうやら彼自身も相当疲れているらしい。
そういえば最近は随分と激務だった。その中でもヴェルーナの授業だけはかかさずやっていたのだから、負担はかなりのものだろう。
それを考えると一方的に突っぱねるのもなんだか悪い気がしてしまう。
「以前、俺が家を継ぐときに助けてくれた貴族の夫婦がいるって言ったこと覚えているか」
「…まあ、一応」
「その夫婦が、このパーティーに出席するんだと。そしたら、ぜひ来てくれって連絡が来た。パートナー同行で」
「パー…トナー?」
貴族社会に疎いヴェルーナは首をかしげた。
夫婦や恋人同士が共にパーティーや舞踏会に出席することは知っている。それのことをパートナーというのだろうか。
「まあざっくりいえばそういうことだ。男女の連れ合いで相手のことをパートナーという。大抵は婚約者だったり伴侶だったり、そのどちらもいなければ親戚がパートナーになることが多いな」
「へえ。で?」
「察しが悪いな。今回、俺のパートナーはお前ってことだよ。ここに名前が書いてあるのはそういうことだ」
一瞬思考が停止した。
今回、パートナー、ゲーティスの。
一つ一つの単語を飲み込み、それをつなぎ合わせてはまたばらす。人はこれを現実逃避という。
「な、な、なんでそういうことになるのよ!」
「しょうがないだろう、俺には婚約者も伴侶もいないし該当する親戚もいない。そもそも俺はアクイン家の血縁の人間とはあまり仲がよくないんでな、頼める相手がいない」
「じゃあ今からでも仲良くしなさいよ!あんたの事情に私を巻き込まないで!」
「無茶言うな」
「あんたが言うな!」
今回ばかりは簡単に頷くわけにはいかない。
そもそも貴族嫌いの前にヴェルーナは人前が嫌いだ。
加えて平民育ちのヴェルーナに、貴族のマナーなんてわかるわけがない。実際に行ったことはないので確かではないが、女性はドレスで派手に着飾るはずだ。今までの村娘のワンピースよりもずっと重くて歩きづらくて動きづらいに違いない。
「嫌。今回ばかりはなにがなんでも嫌」
「残念ながら俺も引くことが出来ない。お前には悪いと思うが、出てもらうしかない」
―そこから数十分後。
ゲーティスの執務室には、満身創痍ともいえるほど疲弊したヴェルーナが蹲っていた。
もちろん、実力行使というわけではない。単純に言い争いでゲーティスに軍配が上がったのだ。
ゲーティスもゲーティスで、ヴェルーナの全力拒否に押され息を切らしている。まさかゲーティス自身も舌戦で自分がここまで苦戦するとは思っていなかっただろう。
「…はあ…はあ…もう、わかったわよ…出ればいいんでしょ」
「っはあ…すべての手配はこっちでする。マナーのレッスンもドレスも心配しなくていい。その間の業務も外す。負担はできる限り少なくすることしかできないが、それで許してくれ」
ああ、もう本当にずるい。そんな風に言われてしまったらいつまでも文句を言っている自分が子供みたいだ。
ここに来て随分経った。
その間、自分はゲーティスに相当絆されていたことをようやく自覚し、ヴェルーナは顔を膝に埋めた。
きっと今顔を上げたら真っ赤だろう。
自分の髪の色と同じアネモネの色のように。
「…さいっあく…」
「………悪い」
心の底から吐き出した本音に、ゲーティスは謝罪しか出来ない。
ドスの効いたその声は、自分でもひどいと思う。
「街の、黄色屋根のディアン・レーヴのケーキ」
「わかった」
「限定のやつだからね。あとマカロン」
「いくらでも」
罪滅ぼしなのか、ヴェルーナのわがままにも寛容だ。
いつもはごちゃごちゃうるさいくせに。
むしろ、ゲーティスとしては甘味程度で機嫌が取れるならお安いご用なのだろう。それはそれで腹が立つ。団長と騎士見習いの給料の差など考えずともわかることなのだ。
しょうがない、今回はこれで手を打つことにしよう。
「なんかあったら、責任とってね」
多分、その時の自分は最高の笑顔を作っただろう。
だってあのゲーティスが、目を見開いて狼狽えていたのだから。