1 ヴェルーナ
太陽もとうの昔に沈み、月が黒々と影を落とした森を照らす頃。
森からほど近いところにあるとある貴族の屋敷の中は、時間も時間であるので本来ならば静まり返っているはずなのだがどういうわけか時々ピカッと閃光が放たれているのだ。
外から見れば怪奇現象だが、屋敷の中はそんなことは言っていられないほど切羽詰まった状況にあった。
「ちょっと!いい加減しつこいんだけど!」
長い廊下を走り抜ける真っ黒なマントはそう吐き捨てながらも、全速力を緩めない。
足を止めたが最後、先程から容赦なく飛んでくる赤や緑や青の閃光もとい魔術の餌食となる。
後方から魔術は撃たれているのに肝心の術者の気配は見つからない。
それがまた黒マントの不安を煽っていた。姿の見えない敵ほど恐ろしいものはない。
ほんの一瞬だけ対峙した時、その整った顔立ちとその後浮かべられた笑みと眼光を目の当たりにし本能的に逃げを選んだ自分は正しかったのだ。
相手に対する恐怖心はあるがそれ以上に納得できないことがある。
その苛立ちを自分を鼓舞する意味も込めて、黒マントの少女ヴェルーナは心から吐いた。
「なんでこんなところに黒騎士なんているのよ!」
時は遡り昨日のことだ。
ヴェルーナは乗合馬車の中で手帳を広げていた。
「前の街でも手がかりなかったしなぁ…今度の街にはあるといいんだけど」
「なんだい嬢ちゃん。探し物かい?」
たまたま隣に座った恰幅のよい女性がヴェルーナの独り言に反応した。
ヴェルーナのような少女が一人で乗合馬車に乗っているのが珍しかったのか、先程からよく話しかけてくれる女性だ。ヴェルーナも話すことは好きなので、特に邪険にはせずに会話に乗る。
「ええまあ。人を探しているんですけど、中々手がかりがつかめなくて」
「そりゃあ大変だね。それで一人旅なんかしてるのかい?」
「はい。でも元々各地を旅している身ですから、全く苦ではないんですよ」
「すごいねえ。嬢ちゃんみたいな根性がうちの息子にもありゃあいいのに。こないだなんてね…」
女性の息子話を聞き相槌を打ちながら、ふっと視線をさりげなく上空へ向けた。
太陽がまもなくてっぺんに差し掛かろうとしているところ、キラリと光が反射した。
なにも知らなければただの見間違いだと思うだろうが、ヴェルーナはその光が相棒の位置を知らせるものであるとわかっているので内心で微笑んだ。
相棒はきちんと自分が乗っている馬車を間違えずに空から追ってきているようだ。
「そういえば聞いたか。また出たらしいぞ、例のあれ」
少し離れた席からそんな声が聞こえた。
知り合い同士なのか話題を出した男に反応したもう一人の男が頭をがしがしと掻きながら続ける。
「例のあれ?ああ、ここ最近貴族を狙って色々引っ掻き回してる盗賊のことか?」
「馬鹿お前、その辺のコソ泥と一緒にすんなよ。そいつは不正をしてたり平民に対して理不尽なことをした奴とか領地でひどい悪政を強いている貴族の屋敷に忍び込んでは、金目のものや平民から奪った物を取り返してくれるんだぜ」
「確かそんな話だったな。しかも、盗みに入られた貴族は大体後ろめたいことがあるから公には追われてないんだろう?」
男達はその後も同じ話題で盛り上がり、そういえばあんなことが、とどんどん話を膨らませていく。
女性も気がついたのか、少し眉を上げ深々とため息を吐いた。
「どこの誰だか知らないが、正直な話そんな奴が出てきてくれて私はほっとしてるよ」
「そうなんですか?」
「ああ。世の中いい貴族様がいることは知っているんだが、どうしたって悪い方が目立ってしまうからね。今の国王様の代になって、そういった人は減ってきたけど王都から離れた場所になればそれほど自分勝手する奴も出てくるから。人の不幸を喜ぶ訳じゃないけど、そういう奴らにとって、例の盗賊さんはいい薬なんじゃないかね」
女性はもう一度ため息を吐き、よっこらしょと腕の中の荷物を抱え直した。
「嬢ちゃんも次の街で降りるんだろう?」
「はい、そのつもりです」
「なら私と一緒だね。気をつけなよ、さっきの話じゃないけどあの街に住んでいる貴族の一人が腹立つくらい偉そうにしてて、気まぐれに街を歩いては私らに難癖つける奴なんだ」
「そんな…。そんなひどい人がいるんですか」
「ああ…。他の貴族はそんなことしないんだけど、なんというか見て見ぬ振りというか口を出そうとしなくてね。困り果てているんだ。本当にその盗賊さんがいるなら、助けてもらいたいよ」
ヴェルーナがなにか言う前に、業者が街に着いたと大きな声で知らせた。
その声が自然と会話を中断させ、他の乗合客もいそいそと下車の準備をし始める。
ヴェルーナもそれに習い手帳を旅行鞄の中へ押し込んだ。
今さっき聞いた話が、手帳に書かれていたことと相違ないことを密かに喜びながら。